手話映像だけ下さい!!あとは僕たちでやります???驚!!
このところ、
手話指導についての問い合わせが増えてきました。
新しく、
「メディア・舞台の手話指導」という観点からも、
記事を書いていければと思います。
よく、
歌手の方や、映像関係の方、また舞台関係の方が、
「作品に手話をつけてください。」
と、相談に見えます。
もちろん、こうした様々な舞台や映像で、
手話が取り上げられ、
作品として、人々に伝えられるのは、
素晴らしいことです。
手話関係者、ろう者の皆さんも、
こういう申し出は、嬉しいことと思います。
たくさんの方に、手話について、興味を持っていただき、
日ごろ手話を愛し、
大事に活動を続けているわたしたちにとっても、
感激です。
でも、
こうしたとき、ちょっと困ることがあります。
それは、今、私にとって、
少し悩みになりつつあります。
手話指導において、とても大事なこと。
それは、
「手話は、聞こえない人の大事な言葉」だということです。
ところが、時々、
そうしたことをディスカッションすることもなく、
「本番がとても近く、急いでいます。
この台本(または歌詞)を、至急手話に訳し、
映像に撮らせてください。
あとは、南さんたちの手を煩わさず、
このビデオをもとに、
ぼくたちで、役者(または歌手)に手話を伝えます。
それで、大丈夫です。」
と、おっしゃるスタッフの方が、
こられることがあるのです。
こうしたお話に、
私たちは、とても頭を痛めます。
だいたい!!
いったい、何が『大丈夫』なのか・・・・?????
この申し出について、
『大丈夫』でない!!問題点を整理すると・・・
① 単にこちらだけが台本を読んだだけの状態で、
作り手の皆さんとなんのコミュニケーションもなく、
手話を翻訳するのは、材料不足です!!
表現する舞台の条件も、まわりの風景も、
表現する役者さんのキャラや
手の動かし方の特性もわからず、
字面だけで翻訳した手話は、セリフとしては、
あまり役に立ちません。
手話は、表現する人のキャラや立場、
その方の手の使い方、
また、ものの位置関係や方向によって、
表現方法が、全く違ってきてしまいます。
それを、たった一つの訳し方だけ伝えて、
それで済ましてしまったら、
本番は、間違いだらけの手話表現が続出してしまいます。
これでは、作品として通用する
手話のセリフが完成しません。
② 手話は、聞こえない方の大事な言葉です。
ろうの方へのリスペクト
(いわゆる、尊重や大事に思う気持ち、
手話を教えてもらいたいという願いのようなもの)
抜きに進行しても、結果、だれのためにどういうつもりで、
手話を使って演じるのかと言う、魂の部分が抜け落ち、
演技者、撮影者、演出者自体が、
何のための手話作品なのかを見失ってしまいます。
つまり、手話さえついていれば、
聞こえない人に通じても、通じなくても、
それはそれで、別物・・・
そんな風な作品になりかねないということです!汗
また、たとえ、手話はなぞの暗号ように使いたいのだから、
誰にも通じなくていい!!と演出側が思ったとしても、
「それを見る聞こえない人がいる!」ことに、
私たちは、気付かなくてはいけない。
③ 撮影本番立ち会いは、必須です。
「わざわざ、手話担当の方に、本番に来ていただかなくても、
映像さえあれば、それを見てやりますから、
大丈夫です。」
と言われ、その映像や演技が、大丈夫だったことは、
これまで、ほとんどありません!!
断言します。
手話を知らないスタッフ・役者さんたちだけが、
映像を見て、ちゃんとまねたつもりが、
知らぬ間に、親指が立っていたり、
微妙な動かし方で、
正反対の意味になってしまったり・・・
動かす予定の、反対の手が、
うっかり動き、両手を合わせて見た時、
全く違う意味の単語になっていたり・・・
手話指導者が立ち会わずに、
行なった本番では、
そこを直してくれる人は、いません。
前もって翻訳され、映像で見た表現だけが、
手話の全てではありません!
思わず、自然に動かしたその手が、
全く違った別の手話になって入りこんでしまうこともあります。
そうなると、もう、手話のセリフは、
台本とは、全然違うことを話していることになってしまいます。
そして、その場のみんなが、
ちゃんとできていると思いこんで、
撮影を終了することほど危険なことはありません。
そんなわけで、大まかに言っても、
この3点により、
パパっと映像だけお渡しする手話指導は、
ありえません。
マジ「大丈夫」ではないからですっ!!大汗
さて・・・
お急ぎで、手っ取り早く、
ささっと手話翻訳だけ簡単にしてもらいたい・・・
と、お思いのあなた。
もしそれが、
英語などの外国語でも、
そういう依頼を、
翻訳者・指導者に持ち込みますか?
「 この日本語のセリフ、
急ぐので、パパッと英語(または他の言語)に翻訳して、
テープに録音しておいてください。
そうすれば、あとは、スタッフで、
役者に伝えます。大丈夫です。 」
・・・・・・本当に、これ、言えますかねえ・・・?
先日、ウルトラマンの生まれ故郷
世田谷区の祖師谷大蔵に行ってきました。
手話指導についての問い合わせが増えてきました。
新しく、
「メディア・舞台の手話指導」という観点からも、
記事を書いていければと思います。
よく、
歌手の方や、映像関係の方、また舞台関係の方が、
「作品に手話をつけてください。」
と、相談に見えます。
もちろん、こうした様々な舞台や映像で、
手話が取り上げられ、
作品として、人々に伝えられるのは、
素晴らしいことです。
手話関係者、ろう者の皆さんも、
こういう申し出は、嬉しいことと思います。
たくさんの方に、手話について、興味を持っていただき、
日ごろ手話を愛し、
大事に活動を続けているわたしたちにとっても、
感激です。
でも、
こうしたとき、ちょっと困ることがあります。
それは、今、私にとって、
少し悩みになりつつあります。
手話指導において、とても大事なこと。
それは、
「手話は、聞こえない人の大事な言葉」だということです。
ところが、時々、
そうしたことをディスカッションすることもなく、
「本番がとても近く、急いでいます。
この台本(または歌詞)を、至急手話に訳し、
映像に撮らせてください。
あとは、南さんたちの手を煩わさず、
このビデオをもとに、
ぼくたちで、役者(または歌手)に手話を伝えます。
それで、大丈夫です。」
と、おっしゃるスタッフの方が、
こられることがあるのです。
こうしたお話に、
私たちは、とても頭を痛めます。
だいたい!!
いったい、何が『大丈夫』なのか・・・・?????
この申し出について、
『大丈夫』でない!!問題点を整理すると・・・
① 単にこちらだけが台本を読んだだけの状態で、
作り手の皆さんとなんのコミュニケーションもなく、
手話を翻訳するのは、材料不足です!!
表現する舞台の条件も、まわりの風景も、
表現する役者さんのキャラや
手の動かし方の特性もわからず、
字面だけで翻訳した手話は、セリフとしては、
あまり役に立ちません。
手話は、表現する人のキャラや立場、
その方の手の使い方、
また、ものの位置関係や方向によって、
表現方法が、全く違ってきてしまいます。
それを、たった一つの訳し方だけ伝えて、
それで済ましてしまったら、
本番は、間違いだらけの手話表現が続出してしまいます。
これでは、作品として通用する
手話のセリフが完成しません。
② 手話は、聞こえない方の大事な言葉です。
ろうの方へのリスペクト
(いわゆる、尊重や大事に思う気持ち、
手話を教えてもらいたいという願いのようなもの)
抜きに進行しても、結果、だれのためにどういうつもりで、
手話を使って演じるのかと言う、魂の部分が抜け落ち、
演技者、撮影者、演出者自体が、
何のための手話作品なのかを見失ってしまいます。
つまり、手話さえついていれば、
聞こえない人に通じても、通じなくても、
それはそれで、別物・・・
そんな風な作品になりかねないということです!汗
また、たとえ、手話はなぞの暗号ように使いたいのだから、
誰にも通じなくていい!!と演出側が思ったとしても、
「それを見る聞こえない人がいる!」ことに、
私たちは、気付かなくてはいけない。
③ 撮影本番立ち会いは、必須です。
「わざわざ、手話担当の方に、本番に来ていただかなくても、
映像さえあれば、それを見てやりますから、
大丈夫です。」
と言われ、その映像や演技が、大丈夫だったことは、
これまで、ほとんどありません!!
断言します。
手話を知らないスタッフ・役者さんたちだけが、
映像を見て、ちゃんとまねたつもりが、
知らぬ間に、親指が立っていたり、
微妙な動かし方で、
正反対の意味になってしまったり・・・
動かす予定の、反対の手が、
うっかり動き、両手を合わせて見た時、
全く違う意味の単語になっていたり・・・
手話指導者が立ち会わずに、
行なった本番では、
そこを直してくれる人は、いません。
前もって翻訳され、映像で見た表現だけが、
手話の全てではありません!
思わず、自然に動かしたその手が、
全く違った別の手話になって入りこんでしまうこともあります。
そうなると、もう、手話のセリフは、
台本とは、全然違うことを話していることになってしまいます。
そして、その場のみんなが、
ちゃんとできていると思いこんで、
撮影を終了することほど危険なことはありません。
そんなわけで、大まかに言っても、
この3点により、
パパっと映像だけお渡しする手話指導は、
ありえません。
マジ「大丈夫」ではないからですっ!!大汗
さて・・・
お急ぎで、手っ取り早く、
ささっと手話翻訳だけ簡単にしてもらいたい・・・
と、お思いのあなた。
もしそれが、
英語などの外国語でも、
そういう依頼を、
翻訳者・指導者に持ち込みますか?
「 この日本語のセリフ、
急ぐので、パパッと英語(または他の言語)に翻訳して、
テープに録音しておいてください。
そうすれば、あとは、スタッフで、
役者に伝えます。大丈夫です。 」
・・・・・・本当に、これ、言えますかねえ・・・?
先日、ウルトラマンの生まれ故郷
世田谷区の祖師谷大蔵に行ってきました。
この記事へのコメント
まさか
ウルトラマンのシュワッチに
手話を付けたんですか?笑
ありがとうございます。
本当ですね。
ウルトラマンなら、
ちゃんと手の指もあるし、
チャンスがあったら、
やってもらいましょう!!笑&マジ
ありがとうございます。笑
「我々は本物のろう者のために通訳しているのであって、
ろう者のフリをした聴者のために手話を使っているのではない」
とキッパリ言い切った方がおられて、
かなりのショックを受けたことがあります。
“演技や振付に彩りでも添えるか”という程度の意識で
イベントに手話を混ぜ込むつもりであれば、
それは主催者の自己満足に過ぎず、聴衆にも
「ああ、あれくらいなら自分にも簡単にできそうだ」
と勘違いされるに違いない。
「手段はどうあれ“とにかく普及”が先!」
「いや、間違った刷り込みが後々、問題を大きくする!」
あちらを立てれば、こちらが立たず……
あいらんどのスタッフさんたちはジレンマですね…
いつも、ありがとうございます。
本当に お仕事ご苦労様です。