いろんな手話
「37歳で医者になった僕」
第8話、いかがでしたか?
私は、映像を見ていて、
監督さん達が、手話の映し方を、
いろいろ、考えているんだな~と思うことがあります。
7話のすず「祐太さんがお医者さんを目指して7年。」
今回の8話の「あとで、煮物持っていくから。」
・・・肩越しに、ななめに見た手話・・・!!
もちろん、手話は、前から見た方が、
読みやすいには違いないのですが、
体に隠れていなければ、
確かに、ななめ後ろからでも、
読めると言えば、読める!!
聴こえる人の、音声のせりふなら、
誰かが話しているとき、
その声を聞いている相手の表情をとらえて、
映すことができますが、
手話では、完全にオフってしまうと、
セリフ自体が消えてしまい、
意味がなくなる・・・
そこを何とかしようと、
監督さんや、カメラの方も、
いろいろ、考えながら、
手話をねらって、つかまえているようです。
そして、手話ごと、
セリフを受けている相手の表情をねらって、
心情を伝える・・・
むずかしいチャレンジですが、
こういう工夫を、
重ねていくことで、
手話の盛り込まれたドラマも、
画面に変化が出たり、
様々な人の表情をとらえたり、
そして、今後の、
手話の取り入れ方の、方法の一つにも、
なっていくように思います。

さて、
今回このドラマにかかわらせていただいて、
今まで、自分では、無頓着だった「音声対応手話」が、
ある人々には、とても大事なのだと、
感じるようになってきました。
ある人々とは、もちろん、
今回のすずのような、
声に障害のある方々もそうですが、
難聴で、補聴器も使いながら、
音声で話して、手話をする方なども、
そう言えるかもしれません。
私は、手話通訳の勉強をして、
ここまで来ていますので、
ろう者の皆さんが使う独自の文法を持つ「日本手話」も、
声で話しながら(または、頭の中の言葉が音声言語で)
それに合わせて手話単語を並べる「音声対応手話」も、
両方とも出来なければイケない!!
と教えられ、一生懸命がんばって、
時と場合に応じて、使い分けながら、
手話ライフを送っています。
ただ、もともと、空中に絵を描くような手法で、
ものごとを表わしていく「日本手話」の、
表現の豊かさに魅かれて、
手話を続けているというのも、本当のところ。
やはり、「日本手話」を学ぶことに重きを置き、
音声言語にはない文法で繰り出す、その表現形態に魅せられ、
多くの方にもその魅力を、伝えることが、
最重要課題のように感じて、ここまでやってきました。
その中で、今回のドラマに出会い、
あらためて、
失声症の方の生のお話を、実際にお聞きしたりする中で、
もともと、日本語で生活していた人が、
ろうの方や、私のような手話にどっぷりの人間と、
コアに付き合うためではなく、
まずは、まわりの”手話の達人ではない”聞こえる人と通じ合うために、
それでも、とても便利な方法の一つとして、選んでいるのが、
「音声対応手話」なのであれば、
それは、とても大事にされていいものだと、
感じるようになりました。
声が出しづらい、何人かの方が、
自分たちの不安や迷いの中から、
今まで豊かに使って来た
自分の中の日本語を崩すことなく、
指文字や手話を取り入れることで、
コミュニケーションの安心が得られるのであれば、
それは、その人たちの大事な言葉。
そういう方々の中には、
精神的に不安な状態に置かれている方も多く、
手話で言うところの表情を、
うまく使いこなせない人もいる。
それでも、手で話すそのことで、
コミュニケーションが楽になり、
まわりの人と、楽しく通じ合うことができ、
心の支えとなっているのであれば、
その手話が、うまいとかヘタとか、
本来の正統派日本手話からは、
かけ離れているのではないかとか、
そんなことにとらわれず、自信を持って堂々と、
「わたしは、手話を使っています。」と、
言っていい。
そういう人たちも、その手話を、
自分と周りが伝えあう、ささやかな言葉として、
大事に大事に使っている!!のだと、
私は、この数カ月の間、
実感しながら、このドラマに取り組ませてもらっています。
手話を、勉強中で、
手話通訳者を目指す人。
もっと、語学として深く学びたい人。
ろうの人と、より自由に、英語や外国語のように、
バイリンガルになって、つながりたい人は、
多いに、日本手話を学び、
本来の手話のよさを、たくさん味わえば、
豊かな出会いが待っている。
それも、しかり。
「日本手話」は、一つの言語として、
ろう者の文化として、
素晴らしいパワーと魅力を備えている。
でも、声を失った人、難聴に悩む人が、
自分と友人や家族のために、互いに支え合い、
毎日大事に使っている「音声対応手話」も、また、
人と人をつなぐ、大切なもの。
音声言語を頼りに繰り出す手話も、
確かにあなたの思いを、空中に飛ばして、
相手の暖かな目に届いているよ。
私は、伝統的日本手話に、魅せられて、
自らが代表を務める手話あいらんどでも、
「日本手話」のナチュラルアプローチに、こだわって、
手話教室を開催し、多くの方に通って来ていただいています。
本当に、ありがとうございます。
でも、そこで学んだ方が、
自分の幸せのために、失われた声を克服するために、
「音声対応手話」で話すなら、
それを、心から、応援するよ!!
ヘタだって、いいじゃない。マジ!
あなたの手話も、あなたの言葉。
あなたの手話も、あなたの友達と握手する。
手話のあり方は、使う人の立場、
その人の思いなどによって、
実に様々なのだと、改めて、感じさせてもらっています。

( 世田谷では、また、新しい種類の花が、
次々に咲き始めています。)
第8話、いかがでしたか?
私は、映像を見ていて、
監督さん達が、手話の映し方を、
いろいろ、考えているんだな~と思うことがあります。
7話のすず「祐太さんがお医者さんを目指して7年。」
今回の8話の「あとで、煮物持っていくから。」
・・・肩越しに、ななめに見た手話・・・!!
もちろん、手話は、前から見た方が、
読みやすいには違いないのですが、
体に隠れていなければ、
確かに、ななめ後ろからでも、
読めると言えば、読める!!
聴こえる人の、音声のせりふなら、
誰かが話しているとき、
その声を聞いている相手の表情をとらえて、
映すことができますが、
手話では、完全にオフってしまうと、
セリフ自体が消えてしまい、
意味がなくなる・・・
そこを何とかしようと、
監督さんや、カメラの方も、
いろいろ、考えながら、
手話をねらって、つかまえているようです。
そして、手話ごと、
セリフを受けている相手の表情をねらって、
心情を伝える・・・
むずかしいチャレンジですが、
こういう工夫を、
重ねていくことで、
手話の盛り込まれたドラマも、
画面に変化が出たり、
様々な人の表情をとらえたり、
そして、今後の、
手話の取り入れ方の、方法の一つにも、
なっていくように思います。

さて、
今回このドラマにかかわらせていただいて、
今まで、自分では、無頓着だった「音声対応手話」が、
ある人々には、とても大事なのだと、
感じるようになってきました。
ある人々とは、もちろん、
今回のすずのような、
声に障害のある方々もそうですが、
難聴で、補聴器も使いながら、
音声で話して、手話をする方なども、
そう言えるかもしれません。
私は、手話通訳の勉強をして、
ここまで来ていますので、
ろう者の皆さんが使う独自の文法を持つ「日本手話」も、
声で話しながら(または、頭の中の言葉が音声言語で)
それに合わせて手話単語を並べる「音声対応手話」も、
両方とも出来なければイケない!!
と教えられ、一生懸命がんばって、
時と場合に応じて、使い分けながら、
手話ライフを送っています。
ただ、もともと、空中に絵を描くような手法で、
ものごとを表わしていく「日本手話」の、
表現の豊かさに魅かれて、
手話を続けているというのも、本当のところ。
やはり、「日本手話」を学ぶことに重きを置き、
音声言語にはない文法で繰り出す、その表現形態に魅せられ、
多くの方にもその魅力を、伝えることが、
最重要課題のように感じて、ここまでやってきました。
その中で、今回のドラマに出会い、
あらためて、
失声症の方の生のお話を、実際にお聞きしたりする中で、
もともと、日本語で生活していた人が、
ろうの方や、私のような手話にどっぷりの人間と、
コアに付き合うためではなく、
まずは、まわりの”手話の達人ではない”聞こえる人と通じ合うために、
それでも、とても便利な方法の一つとして、選んでいるのが、
「音声対応手話」なのであれば、
それは、とても大事にされていいものだと、
感じるようになりました。
声が出しづらい、何人かの方が、
自分たちの不安や迷いの中から、
今まで豊かに使って来た
自分の中の日本語を崩すことなく、
指文字や手話を取り入れることで、
コミュニケーションの安心が得られるのであれば、
それは、その人たちの大事な言葉。
そういう方々の中には、
精神的に不安な状態に置かれている方も多く、
手話で言うところの表情を、
うまく使いこなせない人もいる。
それでも、手で話すそのことで、
コミュニケーションが楽になり、
まわりの人と、楽しく通じ合うことができ、
心の支えとなっているのであれば、
その手話が、うまいとかヘタとか、
本来の正統派日本手話からは、
かけ離れているのではないかとか、
そんなことにとらわれず、自信を持って堂々と、
「わたしは、手話を使っています。」と、
言っていい。
そういう人たちも、その手話を、
自分と周りが伝えあう、ささやかな言葉として、
大事に大事に使っている!!のだと、
私は、この数カ月の間、
実感しながら、このドラマに取り組ませてもらっています。
手話を、勉強中で、
手話通訳者を目指す人。
もっと、語学として深く学びたい人。
ろうの人と、より自由に、英語や外国語のように、
バイリンガルになって、つながりたい人は、
多いに、日本手話を学び、
本来の手話のよさを、たくさん味わえば、
豊かな出会いが待っている。
それも、しかり。
「日本手話」は、一つの言語として、
ろう者の文化として、
素晴らしいパワーと魅力を備えている。
でも、声を失った人、難聴に悩む人が、
自分と友人や家族のために、互いに支え合い、
毎日大事に使っている「音声対応手話」も、また、
人と人をつなぐ、大切なもの。
音声言語を頼りに繰り出す手話も、
確かにあなたの思いを、空中に飛ばして、
相手の暖かな目に届いているよ。
私は、伝統的日本手話に、魅せられて、
自らが代表を務める手話あいらんどでも、
「日本手話」のナチュラルアプローチに、こだわって、
手話教室を開催し、多くの方に通って来ていただいています。
本当に、ありがとうございます。
でも、そこで学んだ方が、
自分の幸せのために、失われた声を克服するために、
「音声対応手話」で話すなら、
それを、心から、応援するよ!!
ヘタだって、いいじゃない。マジ!
あなたの手話も、あなたの言葉。
あなたの手話も、あなたの友達と握手する。
手話のあり方は、使う人の立場、
その人の思いなどによって、
実に様々なのだと、改めて、感じさせてもらっています。

( 世田谷では、また、新しい種類の花が、
次々に咲き始めています。)