手話をドラマに取り入れるにあたって
「37歳で医者になった僕」
ドラマも終了し、だいぶ落ち着いてきましたね。
今回は、ドラマに手話を取り入れるにあたって、
特にお礼をお伝えしたい、
メインスタッフの皆さんが、いらっしゃいます。
まず、プロデューサーの、木村淳さん。
脚本が、次々、上がってくる中、
ていねいに、一つ一つの手話訳にも目を通し、
今回、手話における重大なテーマであった
「音声対応手話」についても、共に、ディスカッションし、
最後まで、一緒に、手話のセリフに寄り添って下さったこと、
心より感謝申し上げます。
(* 『音声対応手話』についての記事は、
「ミムラさん(すず)の手話」http://minamiruruka.seesaa.net/article/265055421.html
「失声症の方と手話」http://minamiruruka.seesaa.net/article/269049831.html
「いろんな手話」http://minamiruruka.seesaa.net/article/272491392.html )
音声のセリフと、手話のセリフが、どうしても一致せず、
翻訳に行き詰ったときも、現場で私達と一緒に時間を取り、
どう調整するかを、脚本面や、監督さん達と話しあっていただき、
手話表現を尊重する決断を下してくださいました。
( 実は、このドラマの中で、一カ所だけ、どうしても、すずの手話が、
日本語の言い回し通りに、表現できない個所がありました。
〔…つまり、音声対応手話では、対処できない手話表現があった。〕
その結果、手話は手話として素直な表現を用い、
意訳した日本語の字幕がついたシーンがあったのです。
気づかれた方、いらっしゃいましたか? )
このほか、木村さんには、手話における様々な場面で、
たくさんの励まし等をいただき、
私達が、動きやすい環境を作っていただきました。
本当に、お世話になりました。ありがとうございました。
それから、M監督こと(笑)、三宅喜重 監督。
役者さん達の、最初の手話の授業から、すべて立ち会い、
冬菜ちゃんの、ろう者ならではの様々な体験談も、
笑いながらお聞きいただき、
「本当に、手話って、表情が豊かですね。」と、
しみじみ言って下さったあの日から、3か月。
手話シーンには、必ず、私達の意見を取り入れ、
最後まで、共に考え、撮影して下さったこと、心より感謝いたします。
そして、とても大声で、ろう者の冬菜ちゃんの耳にも、「カーットッ!!」
の声が飛びあがるほど響いた S監督こと(笑)、白木啓一郎 監督。
手話シーンでは、いつも、撮影画面のこちらから、
役者さんと同時に、セリフの手話を、表現しておられました。
私達が準備した手話訳を、覚えて、撮影に臨んでおられたんですよね。
驚きました。本当に、ありがとうございました。
それから、いつも、手話が画面にうまくおさまるとか、おさまらないとか、
ロケのたびに、現場で相談し続けた 撮影の 中山秀一さん。
打ち上げの時、わざわざ声をかけて下さって、
「手話をうまくとらえきれない場面もあり、すみません。」と言っていただき、
驚くとともに、又、こうしたカメラの方も、手話をいかに撮るかと、
共に、悩んだり考えたりしておられたのだと感じ、
心が通じ合えたような思いがいたしました。ありがとうございます。
そのほか、ラインプロデュース大城さん、記録の方々、
各助監督の皆さん、カメラ、音声、
衣装、メイク、美術、道具、制作のみなさん、などなど・・・・・・・、
現場では、ほぼすべてのスタッフの方が、
「おはようございます」「お疲れ様」の手話を覚えていただき、
毎日毎日、笑って、この手話を表現し続けて下さったこと、
本当に、ありがとうございました。
そして!!
私達にとって、もっとも、身近にいた
手話担当の アシスタントプロデューサー 山下有為さん。
私達の今回の仕事は、年末、山下さんの連絡から、はじまりました。笑
「なにもわからないので、教えて下さい。」
そう言って下さり、共に手話についてのプランを考え、
私達のお伝えした通り、監督他キャストの皆さんの、
基礎手話講座から、全てスタートする段取りを整えていただき、
本当に、ありがとうございました。
山下さんのおかげで、多くの皆さんと、情報を共有し、
皆さんが、一緒に「手話のなんたるか」を問いながら、
撮影をしていただくことができたと思っています。
最後に、
私達の手話翻訳・指導に、常に付き添い、
脚本の不明点があれば、脚本の方や、プロデューサーさんに問い、
役者さんの手話レッスンの全てに立ち会い、共に手話を覚え、
最後まで、私達と、手話シーンの全てをご一緒して下さった
助監督 田中耕司さん。
この3カ月あまり、たくさんの方との間に立ち、
私達が、自由に動き回れるよう
配慮して下さったこと、心より感謝申し上げます。
私達は、田中さんを入れ、4人が手話チームであったと思っています。
ありがとうございました。
このほか、
もっともっと、いろんな方のお名前を呼びたい気持ちでいっぱいですが、
なんともう、この撮影チームも、すでに解散。
皆さん、それぞれ、違ったドラマ・番組作りに、
走りまわっておられます。笑
又、皆さんの作った新しいドラマ、拝見しますね。
私達、手話あいらんども、これからますます頑張っていきたいと思います。
どうぞ、今後とも、よろしくお願いします。
本当に、ありがとうございました。

今日も、関東は、梅雨が続く。

あじさい

つゆ草
( 南 瑠霞「37歳で医者になった僕」今だから言えること、
まだ少しだけ続く・・・かも・・・汗&笑 )
ドラマも終了し、だいぶ落ち着いてきましたね。
今回は、ドラマに手話を取り入れるにあたって、
特にお礼をお伝えしたい、
メインスタッフの皆さんが、いらっしゃいます。
まず、プロデューサーの、木村淳さん。
脚本が、次々、上がってくる中、
ていねいに、一つ一つの手話訳にも目を通し、
今回、手話における重大なテーマであった
「音声対応手話」についても、共に、ディスカッションし、
最後まで、一緒に、手話のセリフに寄り添って下さったこと、
心より感謝申し上げます。
(* 『音声対応手話』についての記事は、
「ミムラさん(すず)の手話」http://minamiruruka.seesaa.net/article/265055421.html
「失声症の方と手話」http://minamiruruka.seesaa.net/article/269049831.html
「いろんな手話」http://minamiruruka.seesaa.net/article/272491392.html )
音声のセリフと、手話のセリフが、どうしても一致せず、
翻訳に行き詰ったときも、現場で私達と一緒に時間を取り、
どう調整するかを、脚本面や、監督さん達と話しあっていただき、
手話表現を尊重する決断を下してくださいました。
( 実は、このドラマの中で、一カ所だけ、どうしても、すずの手話が、
日本語の言い回し通りに、表現できない個所がありました。
〔…つまり、音声対応手話では、対処できない手話表現があった。〕
その結果、手話は手話として素直な表現を用い、
意訳した日本語の字幕がついたシーンがあったのです。
気づかれた方、いらっしゃいましたか? )
このほか、木村さんには、手話における様々な場面で、
たくさんの励まし等をいただき、
私達が、動きやすい環境を作っていただきました。
本当に、お世話になりました。ありがとうございました。
それから、M監督こと(笑)、三宅喜重 監督。
役者さん達の、最初の手話の授業から、すべて立ち会い、
冬菜ちゃんの、ろう者ならではの様々な体験談も、
笑いながらお聞きいただき、
「本当に、手話って、表情が豊かですね。」と、
しみじみ言って下さったあの日から、3か月。
手話シーンには、必ず、私達の意見を取り入れ、
最後まで、共に考え、撮影して下さったこと、心より感謝いたします。
そして、とても大声で、ろう者の冬菜ちゃんの耳にも、「カーットッ!!」
の声が飛びあがるほど響いた S監督こと(笑)、白木啓一郎 監督。
手話シーンでは、いつも、撮影画面のこちらから、
役者さんと同時に、セリフの手話を、表現しておられました。
私達が準備した手話訳を、覚えて、撮影に臨んでおられたんですよね。
驚きました。本当に、ありがとうございました。
それから、いつも、手話が画面にうまくおさまるとか、おさまらないとか、
ロケのたびに、現場で相談し続けた 撮影の 中山秀一さん。
打ち上げの時、わざわざ声をかけて下さって、
「手話をうまくとらえきれない場面もあり、すみません。」と言っていただき、
驚くとともに、又、こうしたカメラの方も、手話をいかに撮るかと、
共に、悩んだり考えたりしておられたのだと感じ、
心が通じ合えたような思いがいたしました。ありがとうございます。
そのほか、ラインプロデュース大城さん、記録の方々、
各助監督の皆さん、カメラ、音声、
衣装、メイク、美術、道具、制作のみなさん、などなど・・・・・・・、
現場では、ほぼすべてのスタッフの方が、
「おはようございます」「お疲れ様」の手話を覚えていただき、
毎日毎日、笑って、この手話を表現し続けて下さったこと、
本当に、ありがとうございました。
そして!!
私達にとって、もっとも、身近にいた
手話担当の アシスタントプロデューサー 山下有為さん。
私達の今回の仕事は、年末、山下さんの連絡から、はじまりました。笑
「なにもわからないので、教えて下さい。」
そう言って下さり、共に手話についてのプランを考え、
私達のお伝えした通り、監督他キャストの皆さんの、
基礎手話講座から、全てスタートする段取りを整えていただき、
本当に、ありがとうございました。
山下さんのおかげで、多くの皆さんと、情報を共有し、
皆さんが、一緒に「手話のなんたるか」を問いながら、
撮影をしていただくことができたと思っています。
最後に、
私達の手話翻訳・指導に、常に付き添い、
脚本の不明点があれば、脚本の方や、プロデューサーさんに問い、
役者さんの手話レッスンの全てに立ち会い、共に手話を覚え、
最後まで、私達と、手話シーンの全てをご一緒して下さった
助監督 田中耕司さん。
この3カ月あまり、たくさんの方との間に立ち、
私達が、自由に動き回れるよう
配慮して下さったこと、心より感謝申し上げます。
私達は、田中さんを入れ、4人が手話チームであったと思っています。
ありがとうございました。
このほか、
もっともっと、いろんな方のお名前を呼びたい気持ちでいっぱいですが、
なんともう、この撮影チームも、すでに解散。
皆さん、それぞれ、違ったドラマ・番組作りに、
走りまわっておられます。笑
又、皆さんの作った新しいドラマ、拝見しますね。
私達、手話あいらんども、これからますます頑張っていきたいと思います。
どうぞ、今後とも、よろしくお願いします。
本当に、ありがとうございました。

今日も、関東は、梅雨が続く。

あじさい

つゆ草
( 南 瑠霞「37歳で医者になった僕」今だから言えること、
まだ少しだけ続く・・・かも・・・汗&笑 )