手話指導するなら、手話をきちんと身に着けてからにしてね!!
このところ、手話を勉強しているけど、
実は、まだまだ知識も経験も足りない人が、
有名人に手話を指導し、
混乱を招いているケースが、目立つ。
とても気になっている!!
その有名人は、本人の気持ちとは別に、
的を射ていない手話を教わり、
テレビなどで、
手話を間違えて表現したりしている。
手話を付けたこと自体は、
確かに意味があり素晴らしいが、
残念ながら、手話表現がかなり未熟な状態で、
公の映像から流れてしまっているのだ。。。
こういう事態について、
あなたは、どう思うだろうか?
こうした有名人は、
本当は、どういう指導を受けるべきだったのか?
と、画面を見ながら、
戸惑いを覚えることが、よくある。
良い翻訳と、ナチュラルな表現を教えてもらっていれば、
もっともっと、素晴らしい手話のできるはずの人が、
そういう状態に陥っているからだ。
もちろん、手話の付いた歌やセリフは、
それだけで、生き生きとして見え、魅力的であるが、
多くの人は、それが、
良い手話なのか、間違いだらけの手話なのかを、
判断することができない場合もある。
そんなちょっと危なっかしい手話でも、
有名人が手話表現をしていれば、いろんな人が、
「素晴らしい!」「感動した」と、共感するのも、
うなづける。
そして、ファンは、次々に、その表現を覚えたりもする。
これも、有名な方ならではの力であり、
ある意味、素晴らしい!!
また、ファンなら、それは、とても自然な思いであり、
人と人とは、そうやって結びついているからこそ、
暖かい絆が連続していく。
だが、その結果、そんなみんなの気持ちに反して、
ちまたに、間違った手話が、広まってしまい、
結局、手話が誤解される・・・汗
ろう者・手話関係者は、
それを、とても悲しく見ている。
この場合、たとえ、間違った手話でも、
有名人の方が、手話に興味を持ち、手話を表現し、
その存在を知らせたことを良しとするべきなのか?
いや、有名人だからこそ、
より良い手話を身に着け、
それを手に乗せて、聴こえない人にも歓迎される、
気持ちのいい手話を、発表すべきなのか。
私は、もちろん、後者の考えだが、
どうだろうか?
手話は、音声言語とは、語順も文法も違う。
音声言語の言葉通りに、
手話単語を並べても、基本的に、意味をなさない。
また、手話は空間を使う視覚言語なので、
表現する場所や、位置関係、
方向などによって、同じ単語を並べても、
意味が全く逆転してしまう場合さえある。
歌やセリフを扱うとなると、なおのこと、
それは、きちんと調整し、大事に翻訳しなければ、
その意味が伝わらない。
それが、まだまだ勉強途中の人が作ることで、
かなり不完全な状態の手話表現になる。
手話の翻訳という以前に、
文として成り立ちにくい表現を教わり、
さらに、手話表現の間違いも指摘してもらえないような、
指導を受けた有名人は、それでも、
指導者を信じているわけだから、
自分の手話の間違いに気が付かない。。。大汗
この状況は、
私から見ると、かなり気の毒だし、
やはり、その行動は、
多くの人を傷つけることにつながりかねない側面もある。
手話を学ぶ、多くの方に、
手話指導などに携わる私から、
お願いがある。
多くの人が、気軽に手話で歌いたいとか、
手話を作ってほしいとか、
手話を勉強している身近な人に、頼みごとをすることは、
ここから先、どんどん増えてくるのだろう。
だが、その時あなたは、ちょっと考えてほしい。
それは、あなたの力の範囲を超えてはいないだろうか?
「 下手でもいいから、手話を教えてください。
そうやって、未熟でも一生懸命やっているアナタが、
教えるのが一番いいのです。」
などといわれ、
その意見に踊らされたりしていないだろうか?
でも、そうした間違った情熱で、最後に傷つくのは、
ほかでもない、それを母語として使っているろう者です。
手話の翻訳、表現方法は、
もちろん人それぞれだが、
それが明らかに、あまりにも至らない状態だったり、
相手に適切な手の動き、形を教えてあげられない状態なら、
どんなに熱い気持ちがあっても、
どんなに頼まれても、
その手話は、教えてはいけません。
友達同士であっても、何か尋ねられたら、
「 私は、こう習ってこう理解しているけど、
それ以上はわからないから、本当に、勉強したかったら、
ぜひ、手話サークルに行ってね。」とか、
「 もし、この手話が、公に使われるものであるなら、
私は、未熟で心配だから、ちゃんと先輩を紹介するね。」
と、
心ある対応をしてもらいたいなあ。
これ、わかりにくい、意見だろうか?
あなたは、どう思う?
実は、今、本当に困っているんだ。汗汗・・・
今日も、長文を読んでくださって、
ありがとうございます。
マネージャーのはっちゃんが、
とっても小さくてかわいい、金太郎あめをくれました。
切っても切っても、同じ図柄が出てくる、
あの、金太郎あめです。
ペットボトルのふたと比べると、とても小さい。
そんな小さなアメなのに、ちゃんと、
ハチ公の顔や、渋谷の漢字や、モヤイの図柄が、
見えています。かわいい!!笑
味も、それぞれ、甘酸っぱくて、おいしかったです。
サンキュー!!
実は、まだまだ知識も経験も足りない人が、
有名人に手話を指導し、
混乱を招いているケースが、目立つ。
とても気になっている!!
その有名人は、本人の気持ちとは別に、
的を射ていない手話を教わり、
テレビなどで、
手話を間違えて表現したりしている。
手話を付けたこと自体は、
確かに意味があり素晴らしいが、
残念ながら、手話表現がかなり未熟な状態で、
公の映像から流れてしまっているのだ。。。
こういう事態について、
あなたは、どう思うだろうか?
こうした有名人は、
本当は、どういう指導を受けるべきだったのか?
と、画面を見ながら、
戸惑いを覚えることが、よくある。
良い翻訳と、ナチュラルな表現を教えてもらっていれば、
もっともっと、素晴らしい手話のできるはずの人が、
そういう状態に陥っているからだ。
もちろん、手話の付いた歌やセリフは、
それだけで、生き生きとして見え、魅力的であるが、
多くの人は、それが、
良い手話なのか、間違いだらけの手話なのかを、
判断することができない場合もある。
そんなちょっと危なっかしい手話でも、
有名人が手話表現をしていれば、いろんな人が、
「素晴らしい!」「感動した」と、共感するのも、
うなづける。
そして、ファンは、次々に、その表現を覚えたりもする。
これも、有名な方ならではの力であり、
ある意味、素晴らしい!!
また、ファンなら、それは、とても自然な思いであり、
人と人とは、そうやって結びついているからこそ、
暖かい絆が連続していく。
だが、その結果、そんなみんなの気持ちに反して、
ちまたに、間違った手話が、広まってしまい、
結局、手話が誤解される・・・汗
ろう者・手話関係者は、
それを、とても悲しく見ている。
この場合、たとえ、間違った手話でも、
有名人の方が、手話に興味を持ち、手話を表現し、
その存在を知らせたことを良しとするべきなのか?
いや、有名人だからこそ、
より良い手話を身に着け、
それを手に乗せて、聴こえない人にも歓迎される、
気持ちのいい手話を、発表すべきなのか。
私は、もちろん、後者の考えだが、
どうだろうか?
手話は、音声言語とは、語順も文法も違う。
音声言語の言葉通りに、
手話単語を並べても、基本的に、意味をなさない。
また、手話は空間を使う視覚言語なので、
表現する場所や、位置関係、
方向などによって、同じ単語を並べても、
意味が全く逆転してしまう場合さえある。
歌やセリフを扱うとなると、なおのこと、
それは、きちんと調整し、大事に翻訳しなければ、
その意味が伝わらない。
それが、まだまだ勉強途中の人が作ることで、
かなり不完全な状態の手話表現になる。
手話の翻訳という以前に、
文として成り立ちにくい表現を教わり、
さらに、手話表現の間違いも指摘してもらえないような、
指導を受けた有名人は、それでも、
指導者を信じているわけだから、
自分の手話の間違いに気が付かない。。。大汗
この状況は、
私から見ると、かなり気の毒だし、
やはり、その行動は、
多くの人を傷つけることにつながりかねない側面もある。
手話を学ぶ、多くの方に、
手話指導などに携わる私から、
お願いがある。
多くの人が、気軽に手話で歌いたいとか、
手話を作ってほしいとか、
手話を勉強している身近な人に、頼みごとをすることは、
ここから先、どんどん増えてくるのだろう。
だが、その時あなたは、ちょっと考えてほしい。
それは、あなたの力の範囲を超えてはいないだろうか?
「 下手でもいいから、手話を教えてください。
そうやって、未熟でも一生懸命やっているアナタが、
教えるのが一番いいのです。」
などといわれ、
その意見に踊らされたりしていないだろうか?
でも、そうした間違った情熱で、最後に傷つくのは、
ほかでもない、それを母語として使っているろう者です。
手話の翻訳、表現方法は、
もちろん人それぞれだが、
それが明らかに、あまりにも至らない状態だったり、
相手に適切な手の動き、形を教えてあげられない状態なら、
どんなに熱い気持ちがあっても、
どんなに頼まれても、
その手話は、教えてはいけません。
友達同士であっても、何か尋ねられたら、
「 私は、こう習ってこう理解しているけど、
それ以上はわからないから、本当に、勉強したかったら、
ぜひ、手話サークルに行ってね。」とか、
「 もし、この手話が、公に使われるものであるなら、
私は、未熟で心配だから、ちゃんと先輩を紹介するね。」
と、
心ある対応をしてもらいたいなあ。
これ、わかりにくい、意見だろうか?
あなたは、どう思う?
実は、今、本当に困っているんだ。汗汗・・・
今日も、長文を読んでくださって、
ありがとうございます。
マネージャーのはっちゃんが、
とっても小さくてかわいい、金太郎あめをくれました。
切っても切っても、同じ図柄が出てくる、
あの、金太郎あめです。
ペットボトルのふたと比べると、とても小さい。
そんな小さなアメなのに、ちゃんと、
ハチ公の顔や、渋谷の漢字や、モヤイの図柄が、
見えています。かわいい!!笑
味も、それぞれ、甘酸っぱくて、おいしかったです。
サンキュー!!
この記事へのコメント
丁度、そのことをお話ししたいなーっと思ってました。
来週まで、ゆっくり考えてみます(^-^)
手話は大切な言葉。ちゃんとしたものを伝えなくてはですよね。私も長文になっちゃいました。
南さんとは、いつもこの手の話で盛り上がっちゃいますが、小学校でもそう。
小学校で働いているので、手話をちょっと教えて!と言われることがしばしば...というか毎年(汗)
以前いた学校では、とことん理由を説明して、地域のろう協とのパイプ役になり、まず依頼するシステムを作りました。
先生たちとしては、他の教科でもそうですが、今は保護者や地域の人にボランティア(無償)で学習の補助に来てもらうのが当たり前になっていて、ろう協とかに頼むと交通費とか取られるし、何せ何週間も前に依頼して内容を打ち合わせしたりが面倒。だったら、毎日いる私みたいな職員や、すぐ来てくれる保護者だったら便利な訳ですよね。
昨年度も依頼がありましたが、もう産休に入った時だったので、手話を教えるんだったら、私ではない方がと前置きした上で、手話を教えるのではなく、うちの子たちを連れて行き、聞こえないパパの存在についてや、パパとの生活についての質問コーナーとしてもらいました。
最近は、説明するパワーも減少していて、違う方法ならと受けちゃうこともあったので、反省です。
ちゃんと理由を説明して理解してもらうのって、ほんとに大変ですよね。そして難しい。何、生意気なこと言ってと思われることもあったり。
でもそれを面倒がってたら、私たちをここまで育ててくれた、ろう者に失礼なことなんだと、今また改めて思いました。
誰かが発信しなければ、理解者は増えていかない...。伝え続けていきましょうね!
教える人のレベルが違います。
非常に困ってますよ
僕自身もまだまだ未熟ですが、その僕から見ても「おかしいやろ!これ!?」って…
なんでこうなるん?って…その後も近くの公民館の教室(?)で、手話を知っているからって講師を引き受けていたりと、間違いだらけの知識を教えていたなんでことまありました(>_<)
手話を知っている
手話が出来る
手話で話が出来る
手話通訳が出来る
全然、違うことに気がついていない人がいるみたいです。
だから僕はなるべくろう者と一緒に講習会などへ行きます。
特に手話表現はろう者に頼み、その通訳と補助に徹するようにしています。
出来ることならろう者に講師の依頼が行けばいいのですが、まだまだそのパイプが出来ていません。
今後の課題です(x_x)
長文になりすみません。
ぜひまた、会った時、
お話聞かせてくださいね。
感謝。
なるほど、そうですね。
手話を教えてもらいたいと思う人もまた、
安易な気持ちの場合がありますもんね。
こういう人たちは、
たとえば、英語などの外国語でも、
同じように、
簡単に、初心者や学習途中の人などに、
指導を頼むでしょうかねえ・・・大汗
いつも、ありがとうございます。
ありがとうございます。
「教える人のレベルが違う」というのは、
「教える人の能力が、必要レベルに達していない」
という意味ですよね・・・・涙
みんなで考えていきたいですね。
そうなんですよ!!!!
一般の手話指導をされている中にも、
危ない(汗)状態の方、確かにおられます。涙
もちろん、初心者でも、
かなりセンスのある方もおられて、
習ったことの芯をうまくとらえ、
間違いなく、次の人に、伝えられれば、
指導者として、
悪いことではないかもしれません。
そういう方なら、
わかること、わからないことも、
はっきり判断でき、
自分でうまくできそうにないときは、
先輩に相談したり、
そういうことができるかと思います。
人材のなかなか見つからない場合、
そういう対応はありです。
でも!!
単にちょっとかじったことがあるだけで、
自分も手話ができる!と勘違いしてしまうと、
とても危険!!汗汗・・大汗 涙涙
そして、
指導者が本当に手話のできる方かどうかを、
見分けるには、
「ろうの方とともに」指導ができるかどうか、
というのは、
大事な基準かもしれません。
このへんのこと、まだまだ、書きたいことは、
いっぱいあるのですが、
また、今後のブログ記事の中で、
取り上げていきたいと思います。
マルさんも、皆さんも、
本当に、いつもありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。
ありがとうございます。
全く激しく同意見です!
そこが気づいていない聞こえる人が多すぎます。
聞こえない私たちから強く伝えて行く、指導していく必要性があると思います。
時間かかるし、根気の要ることばかりだけど、誤解のないようにしなければいけないなと感じています。
そそ、今日のニュースでたまたま観ていたら、安部首相があるところの人混みの中で、「よろしくお願いします」と「こんにちは」の手話で話していたのを発見!
意外でした。
お久しぶりです。
お元気そうで、よかった!
やはりろうの方も、
手話指導者的立場にある方は、
いろいろ悩み事も多いと思います。
ぜひ、一緒に、めげず続けていきましょう。
そうそう、首相も、
手話のあいさつくらいしないと!!笑
ご心配おかけしてすみません。
で、確か…手話講習会の内容とか指導者などのカリキュラムが来年度より変わるとチラッと聞きました。
私、事情によりろう協会を退会したので、指導者は会員で講習会受講した人だけとか、幅狭い条件となっているような気がするのですが…。
私は指導者の資格を持っていないので厳しい面がある。
地元のろう者、だんだんと高年齢化となっていくので、若手のろう者を育て上げていく気配はみえないので、それが心配ですね。
たぶん…全国的にそうかもしれないような気がします。
頭痛の種がどんどんと出てくる感じですね。汗