カウラ 日本人墓地
(ユーカリの木に見守られる広い日本人墓地。)
9日日曜日、
カウラ ウォー セメタリー
(カウラ市にある戦争関係者の墓地)
で、式典が行われました。
オーストラリアのカウラ市は、日本兵たちの大脱走で知られ、
その兵士たちの墓地があることで知られています。
一方、同じ場所には、
当時オーストラリアの敵国人として抑留され、
収容所で亡くなった、
民間日系人が、大勢眠っています。
その一人が、私の祖父 村上安吉です。
村上安吉は、私の実家のある和歌山県串本町から、
移民としてオーストラリアに渡り、
第二次大戦開戦と同時に、敵国人として、
捕虜となって、抑留キャンプで暮らしていました。
安吉は、終戦を待たず、キャンプで亡くなり、
現在、このカウラの墓地に埋葬されています。
こうした多くの民間日系人が、カウラ墓地に葬られていることが、
今回初めて、明らかにされ、
霊園入り口に、新しいインフォメーションボードが設置されました。
その、除幕式が、9日に行われたのです。
今回のオーストラリア行きで、
私が、最も大きな目的の一つとしていたのは、この式典です。
式典では、祖父の生まれた町、
和歌山県 串本町長の挨拶が公表され、
串本ふるさと大使である私が、そのメッセージを、
代読させていただきました。
雨との予報で、心配された天気も、快晴となり、
まぶしい日差しの下で、式典が開幕しました。
カウラ墓地の入り口には、両側にインフォメーションボードが建てられている。
向かって左が、今回新しくできた情報板。
新しいインフォメーションボードには、
大戦中に、捕虜収容所でなくなった民間日系人が、
この墓地にたくさん眠っていることが紹介されている。
今回式典に参加した当事者の中で、83歳で最高齢の、鈴木良子さんが、
インフォメーションボードの除幕を行った。
和歌山県串本町出身 村上安吉の墓
串本ふるさと大使 南 瑠霞が 串本町長 田嶋勝正氏 のあいさつ文を代読。
隣りは、太平洋アジア歴史研究の第一人者、田村恵子さん。
優しく上品な口調の英語で、翻訳スピーチをしてくださいました。
串本町長 あいさつ文
串本町長 あいさつ文英文(翻訳:田村恵子)
真言宗僧侶による読経も。
日本人のほか、外国人僧侶の方もおられ、
心を込めて、お経を唱えてくださいました。
読経前に、
「キリスト教など、別の宗教で亡くなった方もいます。
日本のお経を唱えても、大丈夫ですか?」と、
全員に確認がなされ、
遺族たちはみな誰もが、故郷の伝統を受け継ぐお経を、歓迎しました。
私たちになじみのある、般若心経も、唱えられました。
墓地の近くに、カウラ大脱走で知られる日本兵の収容所跡もあります。
地元から、はるばる海を渡り、
オーストラリアの地に眠っている祖父と、
それを追いかけてきた孫の私のために、
今回の旅を応援してくださっている、
和歌山県串本町長や、町役場の皆さんにも、
心から、御礼申し上げます。
串本町からは、かつて、こうして、
オーストラリアなど、各地に移民した人たちが、
たくさんいます。