たくさんの出会いに感謝!!(オーストラリア旅行前半の素晴らしい出会いをご紹介します。)
オーストラリアの旅、前半。お世話になった皆さんをご紹介します。
私の横に立っておられるのは、今回の、カウラ民間人抑留者に関するシンポジウムの総責任者、カウラ市役所の、ローレンス・ライアンさん。とても優しく、ユーモアあふれる誠実な方でした。
私と同じように、書類を持って隣に立ってくださっているのは、今回、串本町長のご挨拶を、英語に翻訳してくださった 田村恵子さん。太平洋アジアの歴史研究第一人者です。小鳥のような優しい声で、英語でメッセージを読んでくださいました。
一緒に、iPhoneカメラで写真に写ってくださったのは、ヘイ収容所の博物館で、大戦中の抑留者などについて、研究・調査されている、ディビッド・ハウストンさん。オーストラリア・ヘイ生まれ、ヘイ育ち。戦争中5歳だったディビッドさんは、収容所を見ながら大きくなりました。大人になり、同じく成長した、当時捕虜として暮らしていた子供たちとともに、この活動を続けています。とても優しく、楽しい方でした。
ニューカレドニア在住、日本国名誉領事、マリージョゼ・ミッシェルさん。おじいさんが二人とも日本人です。かつてニューカレドニアに移民した日本人の子孫で、大戦により家族がオーストラリアで抑留されていました。ともにシンポジウムで、この問題を考える中で、マリジョーの流した涙を忘れません。
村田ようこさん。現在東京在住です。幼いころ、ニューカレドニアで収容され、私の両親たちと同じ、タツーラ収容所にいました。とても優しい女性です。今回の旅行に際しては、東京でも何度もお会いして、いろんなアドバイスをいただきました。本当に、ありがとうございます。そして、これからも、よろしくお願いいたします。感謝いたします。
天田葉子さん。私に、いろいろ個人通訳をしてくださいました。天田さんにお会いして、言葉を伝える役割の大切さを改めて認識しました。この経験を、日本でも自分の手話の活動に生かしたいと思います。本当に、ありがとうございます。
祖父を通じての、大事な親戚。左がカルビン。右がジュリー。カルビンは、オーストラリア北部・カカドゥ国立公園の、ベテランレンジャー。ジュリーは、動物のお医者さんです。気のいい私のファミリーです。今回、今までより親しくなれて、本当に、うれしかった。
オーストラリア・ビクトリア州・タツーラ町に、タツーラミュージアムという、大戦中の抑留キャンプの歴史を調査・研究している博物館があります。
その博物館の、たぶん館長さん。ルーリーン。この歴史を後世に伝えるため、長く活動されています。
ルーリーンの活動を、支えているやさしい旦那様。私が、訪れた時も、いろいろ調べて、データをまとめて作ってくださいました。本当に、ありがとうございます。
タツーラミュージアムの活動を支え、調査・研究を共に続けている、セーラとケイさん。セーラは、娘さんのシドニーを育てながら、ボランティアとしてこの活動に携わっておられます。ケイさんは、地元の介護施設の看護士さんであり、奥地のタツーラキャンプ跡地に何度も足を運び、たくさんの記録写真を撮っておられるカメラマンでもあります。タツーラの取材に際しては、この二人にたくさんのご協力をいただきました。本当にありがとうございました。
マユ金森。フォトアーティストです。去年の2月、私の実家、和歌山県串本町に尋ねてきてくれました。串本町から海を渡って移民した、私の祖父村上安吉を研究し、その足跡を追いかけてくれています。その時、もたらされた、たくさんの情報をもとに、今回の私のオーストラリアの旅が始まっています。私の人生を変えてくれた人の一人。本当に、ありがとう。
津田睦美さん。ニューカレドニアの日系人抑留の歴史を丹念に調べ、本を出版したり、地道な活動で、今まで見えなかった歴史の扉を開き、私たちに教えてくれている、パワフルな研究者。小さな体にエネルギーがあふれています。本来は、フォトアーティストで、造形学などを日本の芸術系の大学で教えています。今回、旅の中で彼女とたくさん触れ合い、気持ちの面でも情報面でも、とてもたくさん支えてもらいました。本当に、ありがとう。
永田由利子さん。私の和歌山の両親のところにも、何度も取材に来てくださっている、オーストラリア・クイーンズランド大学、元教授。「オーストラリア日系人 強制収容の記録(高文研)」を初めて日本語で出版し、その状況を日本に伝えた人。私の叔父、ジョー村上も、大変お世話になっています。永田さんの調査・研究により、明らかにされたこともたくさんある、執念の研究者。オーストラリア在住。今回の、旅行では、彼女の本こそが、私の心の地図となっています。道中の心配もたくさんしてくださり、感謝。
私の旅も、現在、オーストラリア南部のフィリップ島に入り、昨日から、ようやく初めて観光です!! この島を楽しんだ後は、祖父母が暮らした、西オーストラリア、ブルームに移動します。
皆さん、本当に、ありがとうございます。
私の横に立っておられるのは、今回の、カウラ民間人抑留者に関するシンポジウムの総責任者、カウラ市役所の、ローレンス・ライアンさん。とても優しく、ユーモアあふれる誠実な方でした。
私と同じように、書類を持って隣に立ってくださっているのは、今回、串本町長のご挨拶を、英語に翻訳してくださった 田村恵子さん。太平洋アジアの歴史研究第一人者です。小鳥のような優しい声で、英語でメッセージを読んでくださいました。
一緒に、iPhoneカメラで写真に写ってくださったのは、ヘイ収容所の博物館で、大戦中の抑留者などについて、研究・調査されている、ディビッド・ハウストンさん。オーストラリア・ヘイ生まれ、ヘイ育ち。戦争中5歳だったディビッドさんは、収容所を見ながら大きくなりました。大人になり、同じく成長した、当時捕虜として暮らしていた子供たちとともに、この活動を続けています。とても優しく、楽しい方でした。
ニューカレドニア在住、日本国名誉領事、マリージョゼ・ミッシェルさん。おじいさんが二人とも日本人です。かつてニューカレドニアに移民した日本人の子孫で、大戦により家族がオーストラリアで抑留されていました。ともにシンポジウムで、この問題を考える中で、マリジョーの流した涙を忘れません。
村田ようこさん。現在東京在住です。幼いころ、ニューカレドニアで収容され、私の両親たちと同じ、タツーラ収容所にいました。とても優しい女性です。今回の旅行に際しては、東京でも何度もお会いして、いろんなアドバイスをいただきました。本当に、ありがとうございます。そして、これからも、よろしくお願いいたします。感謝いたします。
天田葉子さん。私に、いろいろ個人通訳をしてくださいました。天田さんにお会いして、言葉を伝える役割の大切さを改めて認識しました。この経験を、日本でも自分の手話の活動に生かしたいと思います。本当に、ありがとうございます。
祖父を通じての、大事な親戚。左がカルビン。右がジュリー。カルビンは、オーストラリア北部・カカドゥ国立公園の、ベテランレンジャー。ジュリーは、動物のお医者さんです。気のいい私のファミリーです。今回、今までより親しくなれて、本当に、うれしかった。
オーストラリア・ビクトリア州・タツーラ町に、タツーラミュージアムという、大戦中の抑留キャンプの歴史を調査・研究している博物館があります。
その博物館の、たぶん館長さん。ルーリーン。この歴史を後世に伝えるため、長く活動されています。
ルーリーンの活動を、支えているやさしい旦那様。私が、訪れた時も、いろいろ調べて、データをまとめて作ってくださいました。本当に、ありがとうございます。
タツーラミュージアムの活動を支え、調査・研究を共に続けている、セーラとケイさん。セーラは、娘さんのシドニーを育てながら、ボランティアとしてこの活動に携わっておられます。ケイさんは、地元の介護施設の看護士さんであり、奥地のタツーラキャンプ跡地に何度も足を運び、たくさんの記録写真を撮っておられるカメラマンでもあります。タツーラの取材に際しては、この二人にたくさんのご協力をいただきました。本当にありがとうございました。
マユ金森。フォトアーティストです。去年の2月、私の実家、和歌山県串本町に尋ねてきてくれました。串本町から海を渡って移民した、私の祖父村上安吉を研究し、その足跡を追いかけてくれています。その時、もたらされた、たくさんの情報をもとに、今回の私のオーストラリアの旅が始まっています。私の人生を変えてくれた人の一人。本当に、ありがとう。
津田睦美さん。ニューカレドニアの日系人抑留の歴史を丹念に調べ、本を出版したり、地道な活動で、今まで見えなかった歴史の扉を開き、私たちに教えてくれている、パワフルな研究者。小さな体にエネルギーがあふれています。本来は、フォトアーティストで、造形学などを日本の芸術系の大学で教えています。今回、旅の中で彼女とたくさん触れ合い、気持ちの面でも情報面でも、とてもたくさん支えてもらいました。本当に、ありがとう。
永田由利子さん。私の和歌山の両親のところにも、何度も取材に来てくださっている、オーストラリア・クイーンズランド大学、元教授。「オーストラリア日系人 強制収容の記録(高文研)」を初めて日本語で出版し、その状況を日本に伝えた人。私の叔父、ジョー村上も、大変お世話になっています。永田さんの調査・研究により、明らかにされたこともたくさんある、執念の研究者。オーストラリア在住。今回の、旅行では、彼女の本こそが、私の心の地図となっています。道中の心配もたくさんしてくださり、感謝。
私の旅も、現在、オーストラリア南部のフィリップ島に入り、昨日から、ようやく初めて観光です!! この島を楽しんだ後は、祖父母が暮らした、西オーストラリア、ブルームに移動します。
皆さん、本当に、ありがとうございます。