ブルーム・ジャパニーズ・セメタリー

オーストラリア・ブルームでは、「ジャパニーズ・セメタリー(Japanese Cemetery)」~日本人墓地にも、寄ってきました。

かつて100年以上前の移民時代(19世紀末)、多くの日本人が、オーストラリア北部や西部に入植しています。彼らの多くは、真珠貝(白蝶貝)の採取のために、海を渡ってきたのです。そうした日本人の墓地が、現在ブルーム市内にあり、墓碑およそ700基が残され、900名以上が埋葬されています。これは、海外の日本人墓地としては、世界最大級だと言われています。

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私の母方の祖父母は、このブルームで、日系人同士で結婚して暮らしていました。祖父の墓は、先日訪れたシドニー奥部のカウラに。祖母の墓は、オーストラリア北部のダーウィンにあります。
ここ、ブルームには、そうした祖父母にゆかりのある方の、お墓もあります。

ドイツ人との間に生まれた祖母(テレサ)を連れた曽祖母と、当時結婚し、幼かった祖母をも深い愛情で包んで育ててくれた、私の義理の曽祖父。村田初造氏。現在の祖母の本籍地は、この村田氏の出身である神戸市となっています。
テレサは、のちに、村上安吉の妻となり、私の母を含む、9人の子供を出産しています。

祖父・村上安吉がオーストラリアに渡った時、もっとも面倒を見てくれた人物が、西岡高蔵氏。その後安吉が、オーストラリアの歴史を残す、多くの写真を撮り続けるきっかけとなった方。
(村上安吉は、100年以上前のオーストラリアの写真を、数多く残したフォトグラファーとして、知られています。)

祖父や祖母の足跡をたどりながら、彼らが出会った多くの人や出来事を知り、その美しい墓地を見渡せば、これは単なる過去ではなく、ブルームやオーストラリアにやってきた、多くの日本人たちが通って来た道そのものであることが見えてきます。一つ一つの墓石から、生前のその人たちが、今にも生き生きと出てきて、歩きだしそうな気がした。それはみな笑顔で、苦労はしたであろうが、決して不幸ではなかった力強い姿となって、私に話しかけてくるようだった。

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