西オーストラリア ろう学校事情
オーストラリアの全人口が2300万人に対し、日本は約1億2500万人。さらに、東京の人口が1200万人くらいだと伝えると、アナベラ校長先生が、「アメージング!」と言った。笑 オーストラリアの人口は、東京都の2倍くらいしかないのだ!!この広大な土地に、その人口!私のほうが、アメージング!!だと思った。笑
今週、オーストラリア・パースにある、モスマンパーク・デフ・スクールに、おじゃましている私に、校長先生が、「もう少し詳しく話したいので、通訳をつけましょう。」と言って、二人の通訳者を呼んでくださった。
一人は、英語からオーストラリアの手話に変えてくれる手話通訳者。そして、もう一人は、パース在住の日本人ろう者。この方は、オーストラリアの手話と、日本の手話の両方ができる。
・・・というわけで、火曜日は、校長先生が英語で話すと、それを次の通訳の方がオーストラリアの手話に翻訳し、それを見た日本人ろう者の方が日本手話に変えるという、2段階の通訳で、内容が私に伝えられた。汗(この日、私は、最終的に日本語ではなく、日本手話で、様々な情報を受け取った。)
かくして、けっこう時間がかかったが、私がここ数日でやりたいことや、今後のスケジュールが、なんとかまとまり、こうした通訳を受けることのなかなかない私は、素晴らしい体験をさせていただいた。
またまた、感動の一瞬をいただき、感謝。
(写真は、向かって左から、日本人ろう者でオーストラリア手話と日本手話ができる原伸男さん。モスマンパーク・デフ・スクール校長アナベラ先生。その次が、私。一番右は、マレーシア出身の英語とオーストラリア手話通訳者デニスさん。)
その後、西オーストラリア・デフ・ソサイアティで、仕事をしている日本人ろう者の原さんに案内していただき、職場や、オーストラリアのろう者の状況を、いろいろ教えていただいた。
オーストラリア全土で、手話を使って暮らしているいわゆるろう者は、少し古いデータらしいが、約15000人。このうち西オーストラリア在住のろう者は、1200人。(このうち、86%がパース在住)
ろう学校は、現在日本と同様、今までのろう児のみを教育する聾学校スタイルから、インテグレーションや他の障害児との統合教育も行う特別支援校体制に、変換中。
古いタイプのろう学校は、まだ、シドニーやメルボルンに残っており、シドニーの3歳~6歳児を扱う幼稚部の学校では、ろうの子供のほか、親がろう者で自身は聞こえるというコーダの子どもなども、手話ができれば、受け入れているというところもある。こういったスタイルは、日本には全くないということを考えると、同じろう学校とは言っても、手話を明らかに「言語」として扱う発想が、オーストラリアには根づいているということができる。
一方、西オーストラリアでは、現在私の通わせてもらっているモスマンパーク・デフ・スクールが、小学校。そのほか、中高生の通う、シェントン・カレッジと、ベルモント・シティ・カレッジというのがあり、そこは、すべて、一般校との併設校で、授業によって、ろう児が集まったり、また、必要な場合は、ろう児が一般の生徒たちと一緒に授業を受けたりしている。
アナベラ先生によると、オーストラリアでは、現在「バイ・カルチャラル教育」という考え方が、浸透しつつあるという。ろう児は、手話という言語を大事にされることを前提に、さらに、一般の子供たちとも触れ合うことが、成長の要素として重要なのだ。そうやって、ろう者の文化、聴者の文化が触れ合い、子供たちが互いの存在に気づきあうことで、教育の大きな成果も上がるとおっしゃっていた。
こうしてみると、オーストラリアの特別支援校という考え方は、言葉の言い回しが同じでも、中身がかなり日本とは違う印象を受けた。日本での特別支援校の発想では、ろう児が一般校の子供たちと触れ合い、インテグレーションを目指した時点で、手話があまりにも希薄になり、結果として聞こえない子供に、口話教育を選ばさざるを得ない傾向にある。
少なくとも、私が見せてもらった、モスマンパーク・デフ・スクールでは、統合教育を目指しながら、一方で、あまりに豊かな手話があふれている。人工内耳を付けて、口話を中心に授業を受けている子にでも、先生方は、自然に手話で話しかけ、子供たち同士は、楽しそうにリズミカルな手話を話し、互いが互いのコミュニケーション方法を理解し、また、どんなに難しい話であっても、小学生たちが、大人の手話通訳者の手話を受け取り、それに対して返事をしたり、質問をしたりしているのだ。「手話という言語」が、子供たちにとって、いかに重要なものかが、伝わってくる。
また、オーストラリアは、多言語国家。もともと、様々な人が様々な言葉を使っていることが前提で、国が成り立っている。パースなどを含むこの地域では「西オーストラリア言語法」という法律が採択されており、何十種類もあるアボリジニのそれぞれの言語なども含め、多数の言語が、法的に保護されている。その流れにそって、ろう者にとっての手話も保障されており、学校では、一人でもろう児が入学すれば、その子のために、手話通訳者が設置されなければならないなど、細やかなルールが敷かれている。こうして、ろうの子供たちは、どの学校に入っても、必要に応じた教育がなされるようになっている。
かくして、私が今のぞかせてもらっているモスマンパーク・デフ・スクールも、同様のルールにのっとって、手話通訳者が、毎日たくさんやってきて、授業などの情報保障にあたっている。(さらに、だからと言って、先生方が手話ができないわけでなく、校長先生はじめ、すべての教員、また事務職員なども、通訳まではできないにせよ、みな手話で子供たちと楽しく会話をしている。手話通訳はあくまで、情報の補強であって、通訳任せにして、ろう学校自体が手話を軽んじているわけではない点も、見逃せない。)
ただ、こうした言語法は、オーストラリア国内でも、州によって、あったりなかったり、扱い方や理解も違ったりしているようだ。今回私が記しているのは、あくまで、西オーストラリア州中心の情報である。
(担任の先生が音声だけで話している時も、横には必ず通訳者がいる。子供たちは、先生の口元を見たり、補聴器から聞こえてくる先生の声を聴いたり、また、手話による情報を受け取ったりしている。ここの公用語は手話である。)
今週、オーストラリア・パースにある、モスマンパーク・デフ・スクールに、おじゃましている私に、校長先生が、「もう少し詳しく話したいので、通訳をつけましょう。」と言って、二人の通訳者を呼んでくださった。
一人は、英語からオーストラリアの手話に変えてくれる手話通訳者。そして、もう一人は、パース在住の日本人ろう者。この方は、オーストラリアの手話と、日本の手話の両方ができる。
・・・というわけで、火曜日は、校長先生が英語で話すと、それを次の通訳の方がオーストラリアの手話に翻訳し、それを見た日本人ろう者の方が日本手話に変えるという、2段階の通訳で、内容が私に伝えられた。汗(この日、私は、最終的に日本語ではなく、日本手話で、様々な情報を受け取った。)
かくして、けっこう時間がかかったが、私がここ数日でやりたいことや、今後のスケジュールが、なんとかまとまり、こうした通訳を受けることのなかなかない私は、素晴らしい体験をさせていただいた。
またまた、感動の一瞬をいただき、感謝。
(写真は、向かって左から、日本人ろう者でオーストラリア手話と日本手話ができる原伸男さん。モスマンパーク・デフ・スクール校長アナベラ先生。その次が、私。一番右は、マレーシア出身の英語とオーストラリア手話通訳者デニスさん。)
その後、西オーストラリア・デフ・ソサイアティで、仕事をしている日本人ろう者の原さんに案内していただき、職場や、オーストラリアのろう者の状況を、いろいろ教えていただいた。
オーストラリア全土で、手話を使って暮らしているいわゆるろう者は、少し古いデータらしいが、約15000人。このうち西オーストラリア在住のろう者は、1200人。(このうち、86%がパース在住)
ろう学校は、現在日本と同様、今までのろう児のみを教育する聾学校スタイルから、インテグレーションや他の障害児との統合教育も行う特別支援校体制に、変換中。
古いタイプのろう学校は、まだ、シドニーやメルボルンに残っており、シドニーの3歳~6歳児を扱う幼稚部の学校では、ろうの子供のほか、親がろう者で自身は聞こえるというコーダの子どもなども、手話ができれば、受け入れているというところもある。こういったスタイルは、日本には全くないということを考えると、同じろう学校とは言っても、手話を明らかに「言語」として扱う発想が、オーストラリアには根づいているということができる。
一方、西オーストラリアでは、現在私の通わせてもらっているモスマンパーク・デフ・スクールが、小学校。そのほか、中高生の通う、シェントン・カレッジと、ベルモント・シティ・カレッジというのがあり、そこは、すべて、一般校との併設校で、授業によって、ろう児が集まったり、また、必要な場合は、ろう児が一般の生徒たちと一緒に授業を受けたりしている。
アナベラ先生によると、オーストラリアでは、現在「バイ・カルチャラル教育」という考え方が、浸透しつつあるという。ろう児は、手話という言語を大事にされることを前提に、さらに、一般の子供たちとも触れ合うことが、成長の要素として重要なのだ。そうやって、ろう者の文化、聴者の文化が触れ合い、子供たちが互いの存在に気づきあうことで、教育の大きな成果も上がるとおっしゃっていた。
こうしてみると、オーストラリアの特別支援校という考え方は、言葉の言い回しが同じでも、中身がかなり日本とは違う印象を受けた。日本での特別支援校の発想では、ろう児が一般校の子供たちと触れ合い、インテグレーションを目指した時点で、手話があまりにも希薄になり、結果として聞こえない子供に、口話教育を選ばさざるを得ない傾向にある。
少なくとも、私が見せてもらった、モスマンパーク・デフ・スクールでは、統合教育を目指しながら、一方で、あまりに豊かな手話があふれている。人工内耳を付けて、口話を中心に授業を受けている子にでも、先生方は、自然に手話で話しかけ、子供たち同士は、楽しそうにリズミカルな手話を話し、互いが互いのコミュニケーション方法を理解し、また、どんなに難しい話であっても、小学生たちが、大人の手話通訳者の手話を受け取り、それに対して返事をしたり、質問をしたりしているのだ。「手話という言語」が、子供たちにとって、いかに重要なものかが、伝わってくる。
また、オーストラリアは、多言語国家。もともと、様々な人が様々な言葉を使っていることが前提で、国が成り立っている。パースなどを含むこの地域では「西オーストラリア言語法」という法律が採択されており、何十種類もあるアボリジニのそれぞれの言語なども含め、多数の言語が、法的に保護されている。その流れにそって、ろう者にとっての手話も保障されており、学校では、一人でもろう児が入学すれば、その子のために、手話通訳者が設置されなければならないなど、細やかなルールが敷かれている。こうして、ろうの子供たちは、どの学校に入っても、必要に応じた教育がなされるようになっている。
かくして、私が今のぞかせてもらっているモスマンパーク・デフ・スクールも、同様のルールにのっとって、手話通訳者が、毎日たくさんやってきて、授業などの情報保障にあたっている。(さらに、だからと言って、先生方が手話ができないわけでなく、校長先生はじめ、すべての教員、また事務職員なども、通訳まではできないにせよ、みな手話で子供たちと楽しく会話をしている。手話通訳はあくまで、情報の補強であって、通訳任せにして、ろう学校自体が手話を軽んじているわけではない点も、見逃せない。)
ただ、こうした言語法は、オーストラリア国内でも、州によって、あったりなかったり、扱い方や理解も違ったりしているようだ。今回私が記しているのは、あくまで、西オーストラリア州中心の情報である。
(担任の先生が音声だけで話している時も、横には必ず通訳者がいる。子供たちは、先生の口元を見たり、補聴器から聞こえてくる先生の声を聴いたり、また、手話による情報を受け取ったりしている。ここの公用語は手話である。)