袴田事件に思うこと
今週、静岡地裁の再審開始決定を受け、
釈放された元プロボクサーの袴田巌さんが、
東京・後楽園ホールで行われた「ボクシングの日」の
ファン感謝イベントに出席。
世界ボクシング評議会(WBC)から贈られた
「名誉チャンピオンベルト」を受け取りました。
にこやかに腕を上げた、老いた袴田さんの笑顔をみると、
胸が痛くなりました。
日本、そして世界のボクシング関係者も、
声援を送っているこの事件は、
なんと、1966年の出来事。
静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件。
裁判で、死刑が確定していた袴田 巖
(はかまだ いわお/1936年生)さんが、
48年(およそ50年!!)にわたり、
冤罪を訴え続け、
今年、ほんのつい先日、
2014年3月に、再審が決定されたものです。
袴田さんは、現在、78歳になっておられ、
その、長い戦いに対し、
WBCが贈ったのが、今回のチャンピオンベルトです。
袴田さんは、釈放された現在も、
高齢と、長年の拘置による後遺症もあって、
周りの人と、うまくコミュニケーションが取れないなど、
精神的にも、たくさんの問題を抱えておられます。
現在は、そうした健康を取り戻すために、
ご家族や支援者の皆さんと共に、
さらに、必死に戦っておられます。
当時の、警察・検察・司法によって、
50年もの間、冤罪をかぶせられ、苦しみ、
夢もあった若き青年が、
結婚をするチャンスさえ与えられることなく、
80歳近い年齢になって、釈放されたこと、
今から、何が、取り戻せるのかと想像すると、
同情以上に、
怒りの感情を抑えきれない思いでいっぱいです。
さらに、長きにわたり、
無実を信じ、それを訴えづづけてきた、
ご家族、関係者、支援者の皆さんの、
並々ならぬ、根強い活動の継続に、
心から敬意を表します。
釈放されてなお、ここから、再審あり、
また、本当の意味での袴田さんの人生を、
取り戻すための、日々が待つ中で、
皆さんのお疲れも、さぞやと想像するとまた、
こちらも、
すべてが50年前の、
判決によって引き起こされたことだとすれば、
許されざることであると感じます。
心から、すべてがよき方向へ!と、
願ってやみません。
さて、話は少し変わりますが、
当然、私たち手話通訳者にとって、
ろう者の刑事事件、裁判等もまた、
見てみぬふりのできぬことの一つです。
ちょっとした、読み取りや伝え方のニュアンスの違いで、
裁判の行方を大きく左右したり、
ろう者自身の常識が疑われたりするうえ、
裁判員の心証を考えれば、
通訳のあり方は、
被告人の運命を大きく揺るがすものであり、
責任重大な問題です。
東京では、おおむねこういった、
命を左右する通訳は、
東京都登録通訳者が担っています。
各裁判所では、
手話通訳者たちが、神経をすり減らしながら、
公正な裁判が行われるよう、
細心の注意を払って、
通訳を行っています。
こうした日々を思うと、
日ごろ、通訳の試験に受かったかどうかで、
一喜一憂するような、
私たちの悩みは些細なことであり、
試験に合格した後のほうが、
むしろ、深刻な、重大な問題を突き付けられ、
「自分の一言が、本当に正しかったのか?」
と自問自答することも、数多くあり、
それが、まさに現場であり、
そこには、ささやかなテストのような、
いわゆる『正解』というものも、
ないというのが、現実です。
袴田さんの事件を思いながらまた、
手話通訳者がどうあるべきかと、
思いをめぐらし、
名誉チャンピオンベルトの重みは、
命の重みであり、
それは、多くの人の「正義」に支えられ、
たとえ、当時は「正義でない」とされたことさえ、
くつがえし、
「本当の正義」を導き出し、
ここまで、迷路のような毎日を歩んでこられた、
本人、また、ご家族・関係者の、熱い思いこそが、
また、
私たち、通訳者一人一人にも問いかけられている、
大事なものなのだと感じずにはおられません。
何か、とりとめもないことをたくさん書きましたが、
あなたの、手に指に、
大事な人の命が乗っているとちょっと感じてみれば、
通訳者を目指す時、
試験の合否にこだわる前に、
見落としてはならないものが、
あるように思います。
何度でも言いますが、
手話を学ぶ目的は、
「手話通訳士」「手話通訳者」のみを、
目指すものではないと思います。
その前に、手話とは、
人と人が関わり、友情や愛情を育てるための、
大切な言葉であることを、忘れてはなりません。
その中で、通訳者を目指すあなたは、
最初にはぐくんだ、大事な大きな愛情を、見失うことなく、
いろんな勉強を積んでいってほしいと思います。
資格を取るために大事なものは、
「試験合格」という看板を得ることでは、
ないように思います。
釈放された元プロボクサーの袴田巌さんが、
東京・後楽園ホールで行われた「ボクシングの日」の
ファン感謝イベントに出席。
世界ボクシング評議会(WBC)から贈られた
「名誉チャンピオンベルト」を受け取りました。
にこやかに腕を上げた、老いた袴田さんの笑顔をみると、
胸が痛くなりました。
日本、そして世界のボクシング関係者も、
声援を送っているこの事件は、
なんと、1966年の出来事。
静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件。
裁判で、死刑が確定していた袴田 巖
(はかまだ いわお/1936年生)さんが、
48年(およそ50年!!)にわたり、
冤罪を訴え続け、
今年、ほんのつい先日、
2014年3月に、再審が決定されたものです。
袴田さんは、現在、78歳になっておられ、
その、長い戦いに対し、
WBCが贈ったのが、今回のチャンピオンベルトです。
袴田さんは、釈放された現在も、
高齢と、長年の拘置による後遺症もあって、
周りの人と、うまくコミュニケーションが取れないなど、
精神的にも、たくさんの問題を抱えておられます。
現在は、そうした健康を取り戻すために、
ご家族や支援者の皆さんと共に、
さらに、必死に戦っておられます。
当時の、警察・検察・司法によって、
50年もの間、冤罪をかぶせられ、苦しみ、
夢もあった若き青年が、
結婚をするチャンスさえ与えられることなく、
80歳近い年齢になって、釈放されたこと、
今から、何が、取り戻せるのかと想像すると、
同情以上に、
怒りの感情を抑えきれない思いでいっぱいです。
さらに、長きにわたり、
無実を信じ、それを訴えづづけてきた、
ご家族、関係者、支援者の皆さんの、
並々ならぬ、根強い活動の継続に、
心から敬意を表します。
釈放されてなお、ここから、再審あり、
また、本当の意味での袴田さんの人生を、
取り戻すための、日々が待つ中で、
皆さんのお疲れも、さぞやと想像するとまた、
こちらも、
すべてが50年前の、
判決によって引き起こされたことだとすれば、
許されざることであると感じます。
心から、すべてがよき方向へ!と、
願ってやみません。

さて、話は少し変わりますが、
当然、私たち手話通訳者にとって、
ろう者の刑事事件、裁判等もまた、
見てみぬふりのできぬことの一つです。
ちょっとした、読み取りや伝え方のニュアンスの違いで、
裁判の行方を大きく左右したり、
ろう者自身の常識が疑われたりするうえ、
裁判員の心証を考えれば、
通訳のあり方は、
被告人の運命を大きく揺るがすものであり、
責任重大な問題です。
東京では、おおむねこういった、
命を左右する通訳は、
東京都登録通訳者が担っています。
各裁判所では、
手話通訳者たちが、神経をすり減らしながら、
公正な裁判が行われるよう、
細心の注意を払って、
通訳を行っています。
こうした日々を思うと、
日ごろ、通訳の試験に受かったかどうかで、
一喜一憂するような、
私たちの悩みは些細なことであり、
試験に合格した後のほうが、
むしろ、深刻な、重大な問題を突き付けられ、
「自分の一言が、本当に正しかったのか?」
と自問自答することも、数多くあり、
それが、まさに現場であり、
そこには、ささやかなテストのような、
いわゆる『正解』というものも、
ないというのが、現実です。
袴田さんの事件を思いながらまた、
手話通訳者がどうあるべきかと、
思いをめぐらし、
名誉チャンピオンベルトの重みは、
命の重みであり、
それは、多くの人の「正義」に支えられ、
たとえ、当時は「正義でない」とされたことさえ、
くつがえし、
「本当の正義」を導き出し、
ここまで、迷路のような毎日を歩んでこられた、
本人、また、ご家族・関係者の、熱い思いこそが、
また、
私たち、通訳者一人一人にも問いかけられている、
大事なものなのだと感じずにはおられません。
何か、とりとめもないことをたくさん書きましたが、
あなたの、手に指に、
大事な人の命が乗っているとちょっと感じてみれば、
通訳者を目指す時、
試験の合否にこだわる前に、
見落としてはならないものが、
あるように思います。
何度でも言いますが、
手話を学ぶ目的は、
「手話通訳士」「手話通訳者」のみを、
目指すものではないと思います。
その前に、手話とは、
人と人が関わり、友情や愛情を育てるための、
大切な言葉であることを、忘れてはなりません。
その中で、通訳者を目指すあなたは、
最初にはぐくんだ、大事な大きな愛情を、見失うことなく、
いろんな勉強を積んでいってほしいと思います。
資格を取るために大事なものは、
「試験合格」という看板を得ることでは、
ないように思います。
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