♪~ でも~ 私の声が聴こえないから! ~♪ 大汗!!

全国で、子供たちに手話を教えている多くのみなさん!!
手話の間違いを直してください。

今、手話で子供たちとうたう歌で
人気の高い「魔法の言葉」という歌、
ご存知でしょうか?

聴こえる子が、友達の耳が聴こえないので、
魔法のように素敵な言葉「手話」を覚えて、話したいと、
歌っています。
心温まる歌ですね。

まほう.png

その歌詞の中に、
「でも~、私の~声が~、聴こえないから~♪」
という一節があります。
これは、『自分の声が、耳の悪いお友達に聴こえない』
だから、手で話したい!
と歌っている部分です。

あー、知ってる知ってる!
という方も、いらっしゃると思います。

さて、
この部分に、多くの人が、
「でも・私・声・聴こえない・だから」
という手話を付けて歌っています。

でも、この手話、
間違ってま~~~~~~~~~~~~~す!!大汗

この手話を、日本語にすると、
「でも、私は声が聴こえないから」となります。
たしか、お友達の耳が聴こえなかったはずなのに、
この手話では、
「私の耳が聴こえない」ことになってしまっています。
翻訳、完全にさかさまで―――――す!!!

あ!
と気づいた方、
夏休みの子供手話講座で、手話の歌を担当していたりしませんか?
ぜひ、この夏を機会に、
訂正をお願いします。

では?
どうやったら、ちゃんと、
お友達の耳が聴こえないことがわかる手話文になるのか?
それは、みなさん、せっかくですから、
地元で、それぞれ勉強してみてくださいね。

とにかく、今のままじゃ、
ダメですから~~~~~~~~~~~~~~~~!!大泣

手話.png

今週、伺った手話サークルで、
素晴らしいろうの先生が、
とても良い例文をたくさん教えてくださいました。

A「佐藤さんが、車を買った。」
B「佐藤さんの、車を買った。」

A「わたしの母と、姉が、ハワイに行った。」
B「私と、母の姉が、ハワイに行った。」

A「学校へ、案内する」
B「学校を、案内する」

それぞれ、A Bで、手話表現は、違います。
(同じだったら、意味が読み取れなくて、困りますもんね。笑)

さあ、これができたら、上の歌も簡単!!

A 「でも、私<の>声が聴こえないから」
B 「でも、私<は>声が聴こえないから。」

たった一文字の助詞の違いで、意味は大違いですね。
これを見落として、訳しても、手話の意味は伝わりません。
この違い、どうやって表現したらいいでしょう?

わ~、わからない!・・・と、思った方は、
ろうの先生や、手話通訳の先輩のところに走って行ってくださいっ!!

この夏は、熱い夏になりそうだ!!汗&笑

この記事へのコメント

suechan
2014年07月26日 10:14
私が手話を覚えたいo(^o^)o……と…思ったきっかけは2つ♪
1つは…食事にいらっしゃるろうのお客さんと会話したい!…その夢は!先日!ついに!実現出来ました♪…突然の豪雨…雨が降って来た事!傘を持ってますか!?…など会話のあと、お会計も手話で表現してみました♪…勉強頑張ってq(^-^q)と言って頂けました♪…嬉しくて泣きました~(笑)
2つめは…いつか♪…ずっと先のいつか!!
嵐のhappinessを手話で小さな子ども達と♪
手話で歌って踊りたいo(^o^)o…です♪
その為にも…手話勉強してから♪…ちゃんと意味を理解してから♪…間違った伝えかたをしないように♪…と勉強に励んでます(笑)
つまずいてばっかりですが…手話の勉強を通して♪知り合えた方々との!!出逢いに感謝しながら♪
また♪頑張ってo(`^´*)勉強しよっっq(^-^q)って…思う私です(^○^)

手話で歌って踊りたいです(^○^)
りな
2014年07月26日 14:50

こんにちは!
お久しぶりのコメントですm(__)m

せっかくの素敵な歌が、助詞一つで真逆の意味の歌詞になってしまうなんて悲しいですねΣ(ノд<)

私はまだまだ勉強不足なので、どう表現すればいいのかわかりません(>_<)
誰か教えてくださ~い!ε=ε=┏(;・_・)┛汗


話は変わりますが、今年も手話ミュージカルに行きたいと思い、現在スケジュールを調整中です(^-^;
今年も南さんやきいろぐみのみなさんにお会いできたら嬉しいなぁと思っています♪

南さんのこのブログで、ミュージカルの稽古の写真を見せていただいて、以前一緒に手話教室で学んでいたみなさんの姿もちらほら写っていて、なんだか嬉しくなりました♪(*^_^*)

暑い日が続きますので体調にはお気をつけて……ミュージカルに向けて頑張ってください!!
応援しています☆(^o^)/
南 瑠霞本人
2014年07月27日 09:50
suechan すごいですね。
手話でいい出会いがあって、
うれしいですね。
歌も、みんなで言葉を大事に、
作っていきましょう。
ありがとうございます。
南 瑠霞本人
2014年07月27日 09:52
りなさん、いつもありがとうございます!!
手話の歌は、きちんと翻訳ができないと、
難しいですよね。
みんなで、大事にやっていきたいです。
手話ミュージカル ぜひ、来てくださいね。
みんなで、待ってます。
世田谷から愛をこめて!!感謝。
ラングレー
2014年07月27日 18:18
この歌は、知りません汗
ということで、YOUTUBEで公開されているものを見たら、
確かに変ですね。

自分なら、
歌詞に忠実に行うなら、位置・方向を考慮した表現
又は
本来の意味で表現(歌詞は無視するので、歌いながらの表現は無理かも・・・)
ですかね・・・

いつもながら、思うんですが、
日本語って凄いんだけど、難しい泣
南 瑠霞本人
2014年07月28日 00:25
ラングレーさん、
いつもありがとうございます。
この歌の場合、
あきらかに、完全に間違った翻訳が、
広がってしまった悪い例です。
この歌は、
手話の良さを生かした表現で、
単語を一つ差し替えれば、
ちゃんと表現できます。
それも、気づけない状態で、
小学校などに手話指導に行ってしまうのは、
大変危険ですし、
やってはならないことだと私は思っています。
これが英語だったら、
多くの人が
「おかしい!」と問題視するところを、
手話だから見過ごされているとしか思えません。
もうそろそろ私たちは、
「いいことをしている」
という思いで、手話をやることは、
やめてもいい時期だと思っています。
いわゆるお手本となる
良い手話を広めることは、
手話の先輩たちの
とても大事な課題ですし、
当たり前のことです。
そこを大事に、
みんなで手話の輪を広げていければいいなと
思っています。
コツコツ頑張りたいですね。
本当に、ありがとうございます。
ラングレー
2014年07月28日 10:05
まぁ、(良し悪しの)日本の性格かもしれないですが・・・汗&泣

「おかしい」と気づいて指摘をする場が、手話サークルだと、
ベテランから「間違っていない」と言いくるめられる可能性も有ります。
(実は、ろう者もナァナァ(「まぁいいか」と)になっている時も。
 ケンカしたくないからでしょうね(前記事注目(笑))

そのベテランが、手話歌の本質を理解していないのに、翻訳している・・・・
で、それを見たみんなが誤ったものを広めてしまう・・

普段の会話の手話通訳よりも、慎重かつ確認が必要であるにも関わらず
(短いメロディーの間で、歌詞の意味を伝えるわけなので)。

手話歌には、手話パフォーマンスや手話劇以上の手話表現力が、
ホントは必要なのかも。
(手話パフォーマンス等は表現力が有れば有るほど、
 少しの表現(動き)で、沢山のものが伝わるのは身に染みていますので。
 それよりも狭い空間から(で)、伝えなければいけないのが手話歌と思いますから)

南 瑠霞本人
2014年07月28日 23:27
ラングレーさん、
経験者ならではのコメント、
ありがとうございます。
たしかに、翻訳や、手話歌は、
奥深い!
みんなで、一生懸命、考えていきましょう。
感謝!!
きゃぶ
2014年07月30日 02:23

>A「わたしの母と、姉が、ハワイに行った」
>B「私と、母の姉が、ハワイに行った」

これ、読み取りがホントーに難しかった!

アメリカ手話の話ですが、
ワシントンDC・ギャローデット大学の
ストーキー先生という、
手話の構造を調べていた学者の経験談で、
(冷たい風で)顔が赤くなった、という英文を
ネイティブのろう者に訳させると、
(中には英語っぽく「顔/なる/赤」とする人もいたが)
ほとんどは「顔/赤」だけで終わり。

彼らは「顔が赤い」と「顔が赤くなる」を
どうやって見分けているのか?
と頭を抱えたそうです。

正解は「もうひとつの手話」(斉藤道雄・著)
の3章をご覧ください。

いやー、ろう者の皆さんには辛抱を強いて申し訳ない…
mame
2014年07月31日 20:29
初コメントさせていただきます。
先日のたんぽぽサークルの講演会参加させていただき感動いたしました。ありがとうございました。日本はまだまだ、ろう者に対する理解も配慮も足りないと実感しました。
魔法の言葉♪の手話表現にについて 、いろいろな方にお聞きしました。そんな時、ある年配の、ろう者の方が20年近く前の古い冊子のような「魔法の言葉」の手話ステップ表を持ってこられました。
その中に、手話表現を作った方の解説が掲載されていましたので紹介します。

まほうのことば

沖縄のシンガーソングライター鉢領元治さんの作品です。
この歌は、こどもから大人までリズミカルなテンポで、ろう学校でも幼稚部から高等部まで一番人気があります。
ある時、この曲を踊っていた、ろうの人が、歌詞をゆっくり読んでから、「あら♪私の声が聞こえないから♪だったのね」と言いました。「えっ、なぜ?」って聞くと、「私は、今の今まで♪私は声が聞こえないから♪だと思っていたのよ」という返事でした。
なるほど「私の」と「私は」では、立場が逆転しますが、それぞれの立場で解釈して踊るのもいいですね♪
私の声が聞こえないから↓
♪「私」「声」「聞こえない」「だから」
という手話で表現しているので
このような、それぞれの解釈が生じる訳です。


冊子には、このような説明文が書かれていました。

南さんにお伝えしたくてblogに、コメントさせていただきました。


南 瑠霞本人
2014年07月31日 23:34
きゃぶさん、いつもありがとうございます。
みんなで、いっぱい勉強したいですね。
南 瑠霞本人
2014年07月31日 23:58
mameさん、ありがとうございます。
それは、解釈の違いや誤解でなく、
ろうの方の反応のほうが、自然ですね。笑

それぞれの立場で・・というより、
これは、まさに、翻訳の間違い!

これが、手話通訳であったなら、
重大な失敗エピソードの一つになる問題です。
だって、まったく聞こえない人の立場が、
逆転してしまっているのですから。大汗

もしこれを、コメントのように、
正しいとしたいなら、
いかなる場合も、歌詞自体に、常に必ず、
(聴こえない人の立場の役の人が、
この手話を表現する)
という注釈がきちんと必要です。
また、そうした注釈をつけないで、
放置すれば、
この手話を歌った子供たちのすべてが、
「でも 私 声 聴こえない だから」
という手話の意味を、
「でも、私の声が聴こえないから」
だと思い込んでしまいます。

この間違いこそが、
多くの人が、今、手話を学んで、大混乱し、
「ろう者の手話が読めない」
「こんなに勉強したのに、ろう者に通じない」
と悩んでいる、
大もとなのです。

手話には文法があります。
それを無視して、
手話の単語だけつけて、歌っても、
それは、本来、
手話の立場から見れば、
歌詞にさえなっていません。

手話を学ぶ私たち一人一人は、
このことを大事に大事に、
心にとめておかなければいけません。

この歌詞の手話は、
間違えているのです。

かつて、東京都でも、
通訳者の間違いが、
大混乱をきたしたことがあります。
「ろう学校が、3つ減る。」
「ろう学校が、3つに減る。」
似ていて全く違うこの文。
これを、上記の歌と同じように、
「ろう学校 3 減る」
と、訳してしまったことから、
本当は、
9校あったろう学校が、
3つ減って、6校になるのか、
最終的に、3校だけになるのか、
全く、ろう者に通じず、
教育委員会の説明現場で、
大騒ぎになったことがあるのです。

私達は、こうした問題に、
もっと敏感であるべきであり、
大事に大事にしなければいけないことだと思います。


こうした問題をはらんだ手話の歌は、
歌だからとゆるすというのでなく、
みんなでもっともっと、
素敵な手話の歌づくりを目指して、
勉強していった方がいいと思います。

手話と日本語は、
文法も表現も違う、
別言語だと、
もうすぐ法律もできるのなら、
なおのこと、
みんなで大事に考えたいですね。

それをみんなで勉強して、
理解し合える世の中になっていくといいなと思います。


人気の歌であればあるほど、
その責任は重い。
というのが、私の考えです。

本当に、ありがとうございます。

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