声を出すべきか?消すべきか?~ろう者の友人の悩み
ここ数日、何人かのろうの友達と話していて、
みんなが同じように悩んでいる問題について、
別々の機会に聞きました。
「私、耳が完全に聴こえないのだけど、
子どものころからの訓練のおかげで、
発声(良い発音で話すこと)ができるの。
それは、本当に良いことで、
親や先生方には、心から感謝している。
発声ができることで、
周りの人にも、こちらの言いたいことが、
はっきり伝えられて、便利なこともいっぱいある。
でもね、
私が上手に声で出すと、
周りの人が、みんな、
『私が聴こえないってこと忘れてしまう』みたい。
手話のできる人でも、いつの間にか、
音声だけで話して、手話を使わなくなってしまう。
手話を習いたての人は、なおさらで、
手話をほとんど覚えなくなってしまう。
そして、私との会話から、
手話がなくなる・・・・
そうなると、私は、みんなの話がわからなくて、
話についていけなくなる。
とても寂しく感じることが、よくあるんだ。
私は、本当は、声を出すべきなのかな?
それとも、出さない方がいいのかな?
・・・・」
こう悩むろうの友人たちは、
聴こえる友達に苦労をかけまいと、
相手に合わせて、
音声で話すことを選んでいる人も少なくありません。
いくら勉強中とはいえ、
慣れない手話を、聴こえる相手に読み取らせるのは、
申し訳ないと思い、
優しい気持ちから、声で話しているのです。
ところが、そうすればするほど、
自分が聴こえないということを、
忘れ去られてしまい、
手話の存在が、なくなってしまう・・
私の友人・知人たちの中には、
こうした悩みを抱える中で、
自分がろう者であることを、
周りに自然に受け止めてほしくて、
音声で話すことをやめてしまった人もいます。
これも一つの勇気ある選択です。
誰が悪いわけでもないし、
どうするのがいいのかという正解もない。
人によって解決方法も違うであろう、この悩み。
現在、聴覚障害者・ろう者の心理研究の中でも、
これは、大きな問題として、
取り上げられることがよくあります。
そうなったとき、私だったら、
どうするだろう・・・・
と、思わされる問題です。
手話を学ぶあなた、
ぜひ、参考にしてくださいね。
日常、手話で生活しておられるろうの方の中にも、
声で話すことがうまい方が、たくさんおられます。
そういった方々にとっても、
手話はなくてはならない言葉。
大事な大事なものなんですよね。
一緒に考えていきましょう。
(事務所の近所の道に、柿の葉っぱが色づいて落ちていました。)
みんなが同じように悩んでいる問題について、
別々の機会に聞きました。
「私、耳が完全に聴こえないのだけど、
子どものころからの訓練のおかげで、
発声(良い発音で話すこと)ができるの。
それは、本当に良いことで、
親や先生方には、心から感謝している。
発声ができることで、
周りの人にも、こちらの言いたいことが、
はっきり伝えられて、便利なこともいっぱいある。
でもね、
私が上手に声で出すと、
周りの人が、みんな、
『私が聴こえないってこと忘れてしまう』みたい。
手話のできる人でも、いつの間にか、
音声だけで話して、手話を使わなくなってしまう。
手話を習いたての人は、なおさらで、
手話をほとんど覚えなくなってしまう。
そして、私との会話から、
手話がなくなる・・・・
そうなると、私は、みんなの話がわからなくて、
話についていけなくなる。
とても寂しく感じることが、よくあるんだ。
私は、本当は、声を出すべきなのかな?
それとも、出さない方がいいのかな?
・・・・」
こう悩むろうの友人たちは、
聴こえる友達に苦労をかけまいと、
相手に合わせて、
音声で話すことを選んでいる人も少なくありません。
いくら勉強中とはいえ、
慣れない手話を、聴こえる相手に読み取らせるのは、
申し訳ないと思い、
優しい気持ちから、声で話しているのです。
ところが、そうすればするほど、
自分が聴こえないということを、
忘れ去られてしまい、
手話の存在が、なくなってしまう・・
私の友人・知人たちの中には、
こうした悩みを抱える中で、
自分がろう者であることを、
周りに自然に受け止めてほしくて、
音声で話すことをやめてしまった人もいます。
これも一つの勇気ある選択です。
誰が悪いわけでもないし、
どうするのがいいのかという正解もない。
人によって解決方法も違うであろう、この悩み。
現在、聴覚障害者・ろう者の心理研究の中でも、
これは、大きな問題として、
取り上げられることがよくあります。
そうなったとき、私だったら、
どうするだろう・・・・
と、思わされる問題です。
手話を学ぶあなた、
ぜひ、参考にしてくださいね。
日常、手話で生活しておられるろうの方の中にも、
声で話すことがうまい方が、たくさんおられます。
そういった方々にとっても、
手話はなくてはならない言葉。
大事な大事なものなんですよね。
一緒に考えていきましょう。
(事務所の近所の道に、柿の葉っぱが色づいて落ちていました。)
この記事へのコメント
いつも拝見しております。
僕は難聴です。
今回読んで良かったと思っています。
同じ悩み?の人がいるとは思わなかったから。
というのは
僕は元々聞こえが悪いのですがかろうじて大きな声は聞こえていました。
10歳の時にはじめて耳鼻科へいき
聾と同じと診断をうけました。
その時から補聴器を使っています。
ずーっと普通の学校にいっていたので
手話の存在をしりませんでした。
社会に出てから手話をしり
簡単な手話を学びにいきました。
社会にでると
本当に悩みます。
手話ができなくて
なまじ聞こえるから
いっそのことまったく聞こえないほうが良かったと
思ったことさえ何度も
聞こえない人からしたら
贅沢な悩みだと思うのでしょうか?
健聴者は忘れるんですよね。
普通に流暢に話せるから
今も僕の課題です。
どうやったら理解されるのでしょう。
僕も参考にさせて頂きたいです。
そうなんです。
この問題は、以前から、
多くの聴こえない友人から聞いています。
解決の仕方は、それぞれなので、
絶対的な答えもないのですが、
私たち聴こえるものも、
そうした悩みにも、耳を傾けていかなければ、
本当の友達にはなれないなと感じています。
もちろん聴こえる聴こえないにかかわらず、
一人一人の人には様々な悩みがつきものですが、
そういうことにも、
寄り添っていける仲間がいるということは、
互いにとても大事なことですよね。
みんなで一緒にいろいろ考えていきましょう。
ありがとうございます。
感謝。
友人の両親がろう者です。
父上はろうあ運動の先駆者の一人でもあり、
とてもキレイな発話ができます。
助かってます。
でも私は、できるだけ父上には近づかない
ようにしています(苦)
なぜって、声で話せるってことは、
こちらの読み取り力が低くっても
なーんとなく通じたような気がして
しまうから。
発話が上手なろう者は確かに
世間からは重宝されると思います。
場合によっては、ろう ⇔ 聴 間の
通訳を任されたりしてます。
でも手話を世間に意識させる点では
残念ながらプラスには働いていない。
ジャッキー・チェンは日本語、話せないけど、
日本語の聞き取りはバッチリだそうです。
だから通訳は広東語→日本語のみの
翻訳を任されている。
彼が出ている日本のバラエティ番組を見てると
本当に参考になります。
読唇や発話に長けたろう者の状況と
そっくりだから。
良い問題提起に感謝します。
ろう者の友人です。笑
みんなの悩みをいろいろ聞いて、
こうしたこと、ぜひ、
手話を学ぶ多くの人にこそ、
真剣に考えてもらいたいと思いました。
みんなの言うボランティアって、
どんなことを言っているのでしょうか?
結局、聴こえない人が声を出せることに安心して、
それ以上、
聴こえないことの意味を、
考えなくなってしまっている人も大勢います。
本当に、これでいいのでしょうか?
それは、本当に、
その人がやりたかった、
ボランティアなのかしら?
なんて思ったら、
ちょっともったいないなと思いました。
皆さんにも、
いろいろ考えていただきたいですね。
感謝。