向井理くんとブルーム

この前、若者たち2014の撮影で、
となりのスタジオにいた 向井理くんにお会いしました。
相変わらずの、さわやかで飾らない語り口で、
久しぶりにお会いした感じがしませんでした。

向井君とは、MBSの「花嫁の父」で、
1年間の撮影をご一緒させていただき、
隅田川や、雪国の新潟などに、ともに何度か足を運びました。

秋になり、
夏の大きなイベントや、次々やってきた
いろんな撮影もひと段落したので、
今、資料などもいろいろ片付けているのですが、
いろんな台本の隙間から、こんな紙が出てきました。

IMG_9009.jpg

花嫁の父で、一番最初に、
向井君が、ろう者の江副君と一緒に話しながら、
手話を勉強した時のメモです。
これは、私が、次回会うときの向井君の復習用に、
覚えたことをきちんととどめておこうと思って書いたものです。
名前や、趣味、
また一緒に勉強したスタッフの方の住所なども、メモされています。
これは、向井君が、一番最初に、
ろう者スタッフと話した時の大事な記録なので、
ファイルにはさんで、
花嫁の父の台本と同じところにしまいました。

当時の雑誌記事では、私たちの手話指導の様子も、
少し取材していただいています。

IMG_9011.jpg

ドラマの手話指導では、
最初の1回目は、台本の手話の練習はありません。
役者さんが、実際にろうの人と会って、
身振り手振り、筆談で話し、
その場で出てきたコミュニケーションに必要な手話から、
覚えて行ってもらいます。
役者さん自身が、その時感じたこと、
通じ合う歓び、ろうの方や手話への理解を、
ふれあいの中から深めていってもらい、
ドラマにも生かしてもらうためです。

ここまで、さまざまなドラマを、
いろんな役者さんたちとともに過ごさせていただきましたが、
どのドラマも、同じように、
役者さん、スタッフのみなさんともに、
ろう者スタッフと手話に、
直接、触れ合うことからスタートしていただいています。

このメモによると、
向井君が最初に覚えた手話は、
名前・向こう・井・サッカー・横浜・好き・嫌い
などであったことがわかります。
ここからスタートして、
様々な演技を手話とともに演じてくださったわけですね。

さて、この向井君、
実は、2013年の夏、BS-TBSの、
地球横断縦断27000キロ大紀行スペシャルで、
レポーターをされていて、
私の母の故郷であるオーストラリアのブルームにも、
訪れています。

今回お会いしたときは、
その話で、ちょっと盛り上がりました。

私の知り合いでもある、現地の塩地逸志さんが、
ブルームの真珠ダイバーとして、
向井君たちから取材を受けていたのです。
今年3月私と会った塩地さんは、
向井君と親しくなって、手紙やDVDをいろいろやり取りしたと、
嬉しそうに話していました。
その話を、向井君に尋ねてみると、
向井君もまた、
彼とやり取りした内容を、
いろんな風に話してくれました。
人と人がつながって、輪ができること、
また、それがまわりまわって、
私のルーツともつながったことが、
ちょっと嬉しく感じられました。

塩地.png
現在最もメディアなどの取材を受け、
真珠貝と日系人についての語り部的存在となっている
パール浜口と塩地逸志さん。オーストラリアブルームにて。

向井君と少し話をした後は、
私はまた、あわてて、若者たち2014のスタジオに戻りました。笑
今回は、近くに柴咲コウちゃんの参加するドラマのスタジオや、
以前何度かドラマでご一緒させていただいた、
斎藤工さんのあの”昼顔”のスタジオもあり、
なんだか、手話同窓会のような職場でした。笑

私達の関わったドラマが、
多くの方の心にあたたかく残りますように。

さあ皆さん、良い秋にしましょう!!
私も今日からまた、新しい仕事が始まります!!
感謝。


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