向井理くんとブルーム
この前、若者たち2014の撮影で、
となりのスタジオにいた 向井理くんにお会いしました。
相変わらずの、さわやかで飾らない語り口で、
久しぶりにお会いした感じがしませんでした。
向井君とは、MBSの「花嫁の父」で、
1年間の撮影をご一緒させていただき、
隅田川や、雪国の新潟などに、ともに何度か足を運びました。
秋になり、
夏の大きなイベントや、次々やってきた
いろんな撮影もひと段落したので、
今、資料などもいろいろ片付けているのですが、
いろんな台本の隙間から、こんな紙が出てきました。
花嫁の父で、一番最初に、
向井君が、ろう者の江副君と一緒に話しながら、
手話を勉強した時のメモです。
これは、私が、次回会うときの向井君の復習用に、
覚えたことをきちんととどめておこうと思って書いたものです。
名前や、趣味、
また一緒に勉強したスタッフの方の住所なども、メモされています。
これは、向井君が、一番最初に、
ろう者スタッフと話した時の大事な記録なので、
ファイルにはさんで、
花嫁の父の台本と同じところにしまいました。
当時の雑誌記事では、私たちの手話指導の様子も、
少し取材していただいています。
ドラマの手話指導では、
最初の1回目は、台本の手話の練習はありません。
役者さんが、実際にろうの人と会って、
身振り手振り、筆談で話し、
その場で出てきたコミュニケーションに必要な手話から、
覚えて行ってもらいます。
役者さん自身が、その時感じたこと、
通じ合う歓び、ろうの方や手話への理解を、
ふれあいの中から深めていってもらい、
ドラマにも生かしてもらうためです。
ここまで、さまざまなドラマを、
いろんな役者さんたちとともに過ごさせていただきましたが、
どのドラマも、同じように、
役者さん、スタッフのみなさんともに、
ろう者スタッフと手話に、
直接、触れ合うことからスタートしていただいています。
このメモによると、
向井君が最初に覚えた手話は、
名前・向こう・井・サッカー・横浜・好き・嫌い
などであったことがわかります。
ここからスタートして、
様々な演技を手話とともに演じてくださったわけですね。
さて、この向井君、
実は、2013年の夏、BS-TBSの、
地球横断縦断27000キロ大紀行スペシャルで、
レポーターをされていて、
私の母の故郷であるオーストラリアのブルームにも、
訪れています。
今回お会いしたときは、
その話で、ちょっと盛り上がりました。
私の知り合いでもある、現地の塩地逸志さんが、
ブルームの真珠ダイバーとして、
向井君たちから取材を受けていたのです。
今年3月私と会った塩地さんは、
向井君と親しくなって、手紙やDVDをいろいろやり取りしたと、
嬉しそうに話していました。
その話を、向井君に尋ねてみると、
向井君もまた、
彼とやり取りした内容を、
いろんな風に話してくれました。
人と人がつながって、輪ができること、
また、それがまわりまわって、
私のルーツともつながったことが、
ちょっと嬉しく感じられました。
現在最もメディアなどの取材を受け、
真珠貝と日系人についての語り部的存在となっている
パール浜口と塩地逸志さん。オーストラリアブルームにて。
向井君と少し話をした後は、
私はまた、あわてて、若者たち2014のスタジオに戻りました。笑
今回は、近くに柴咲コウちゃんの参加するドラマのスタジオや、
以前何度かドラマでご一緒させていただいた、
斎藤工さんのあの”昼顔”のスタジオもあり、
なんだか、手話同窓会のような職場でした。笑
私達の関わったドラマが、
多くの方の心にあたたかく残りますように。
さあ皆さん、良い秋にしましょう!!
私も今日からまた、新しい仕事が始まります!!
感謝。
となりのスタジオにいた 向井理くんにお会いしました。
相変わらずの、さわやかで飾らない語り口で、
久しぶりにお会いした感じがしませんでした。
向井君とは、MBSの「花嫁の父」で、
1年間の撮影をご一緒させていただき、
隅田川や、雪国の新潟などに、ともに何度か足を運びました。
秋になり、
夏の大きなイベントや、次々やってきた
いろんな撮影もひと段落したので、
今、資料などもいろいろ片付けているのですが、
いろんな台本の隙間から、こんな紙が出てきました。
花嫁の父で、一番最初に、
向井君が、ろう者の江副君と一緒に話しながら、
手話を勉強した時のメモです。
これは、私が、次回会うときの向井君の復習用に、
覚えたことをきちんととどめておこうと思って書いたものです。
名前や、趣味、
また一緒に勉強したスタッフの方の住所なども、メモされています。
これは、向井君が、一番最初に、
ろう者スタッフと話した時の大事な記録なので、
ファイルにはさんで、
花嫁の父の台本と同じところにしまいました。
当時の雑誌記事では、私たちの手話指導の様子も、
少し取材していただいています。
ドラマの手話指導では、
最初の1回目は、台本の手話の練習はありません。
役者さんが、実際にろうの人と会って、
身振り手振り、筆談で話し、
その場で出てきたコミュニケーションに必要な手話から、
覚えて行ってもらいます。
役者さん自身が、その時感じたこと、
通じ合う歓び、ろうの方や手話への理解を、
ふれあいの中から深めていってもらい、
ドラマにも生かしてもらうためです。
ここまで、さまざまなドラマを、
いろんな役者さんたちとともに過ごさせていただきましたが、
どのドラマも、同じように、
役者さん、スタッフのみなさんともに、
ろう者スタッフと手話に、
直接、触れ合うことからスタートしていただいています。
このメモによると、
向井君が最初に覚えた手話は、
名前・向こう・井・サッカー・横浜・好き・嫌い
などであったことがわかります。
ここからスタートして、
様々な演技を手話とともに演じてくださったわけですね。
さて、この向井君、
実は、2013年の夏、BS-TBSの、
地球横断縦断27000キロ大紀行スペシャルで、
レポーターをされていて、
私の母の故郷であるオーストラリアのブルームにも、
訪れています。
今回お会いしたときは、
その話で、ちょっと盛り上がりました。
私の知り合いでもある、現地の塩地逸志さんが、
ブルームの真珠ダイバーとして、
向井君たちから取材を受けていたのです。
今年3月私と会った塩地さんは、
向井君と親しくなって、手紙やDVDをいろいろやり取りしたと、
嬉しそうに話していました。
その話を、向井君に尋ねてみると、
向井君もまた、
彼とやり取りした内容を、
いろんな風に話してくれました。
人と人がつながって、輪ができること、
また、それがまわりまわって、
私のルーツともつながったことが、
ちょっと嬉しく感じられました。
現在最もメディアなどの取材を受け、
真珠貝と日系人についての語り部的存在となっている
パール浜口と塩地逸志さん。オーストラリアブルームにて。
向井君と少し話をした後は、
私はまた、あわてて、若者たち2014のスタジオに戻りました。笑
今回は、近くに柴咲コウちゃんの参加するドラマのスタジオや、
以前何度かドラマでご一緒させていただいた、
斎藤工さんのあの”昼顔”のスタジオもあり、
なんだか、手話同窓会のような職場でした。笑
私達の関わったドラマが、
多くの方の心にあたたかく残りますように。
さあ皆さん、良い秋にしましょう!!
私も今日からまた、新しい仕事が始まります!!
感謝。
この記事へのコメント