筆談するのは誰のため?

とあるろう者の友人は、
ご両親もろう者のデフファミリーです。

ろうのお母さんは、
いつも、周りの聴こえる人が、
自分に対して、
面倒な筆談をしてくれているのを、
申し訳ないな~と思っていました。

娘に、よく、
「本当に、私が聴こえないために、
みんなに面倒をかけて、申し訳ない。」
というのだそうです。

で、
あるとき、娘は母親に言いました。
「お母さん!!
お母さんだって、本当は手話のほうが便利なのに、
『手話のわからない聴こえる人のために』
『筆談してあげて』るんだよ!!
おあいこじゃん!!」

「・・・・!!」

これは、私の友人の、本当の話です。

私達の中には、学校の授業などで、
「聴こえない人に、わかるように、筆談で話してあげましょう。」
なんて教えられたことのある人も多いかもしれません。
これは、「優しさ」の勉強なのだそうです。
でも、この発想、よく考えてみてみたら、
ずいぶん上から目線かも?汗

本当の対等ってなんだ?
と考えてみると、
友人の言うように、
聴こえない人だって、聴こえる人のために、
「筆談をしてあげている」というのは、
目からうろこの、正しい事実。
通じ合うために、
互いができる方法を取りあっているだけなのに、
聴こえる側が、
聴こえない人に合わせてあげていると思い込んでいるのは、
なんとも、勝手な多数派理論かも。

自分が、圧倒的多数の側のグループに入っていると、
あたかも、少数派が、面倒な存在に映ったり、
かわいそうに思えたりするものだが、
見方を変えれば、違ったものが見えてくる。
多数派であることは、
エライことでも、上なわけでもなく、
単に数が多くて、
何となく、それがフツーなような
気がしてしまっているだけ。
そんな心理トリックに、時には気づいて、
人との付き合い方を、
見直してみるのもいいことじゃないかな?

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金曜の東京は、この冬はじめての、雪らしい雪が降りました。