夜想(やそう)~聴者とろう者が挑んだ手話と音声の芝居
いい芝居というのは、
けして完成度が高いとか、
うまいとか、そういう言葉では表現できない。
27日金曜日を入れてあと4公演あるこの芝居は、
聴者6人、ろう者2人の、8人によって演じられている。
全編音声&手話付きである。
サインエンターテイメントに興味のある人には、
オススメの一作である。
風鈴堂プロデュース公演~ 友朋「夜想(やそう)」
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=48220
一言でいうと、
「私たちはここに向かっている!」という方向が、
光のように示された、演劇だった。
まず、この芝居でよかったのは、
若い聴者の役者たちが、
実に真摯に手話と向き合っていたことだ。
ほぼすべてのメンバーが、ここ2~3か月で、
この芝居に取り組み、その時初めて手話に触れたという。
その中で、彼らは、
与えられた手話のセリフを、
忠実に、素直に、
心と体に乗せていた。
これほど、手話と芝居の体の動きのリズムを合わせるには、
演じる思いがなければ、できないことだっただろう。
また、役者たちがここまでにたどりつくには、
本人たちの努力もさることながら、
手話監修についた 江副 悟史と、
演出の林 美帆の、
「手話を芝居に乗せる」という、
真剣な志がなければ、なしえなかったであろうことも、
容易に想像できる。
それくらい、全編にわたり、手話は丁寧に、
そして、違和感なく、
音声の芝居の中で生きたセリフとなって、存在していた。
また、江副の手話の翻訳は、
この芝居には、実に自然で豊かで、適切でもあった。
いわゆる小屋芝居独特の世界観のある一つ一つのセリフを、
どう手話に替え、見る人に伝えるかは、
こうした芝居では、
手話自体が台詞として思いを伝える言葉そのものになる点から言って、
非常に繊細であり、また、パワーを秘めたものでなければならない。
それを、ここまでの形に作り、
役者たちに伝えたエネルギーは、
あっぱれである。
それから、一つ特筆すべきは、
ろう者として、この芝居に手話のセリフのみで挑んだ
濱村ひかり。
手話の語りの一つ一つが自然で、また、目に魂が宿り、
その言葉は、役柄を背負った一人の女の手話のセリフとして、
この目に飛び込んできた。
以前から、テレビのろう者役のオーディションなどでも、
会ったことのあるこの濱村が、
この作品で、一皮むけ、成長した様子がうかがえ、
これも感動の一つとなった。
聴者がこれほど、ひるむことなく、
芝居の中のセリフとして、手話を語れる舞台は、
そう多くはない。
彼らは、一つの夢あるワールドを見せてくれたと感じた。
舞台終了後、
もちろん、彼らも、江副も、
”まだまだ、このような芝居では・・・”
と、口々に言っていた。
確かに、この芝居を点数にするのは難しく、
作品的にも、手話的にも、
盛り込みたいこと、やってほしいこと、
もっとここをなどなど、多くを望む観客は多いかもしれない。
しかし、それも、若さゆえの、伸び白であると私は見る。
いい芝居というのは、
けして完成度が高いとか、
うまいとか、そういう言葉では表現できない。
私は、ここからの手話演劇の未来のひとかけらを、
彼らの中に見た。
ありがとう!
2/27(金)19:00~
2/28(土)13:30~ & 19:00~
3/ 1(日)13:30~
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=48220
シアター・バビロンの流れのほとりにて
http://stage.corich.jp/theater_detail.php?theater_id=109
けして完成度が高いとか、
うまいとか、そういう言葉では表現できない。
27日金曜日を入れてあと4公演あるこの芝居は、
聴者6人、ろう者2人の、8人によって演じられている。
全編音声&手話付きである。
サインエンターテイメントに興味のある人には、
オススメの一作である。
風鈴堂プロデュース公演~ 友朋「夜想(やそう)」
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=48220
一言でいうと、
「私たちはここに向かっている!」という方向が、
光のように示された、演劇だった。
まず、この芝居でよかったのは、
若い聴者の役者たちが、
実に真摯に手話と向き合っていたことだ。
ほぼすべてのメンバーが、ここ2~3か月で、
この芝居に取り組み、その時初めて手話に触れたという。
その中で、彼らは、
与えられた手話のセリフを、
忠実に、素直に、
心と体に乗せていた。
これほど、手話と芝居の体の動きのリズムを合わせるには、
演じる思いがなければ、できないことだっただろう。
また、役者たちがここまでにたどりつくには、
本人たちの努力もさることながら、
手話監修についた 江副 悟史と、
演出の林 美帆の、
「手話を芝居に乗せる」という、
真剣な志がなければ、なしえなかったであろうことも、
容易に想像できる。
それくらい、全編にわたり、手話は丁寧に、
そして、違和感なく、
音声の芝居の中で生きたセリフとなって、存在していた。
また、江副の手話の翻訳は、
この芝居には、実に自然で豊かで、適切でもあった。
いわゆる小屋芝居独特の世界観のある一つ一つのセリフを、
どう手話に替え、見る人に伝えるかは、
こうした芝居では、
手話自体が台詞として思いを伝える言葉そのものになる点から言って、
非常に繊細であり、また、パワーを秘めたものでなければならない。
それを、ここまでの形に作り、
役者たちに伝えたエネルギーは、
あっぱれである。
それから、一つ特筆すべきは、
ろう者として、この芝居に手話のセリフのみで挑んだ
濱村ひかり。
手話の語りの一つ一つが自然で、また、目に魂が宿り、
その言葉は、役柄を背負った一人の女の手話のセリフとして、
この目に飛び込んできた。
以前から、テレビのろう者役のオーディションなどでも、
会ったことのあるこの濱村が、
この作品で、一皮むけ、成長した様子がうかがえ、
これも感動の一つとなった。
聴者がこれほど、ひるむことなく、
芝居の中のセリフとして、手話を語れる舞台は、
そう多くはない。
彼らは、一つの夢あるワールドを見せてくれたと感じた。
舞台終了後、
もちろん、彼らも、江副も、
”まだまだ、このような芝居では・・・”
と、口々に言っていた。
確かに、この芝居を点数にするのは難しく、
作品的にも、手話的にも、
盛り込みたいこと、やってほしいこと、
もっとここをなどなど、多くを望む観客は多いかもしれない。
しかし、それも、若さゆえの、伸び白であると私は見る。
いい芝居というのは、
けして完成度が高いとか、
うまいとか、そういう言葉では表現できない。
私は、ここからの手話演劇の未来のひとかけらを、
彼らの中に見た。
ありがとう!
2/27(金)19:00~
2/28(土)13:30~ & 19:00~
3/ 1(日)13:30~
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=48220
シアター・バビロンの流れのほとりにて
http://stage.corich.jp/theater_detail.php?theater_id=109