きいろぐみ25年 南の活動を見守り続けてきて下さったすべての方に感謝
きいろぐみが2014年12月で25歳になり、
新年には、25周年記念ライブを開かせてもらいました。
間もなく3月も終わり、
4月からは、次々新しい舞台もあり、
元気な春を迎えさせれもらっています。
本当に、ありがとうございます。
もちろん手話は、それより前から続けており、
大学に入った18歳の時から数えると・・・・
ええと・・・
うう・・・
その年月の長さは、言いたくないが!笑
とにかく、長~い間、手話の活動を続けてこられた、
その理由を考えてみた。
まず、大阪で大学に入った18歳の時、
私が手話を始めたことを、
ろうの先輩がものすごく喜んでくれた。
私がどんな質問や意見を言っても、
いつも、怒らず、
いろんなことをやさしく教えてくれた。
この人は、私の手話の父である。
この人と話し続けた毎日は、
今でも、私の手話人生の礎だ。
同時に、私が手話を始めたことで、
一緒の寮にいた友達たちが、
すごく興味を持ってくれて、
一緒に手話を始めた。
同年代の手話仲間がいっぱいできた。
手話を通じて、
ほかの大学の人たちとも仲良くなった。
その中で、、
聴者の友人も、ろう者の友人もできた。
(その中の一人のろうの先輩とは、
今でも、時々、一緒に飲んだりする仲だ。)
次の年、ろうのケンカ友達ができた。
そのろうの友人は、
とにかく、ろう者はろう者は、
と一方的に、自分の立場を主張してきた。
そのたびに、
”相手のことも少し考えろ”とぶつかってきたが、
私は、言い返した分、
もっともっと手話を勉強した。
言いっぱなしは卑怯だと思ったので、
聴者としてやれることは全部やったうえで、
相手の考えが違うと思ったら、
それも、全部指摘してやろうと思った。笑
今思い返してみれば、
私のやったことは、正しかったと思うが、
相手も、当時の社会情勢を考えれば、
今よりもっともっと手話やろう者への理解の薄かった時代、
戦う気でぶつかっていかなければ、
社会の荒波を乗り越えられなかっただろう。
おあいこだ!笑
この人は、私の手話の母である。
その後、通訳者になった時、
先輩方が、本当にやさしかった。
現場で若者同士がけんかになっても、
それを、じっと見守り、
自分たちで解決するまで口を出さなかった。
必要なときは、
ゆっくり落ち着いて、
私達若者にもわかるように、
噛み砕いて、いろんなことを教えてくれた。
活動の中で出会った、
ろうのおじちゃんおばちゃんたちも、
実に私を大事にしてくれて、
いつも、いっぱい私のことをほめてくれた。
いまにして思えば、
絶対うまくなかった手話(汗)を、
いつも、うまいうまいとほめてくれて、
私は、さらに頑張ろうと思った。
(これを調子乗りというのだろうか?
いや、この激励大作戦で、
私の手話がうまくなったとしたら、
それは彼らの思うつぼで、私はその罠にはまり、
見事に、手話がうまくなったのかもしれない!汗&笑)
そのおじちゃん、おばちゃんたちは、
時には、食事をごちそうしてくれたり、
車で家まで送ってくれたり、
本当に、いつも、
たくさんの優しさをくれた。
大学を卒業して、
就職で東京に来てからも、
たくさんの先輩たちが、
本当にいろんなことを教えてくれて、
同年輩のろうの人たちからも、
すごくいろんなことを教えてもらって、
ますます、たくさんのことを学んだ出会いがあった。
きいろぐみの活動を始めたときも、
最初のライブには、
ろう者・聴者の仲間がいたし、
様々なお客さんが来てくれた。
そう、あの日、わけもわからない私たちのライブに、
快く会場を貸してくれた、
酒屋の友人にも感謝だ。
その後、私たちの手話エンターテイメント活動に、
いろんなレコード会社の人や、
テレビ局の人が力を貸してくれて、
様々な機会を与えてもらった。
レコード会社のプロデューサーは、
まるでマネージャーのように、
私の世話を焼いてくれたし、
それこそ、生意気な私を、
時には、たしなめたり、
時には、ほめたりして、
いろんな作品づくりに手を貸してくれた。
テレビ局では、
多くのプロデューサーさんや、
ディレクターさん、
そして、役者さんたちとの出会いがあった。
その後、私達の舞台作品を応援し、
毎年、ホールを全面協力で貸してくださる
企画プロデューサーさんと出会い、
どんな作品であっても、常に褒め続けてくれて、
そして、また来年も来年もと、
手話ミュージカルを開かせてもらっている。
また、毎年、
必ず、私たちをステージに立たせてくれる
ライブハウスもあって、
いろんな相談にも乗ってくれて、
とにかく、すっごい出会いがたくさんあって、
私達の活動は、
多くの愛情や情熱で、支えられていると、
実感している。
私の人生は、たくさんの人の愛情で成り立っている。
きいろぐみの活動は、
多くの人の情熱で作り上げられている。
今夜、とてもそう思ったので、
これを、ブログに上げさせていただきます。
たくさんの出会いに心から感謝いたします。
本当に、ありがとうございます。
さて、私は、
若者たちの、良き理解者、良き指導者たりえているだろうか?
若き日の私を見守り続けてくれていた あの大人たちのように。
もう亡くなってしまっているおじちゃんおばちゃんたちは、
やっぱり、今の私をほめてくれるだろうか?
先輩としてよくやっていると、
肩に手を乗せてくれるだろうか?
また、ご飯を食べさせてくれるだろうか?
私は、若者たちに、何を伝えられるだろうか?
あの日の、あの人たちのように。
変わりゆく様々な社会の中で、
あの日私がもらったたくさんの愛情を、
また、
新しい世代へと、受け渡しうる、
強き一人と、
私は、なり得ているだろうか。

2015年1月きいろぐみ25周年手話ライブ
(C)手話あいらんど
新年には、25周年記念ライブを開かせてもらいました。
間もなく3月も終わり、
4月からは、次々新しい舞台もあり、
元気な春を迎えさせれもらっています。
本当に、ありがとうございます。
もちろん手話は、それより前から続けており、
大学に入った18歳の時から数えると・・・・
ええと・・・
うう・・・
その年月の長さは、言いたくないが!笑
とにかく、長~い間、手話の活動を続けてこられた、
その理由を考えてみた。
まず、大阪で大学に入った18歳の時、
私が手話を始めたことを、
ろうの先輩がものすごく喜んでくれた。
私がどんな質問や意見を言っても、
いつも、怒らず、
いろんなことをやさしく教えてくれた。
この人は、私の手話の父である。
この人と話し続けた毎日は、
今でも、私の手話人生の礎だ。
同時に、私が手話を始めたことで、
一緒の寮にいた友達たちが、
すごく興味を持ってくれて、
一緒に手話を始めた。
同年代の手話仲間がいっぱいできた。
手話を通じて、
ほかの大学の人たちとも仲良くなった。
その中で、、
聴者の友人も、ろう者の友人もできた。
(その中の一人のろうの先輩とは、
今でも、時々、一緒に飲んだりする仲だ。)
次の年、ろうのケンカ友達ができた。
そのろうの友人は、
とにかく、ろう者はろう者は、
と一方的に、自分の立場を主張してきた。
そのたびに、
”相手のことも少し考えろ”とぶつかってきたが、
私は、言い返した分、
もっともっと手話を勉強した。
言いっぱなしは卑怯だと思ったので、
聴者としてやれることは全部やったうえで、
相手の考えが違うと思ったら、
それも、全部指摘してやろうと思った。笑
今思い返してみれば、
私のやったことは、正しかったと思うが、
相手も、当時の社会情勢を考えれば、
今よりもっともっと手話やろう者への理解の薄かった時代、
戦う気でぶつかっていかなければ、
社会の荒波を乗り越えられなかっただろう。
おあいこだ!笑
この人は、私の手話の母である。
その後、通訳者になった時、
先輩方が、本当にやさしかった。
現場で若者同士がけんかになっても、
それを、じっと見守り、
自分たちで解決するまで口を出さなかった。
必要なときは、
ゆっくり落ち着いて、
私達若者にもわかるように、
噛み砕いて、いろんなことを教えてくれた。
活動の中で出会った、
ろうのおじちゃんおばちゃんたちも、
実に私を大事にしてくれて、
いつも、いっぱい私のことをほめてくれた。
いまにして思えば、
絶対うまくなかった手話(汗)を、
いつも、うまいうまいとほめてくれて、
私は、さらに頑張ろうと思った。
(これを調子乗りというのだろうか?
いや、この激励大作戦で、
私の手話がうまくなったとしたら、
それは彼らの思うつぼで、私はその罠にはまり、
見事に、手話がうまくなったのかもしれない!汗&笑)
そのおじちゃん、おばちゃんたちは、
時には、食事をごちそうしてくれたり、
車で家まで送ってくれたり、
本当に、いつも、
たくさんの優しさをくれた。
大学を卒業して、
就職で東京に来てからも、
たくさんの先輩たちが、
本当にいろんなことを教えてくれて、
同年輩のろうの人たちからも、
すごくいろんなことを教えてもらって、
ますます、たくさんのことを学んだ出会いがあった。
きいろぐみの活動を始めたときも、
最初のライブには、
ろう者・聴者の仲間がいたし、
様々なお客さんが来てくれた。
そう、あの日、わけもわからない私たちのライブに、
快く会場を貸してくれた、
酒屋の友人にも感謝だ。
その後、私たちの手話エンターテイメント活動に、
いろんなレコード会社の人や、
テレビ局の人が力を貸してくれて、
様々な機会を与えてもらった。
レコード会社のプロデューサーは、
まるでマネージャーのように、
私の世話を焼いてくれたし、
それこそ、生意気な私を、
時には、たしなめたり、
時には、ほめたりして、
いろんな作品づくりに手を貸してくれた。
テレビ局では、
多くのプロデューサーさんや、
ディレクターさん、
そして、役者さんたちとの出会いがあった。
その後、私達の舞台作品を応援し、
毎年、ホールを全面協力で貸してくださる
企画プロデューサーさんと出会い、
どんな作品であっても、常に褒め続けてくれて、
そして、また来年も来年もと、
手話ミュージカルを開かせてもらっている。
また、毎年、
必ず、私たちをステージに立たせてくれる
ライブハウスもあって、
いろんな相談にも乗ってくれて、
とにかく、すっごい出会いがたくさんあって、
私達の活動は、
多くの愛情や情熱で、支えられていると、
実感している。
私の人生は、たくさんの人の愛情で成り立っている。
きいろぐみの活動は、
多くの人の情熱で作り上げられている。
今夜、とてもそう思ったので、
これを、ブログに上げさせていただきます。
たくさんの出会いに心から感謝いたします。
本当に、ありがとうございます。
さて、私は、
若者たちの、良き理解者、良き指導者たりえているだろうか?
若き日の私を見守り続けてくれていた あの大人たちのように。
もう亡くなってしまっているおじちゃんおばちゃんたちは、
やっぱり、今の私をほめてくれるだろうか?
先輩としてよくやっていると、
肩に手を乗せてくれるだろうか?
また、ご飯を食べさせてくれるだろうか?
私は、若者たちに、何を伝えられるだろうか?
あの日の、あの人たちのように。
変わりゆく様々な社会の中で、
あの日私がもらったたくさんの愛情を、
また、
新しい世代へと、受け渡しうる、
強き一人と、
私は、なり得ているだろうか。

2015年1月きいろぐみ25周年手話ライブ
(C)手話あいらんど