「名前」の意味

今週、ある飲み会で、とある町の聴覚障害者協会の、
年配の会長さんが、話してくれました。
70歳近いの男性のろうの方です。

「あのね、ヘレンケラーというのは、
ある日井戸水から、『ウォーター(水)』の意味に気付き、
言葉の存在を知ったと言われているよね。
実は、僕にもそれに似た瞬間があったんだ。
それは、小学校の時。
小さなころから幼稚部(幼稚園)までの僕は、
ただぼんやり、何もよくわからず毎日を過ごしていた。
それが小学校に上がった時、
大きな出来事があったんだ。
それは何かというと・・・
小学校で最初に、みんなが文具をそろえて、
鉛筆を削り、お尻のところもけずって、
そこに自分の名前を書いたんだ。
その、鉛筆を見た途端、
『ああ、名前!!これが名前。僕の名前。
えんぴつにある名前は、みんな違う!
あの子にはあの子の名前。
この子にはこの子の名前。
みんなに、名前がある。
これが『名前』!!』
と、はっと気づいた。
それは、今までの人生から、
何かが目覚めるような気付きだった。
その時パーッと開けた何かがきっかけで、
僕は、『名前』という言葉の意味を知り、
『ものには、名前があること。
僕たちには、言葉があること』に気付いた。
その日から僕は、
すごく勉強するようになった。
そして、たくさんの言葉を覚えた。
僕は、今でもあの日のことを忘れない。
それは、僕が『ことば』と出会った日なんだ。
だから、そんな言葉があることを、
今も多くのろうの仲間たちに感じてほしいし、
みんなの役に立ちたいと活動をしているんだ。
僕が人生で最初に覚えた言葉は、
『名前』!
感動の言葉なんだ。」

まだまだ聾教育が進んでいなかった
5~60年前の話。
耳から聞く言葉を知らずに育ったその方は、
小学校の時、
大きな感動とともに、言葉の存在に気付いた。
その時のことを、ふと思い出して、
あふれるように、語ってくれて、
なんだか、その時の感動を、
私も一緒に味わえたような、
そんな喜びの瞬間に、触れさせていただきました。

私達は、日ごろ、
何気なく言葉を使い、
人の悪口や、気分の悪い話もして、
汚い言葉遣いなどもして、
なんだか『言葉』を大事にせずに、
日々を過ごしているように思います。
そんな中、その会長さんの、
子どものころの、
言葉との出会いと人生の目覚めの瞬間を教えいていただき、
心洗われる思いがしました。

私達には、言葉がある!
それは、当たり前のことではなく、
人と人とを結ぶ大事な瞬間に、
光り輝き、紡がれているということ。
もう少し私たちも、思い返してみたいと思った出来事でした。

手話に出会い、
多くのろうの方のお話を聞き、
いつも、たくさんのことを教えてもらいます。
言葉とは、なんと人の心を豊かに、
命を吹き込んでくれるものかと、実感の連続です。

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土曜日の関東は、気持ちのいい青空でした。