手話あいらんどTVクロスカルチャー ~ デフ・バースデーのお話
デフ・バースデー。
それは、「ろう者として生きると決めた日」
え?それ、どういう意味?
そう思ったあなたは、ちょっとこの映像を見てみてください。
(簡単な内容)
手話あいらんどTV クロスカルチャー!!
中嶋元美です。ろう者です。
南 瑠霞です。聴こえます。
よろしくお願いします!!
今日はみなさんに、新しい言葉を提案します。
「デフ・バースデー」
これは、自分がろう者になった日。
自分がろう者として生きると決めた日。
という意味で、
私たちが作った言葉です。
今日は、ちょっと、この中身について、
お話しましょう。
元美は、生まれた時から聞こえないのではなく、
中途失聴覚です。
17歳で、高校一年の時、聞こえなくなりました。
ある日、マラソンの練習で、何度も走って疲れ、
目まいがして倒れてしまいました。
目が覚めたら、
先生の声も、友達の声も、わからず、
聴こえなくなってしまったということがわかりました。
お母さんに、病院に、連れて行ってもらい、入院しました。
点滴などをして、1週間くらいで少し治り、
退院しましたが、
また、すぐに聞こえなくなってしまいました。
目まいで倒れたのが、3月頭。
結局、全く聞こえなくなってしまったのが、
3月22日。
これは、覚えておこうと思って、その時メモしたものが、
残っています。
これが、自分の耳の聞こえなくなった日です。
元美は、これを、自分で『デフ・バースデー』にすると
決めました。
以前は軽度難聴で、手帳も交付されていませんでした。
女子の高い声が、聞こえず、
低い男子の声は、聞こえていました。
小さなころから、
声が聞こえて話の通じやすい男子と一緒にいることが多く、
中学生ごろになると、
女子から、「元美ちゃんて男好きなんじゃない?」などと、
言われたこともあります。
当時から、ピアノの高音、
リコーダー、笛の音、鈴の音などは、
わかりませんでした。
後から知ったことですが、
元美は、セミの声も聞いたことがありません。
今思えば、セミが鳴いているということも、
知らなかったんだと思います。
また、歌でいうと、
男性の声が聞こえて、女性の声が聞こえにくかったので、
男性グループの歌が好きでした。
ジャニーズとかね。
ろう者になった今は、男女、どちらでも好きです。
以前、難聴の時は、
友達と話すとき、補聴器を使い、
口をはっきり開けて、ゆっくり話してもらったりしていました。
大変なのは、
多くの友達に囲まれて、ワイワイしゃべって、盛り上がった時。
みんながどっと笑っても、その笑いについていけないんです。
それで、みんなが笑うと、合わせて笑うみたいなことをして、
私は、ごまかして生きていたように感じています。
また、補聴器で音は大きくなるけど、
様々な音も拾ってしまい、
渋谷や原宿など、人が大勢いる場所では、
友達が何を言っているのか聴こえない。
静かな場所など、ほかの音の影響を受けにくい場所でないと、
話せませんでした。
また、後ろから呼ばれても聞こえないので、
肩をたたいたり、前に回って呼んでもらったりするようにしていました。
難聴は、聞こえる人でもなく、ろう者でもなく、
自分にとっては、とても中途半端な立場で、
壁が、あまりにたくさんあり、
悩んだり苦しい思いをしたのを、
今でも、覚えています。
小学校の時、
後ろから呼ばれても返事ができず、
無視している!と、言われたこともあります。
自分が難聴で、聞こえにくいと気づいたのも遅く、
中学校の時、ようやくそれがわかり、
納得するまでに、時間もかかりました。
17歳の時、全く聞こえなくなり、
その時に、手話パフォーマンスきいろぐみや、
手話そのものに出会い、
手話で、豊かに話すろう者の男性にも出会い、
それが、すべての始まりになりました。
ろう学校に転校も決めて、
行ってみると、
ろうの子供たちが、本当に表情豊かで、
感動しました。
楽しい顔、つまらない顔と、
本当に、ころころと表情が変わり、
とても面白かった。
私も手話をやろう!!
ろう学校に入ろう!!
と決心しました。
手話を覚えた後は、
手話が、目で見てわかる言葉なので、
互いが手話で話せば、
自分にとっては、とても対等だと感じられました。
笑いたいとき笑い、話したいとき話す。
そして、つまらない時は、つまらない顔ができる。
それが、素直にうれしい!と感じています。
今までは、自分で、何かを、
ごまかしていたというふうに、思います。
今は、性格も、とても明るくなりました。
その時から、元美は、
きこえないことが、つらいとか大変だとか、
いろんなマイナスの面ばかりを考えるのは、
やめようと思いました。
そこから、
ろう者として生きていくんだ!と決めたのです。
これが、デフバースデーの意味です。
3月22日が、元美のデフバースデーですが、
今年5年になります。
それを記念して、この春、手話のライブを開催します。
3月22日に近い、
3月20日(日)、東京都羽村市で開催します。
元美の、手話ライブ『デフ・バースデー・パーティー』!!
詳しい内容は、ぜひ、ホームページなどで見てください。
よろしくお願いします。
聴こえない、ろう者ということで、
不便なことはいろいろありますが、
わたしは、けして不幸ではありません!!
これからも、手話の魅力を皆さんに伝えて、
頑張っていきたいと思います。
応援よろしくお願いします。
また、お会いしましょう。
さようなら~~~~~~~~~!!
それは、「ろう者として生きると決めた日」
え?それ、どういう意味?
そう思ったあなたは、ちょっとこの映像を見てみてください。
(簡単な内容)
手話あいらんどTV クロスカルチャー!!
中嶋元美です。ろう者です。
南 瑠霞です。聴こえます。
よろしくお願いします!!
今日はみなさんに、新しい言葉を提案します。
「デフ・バースデー」
これは、自分がろう者になった日。
自分がろう者として生きると決めた日。
という意味で、
私たちが作った言葉です。
今日は、ちょっと、この中身について、
お話しましょう。
元美は、生まれた時から聞こえないのではなく、
中途失聴覚です。
17歳で、高校一年の時、聞こえなくなりました。
ある日、マラソンの練習で、何度も走って疲れ、
目まいがして倒れてしまいました。
目が覚めたら、
先生の声も、友達の声も、わからず、
聴こえなくなってしまったということがわかりました。
お母さんに、病院に、連れて行ってもらい、入院しました。
点滴などをして、1週間くらいで少し治り、
退院しましたが、
また、すぐに聞こえなくなってしまいました。
目まいで倒れたのが、3月頭。
結局、全く聞こえなくなってしまったのが、
3月22日。
これは、覚えておこうと思って、その時メモしたものが、
残っています。
これが、自分の耳の聞こえなくなった日です。
元美は、これを、自分で『デフ・バースデー』にすると
決めました。
以前は軽度難聴で、手帳も交付されていませんでした。
女子の高い声が、聞こえず、
低い男子の声は、聞こえていました。
小さなころから、
声が聞こえて話の通じやすい男子と一緒にいることが多く、
中学生ごろになると、
女子から、「元美ちゃんて男好きなんじゃない?」などと、
言われたこともあります。
当時から、ピアノの高音、
リコーダー、笛の音、鈴の音などは、
わかりませんでした。
後から知ったことですが、
元美は、セミの声も聞いたことがありません。
今思えば、セミが鳴いているということも、
知らなかったんだと思います。
また、歌でいうと、
男性の声が聞こえて、女性の声が聞こえにくかったので、
男性グループの歌が好きでした。
ジャニーズとかね。
ろう者になった今は、男女、どちらでも好きです。
以前、難聴の時は、
友達と話すとき、補聴器を使い、
口をはっきり開けて、ゆっくり話してもらったりしていました。
大変なのは、
多くの友達に囲まれて、ワイワイしゃべって、盛り上がった時。
みんながどっと笑っても、その笑いについていけないんです。
それで、みんなが笑うと、合わせて笑うみたいなことをして、
私は、ごまかして生きていたように感じています。
また、補聴器で音は大きくなるけど、
様々な音も拾ってしまい、
渋谷や原宿など、人が大勢いる場所では、
友達が何を言っているのか聴こえない。
静かな場所など、ほかの音の影響を受けにくい場所でないと、
話せませんでした。
また、後ろから呼ばれても聞こえないので、
肩をたたいたり、前に回って呼んでもらったりするようにしていました。
難聴は、聞こえる人でもなく、ろう者でもなく、
自分にとっては、とても中途半端な立場で、
壁が、あまりにたくさんあり、
悩んだり苦しい思いをしたのを、
今でも、覚えています。
小学校の時、
後ろから呼ばれても返事ができず、
無視している!と、言われたこともあります。
自分が難聴で、聞こえにくいと気づいたのも遅く、
中学校の時、ようやくそれがわかり、
納得するまでに、時間もかかりました。
17歳の時、全く聞こえなくなり、
その時に、手話パフォーマンスきいろぐみや、
手話そのものに出会い、
手話で、豊かに話すろう者の男性にも出会い、
それが、すべての始まりになりました。
ろう学校に転校も決めて、
行ってみると、
ろうの子供たちが、本当に表情豊かで、
感動しました。
楽しい顔、つまらない顔と、
本当に、ころころと表情が変わり、
とても面白かった。
私も手話をやろう!!
ろう学校に入ろう!!
と決心しました。
手話を覚えた後は、
手話が、目で見てわかる言葉なので、
互いが手話で話せば、
自分にとっては、とても対等だと感じられました。
笑いたいとき笑い、話したいとき話す。
そして、つまらない時は、つまらない顔ができる。
それが、素直にうれしい!と感じています。
今までは、自分で、何かを、
ごまかしていたというふうに、思います。
今は、性格も、とても明るくなりました。
その時から、元美は、
きこえないことが、つらいとか大変だとか、
いろんなマイナスの面ばかりを考えるのは、
やめようと思いました。
そこから、
ろう者として生きていくんだ!と決めたのです。
これが、デフバースデーの意味です。
3月22日が、元美のデフバースデーですが、
今年5年になります。
それを記念して、この春、手話のライブを開催します。
3月22日に近い、
3月20日(日)、東京都羽村市で開催します。
元美の、手話ライブ『デフ・バースデー・パーティー』!!
詳しい内容は、ぜひ、ホームページなどで見てください。
よろしくお願いします。
聴こえない、ろう者ということで、
不便なことはいろいろありますが、
わたしは、けして不幸ではありません!!
これからも、手話の魅力を皆さんに伝えて、
頑張っていきたいと思います。
応援よろしくお願いします。
また、お会いしましょう。
さようなら~~~~~~~~~!!