“真珠の町”の日系人
我が家は、日系人ファミリーです。
先日、NHK-BSで、
祖父 村上安吉のストーリーが紹介されました。

http://www6.nhk.or.jp/kokusaihoudou/lounge/index.html?i=160405
こちらで、映像がご覧いただけます。
(簡単な内容)
<舞台上の村上安吉>
「(英語)真珠は美しくとても悲しい。
多くの人が死んだ。」
<ナレーション>
先月 シドニーで、上演された舞台。
描かれているのは、オーストラリアの真珠産業の発展に力を注いだ日本人、
村上安吉です。
村上が活躍したのは、北西部の町ブルーム。
かつて、世界の真珠の8割を供給した真珠の町です。
街のはずれにある一本の道、名前は村上ロード。
15年前、村上の功績をたたえようと、
地元の人たちが名づけました。
明治30年。16歳だった村上は、成功を夢見て、オーストラリアに移住。
日本人が多く住んでいたブルームの小さな商店で、
働きはじめました。
当時、日系移民の主な仕事は、
海に潜って、天然の真珠貝を取ることでした。
数十メートルの海底まで潜り、長時間にわたって作業を続けたため、
多くの人が、潜水病にかかるなどして、命を落としました。
移民の厳しい現実を目の当たりにした村上。
一人でも多くの同胞の命を救いたいと、
潜水服の開発に没頭します。
これは、村上がデザインした潜水服です。
試行錯誤の末、村上は画期的な潜水服を作り上げ、
特許を申請しました。
ブルームでの真珠産業は、戦後も長い間続きましたが、
村上の功績が語られることは、ほとんどありませんでした。
今回、村上の舞台を企画した 金森マユさんです。
30年ほど前、オーストラリアに移住し、
写真家として活動しています。
日本から渡った先駆者のひとりである村上に魅かれ、
彼の異業を語り継ぎたいと考えています。
<金森マユ>
「考え方が、とても進んでいたんだと思います。
まだまだ、真珠の養殖など考えたこともない人たちの中で、
養殖をはじめようと、
新しい方面に、挑戦していった人だと思います。
その精神が、私は一番魅力的だと思います。」
<ナレーション>
金森さんたちは、村上の足跡を広く知ってもらおうと、
地元の高校生を招きました。
舞台の中で、特に金森さんがこだわったのが、
多くの潜水士が亡くなるシーンでした。
<舞台上の村上安吉>
「(英語)日本人墓地に眠る数百の人が、
真珠を取るために命という代償を支払った。
義理の兄弟も潜水士だった。
若くたくましかったのに、異国の地で果てた。
ヘルメットがはずれて死んだ。」
<ナレーション>
実は、村上自身も、潜水士だった兄弟を亡くしていました。
この悲しみを誰にも味あわせたくないと、
村上は、身を削って、潜水服の開発に挑んだのです。
<舞台を見に来た観客>
「とてもよかったと思います。
日本の文化や家族の物語に触れた気がします。」
「多くの人は日本人移民の歴史を知りません。
とても興味深かったです。」
<金森マユ>
「どうしても、白人社会で、歴史もヨーロッパ系
オーストラリア人の歴史を学校で習っていて、
その中で黄色人の歴史というのは、
どうしても消えてしまっているところがあり、
そのへんのところも、
伝えていきたいと思います。」
<ナレーション>
日系移民がいしづえを築いた ブルームの歴史。
埋もれていた村上の偉業に、目が向けられ始めています。
・・・・・・・
なるほど、こうしたファミリーの流れを汲んで、
私も自然に手話に溶け込んでいったのかな~なんて、
思いながら、
映像を拝見しました。感謝。
先日、NHK-BSで、
祖父 村上安吉のストーリーが紹介されました。

http://www6.nhk.or.jp/kokusaihoudou/lounge/index.html?i=160405
こちらで、映像がご覧いただけます。
(簡単な内容)
<舞台上の村上安吉>
「(英語)真珠は美しくとても悲しい。
多くの人が死んだ。」
<ナレーション>
先月 シドニーで、上演された舞台。
描かれているのは、オーストラリアの真珠産業の発展に力を注いだ日本人、
村上安吉です。
村上が活躍したのは、北西部の町ブルーム。
かつて、世界の真珠の8割を供給した真珠の町です。
街のはずれにある一本の道、名前は村上ロード。
15年前、村上の功績をたたえようと、
地元の人たちが名づけました。
明治30年。16歳だった村上は、成功を夢見て、オーストラリアに移住。
日本人が多く住んでいたブルームの小さな商店で、
働きはじめました。
当時、日系移民の主な仕事は、
海に潜って、天然の真珠貝を取ることでした。
数十メートルの海底まで潜り、長時間にわたって作業を続けたため、
多くの人が、潜水病にかかるなどして、命を落としました。
移民の厳しい現実を目の当たりにした村上。
一人でも多くの同胞の命を救いたいと、
潜水服の開発に没頭します。
これは、村上がデザインした潜水服です。
試行錯誤の末、村上は画期的な潜水服を作り上げ、
特許を申請しました。
ブルームでの真珠産業は、戦後も長い間続きましたが、
村上の功績が語られることは、ほとんどありませんでした。
今回、村上の舞台を企画した 金森マユさんです。
30年ほど前、オーストラリアに移住し、
写真家として活動しています。
日本から渡った先駆者のひとりである村上に魅かれ、
彼の異業を語り継ぎたいと考えています。
<金森マユ>
「考え方が、とても進んでいたんだと思います。
まだまだ、真珠の養殖など考えたこともない人たちの中で、
養殖をはじめようと、
新しい方面に、挑戦していった人だと思います。
その精神が、私は一番魅力的だと思います。」
<ナレーション>
金森さんたちは、村上の足跡を広く知ってもらおうと、
地元の高校生を招きました。
舞台の中で、特に金森さんがこだわったのが、
多くの潜水士が亡くなるシーンでした。
<舞台上の村上安吉>
「(英語)日本人墓地に眠る数百の人が、
真珠を取るために命という代償を支払った。
義理の兄弟も潜水士だった。
若くたくましかったのに、異国の地で果てた。
ヘルメットがはずれて死んだ。」
<ナレーション>
実は、村上自身も、潜水士だった兄弟を亡くしていました。
この悲しみを誰にも味あわせたくないと、
村上は、身を削って、潜水服の開発に挑んだのです。
<舞台を見に来た観客>
「とてもよかったと思います。
日本の文化や家族の物語に触れた気がします。」
「多くの人は日本人移民の歴史を知りません。
とても興味深かったです。」
<金森マユ>
「どうしても、白人社会で、歴史もヨーロッパ系
オーストラリア人の歴史を学校で習っていて、
その中で黄色人の歴史というのは、
どうしても消えてしまっているところがあり、
そのへんのところも、
伝えていきたいと思います。」
<ナレーション>
日系移民がいしづえを築いた ブルームの歴史。
埋もれていた村上の偉業に、目が向けられ始めています。
・・・・・・・
なるほど、こうしたファミリーの流れを汲んで、
私も自然に手話に溶け込んでいったのかな~なんて、
思いながら、
映像を拝見しました。感謝。