村上安吉のライフストーリー企画展オープニング

私が長く手話の活動を続けているのは、
異文化のはざまに生き続けてきたファミリーの、
強い影響があるからだと思っている。

母方の祖父は、明治時代、16歳の若さでオーストラリアに渡り、
現在、その子孫の大半が、南半球の大陸に根を下ろし、
命をつないでいる。

父方のファミリーは、ハワイやロスアンゼルスをはじめとする、
アメリカ西海岸に住み着いており、
同じように、すでに日本国籍を離れている。

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6月10日、
長い間準備が進められてきた
明治時代のオーストラリア移民
「村上安吉のライフストーリー」展が開幕した。

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私の母方の祖父、村上安吉が、
串本の町から海を渡ったのは、
今から、119年前の1897年。
その時からの記録を、写真に数多く残し、
故郷の串本に送り続けていたものが、
私、南 瑠霞の母によって、保存されていた。
私の母、南ヤス子は、
村上安吉の4番目の子供であり、
ここまで長く、串本で暮らしている。

その写真およそ400点がまとめられ、
オーストラリアの日系人の当時の様子が紹介されたのが、
今回の企画展である。

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様々な関係諸機関の協力の下、
これをまとめてくれたのは、
私の友人でもある 写真作家・成安造形大学教授の、
津田睦美さんだ。

きれいに整理され、並べられた数々の写真からは、
当時の、オーストラリアの街並み、
安吉を取り巻く、多くの移民たちの姿、
真珠貝をとるため海に潜った、パールダイバー。
家族、原住民のアボリジニの方々の姿などが、
あふれるように見て取れる。

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これらは、
たった一つの家族の姿であるとともに、
当時海を渡った、多くの移民たちの姿そのものであり、
その時代を丸ごと映し出した、
ストーリーとなっていることが、
伝わってきた。

これは、我が家のものであって、
すでに、我が家を超え、
大いなる時代のうねりと、移民というキーワードと、
和歌山県・串本という土地の歴史を知る、
道しるべなのだと、
一つ一つの写真が物語っていた。

これだけの資料をまとめ上げた、
津田睦美さん、
そして、多くの関係者の皆さんには、
心からのお礼と、敬意をお伝えしたい。

私たちは、海を渡り時代を切り開こうとした人々の子孫であるとともに、
まさに、海の向こうにも親せきを持つ、日系人ファミリーである。
互いの言葉は通じず、
違う文化、感覚を持ち、
それでも、また、互いのルーツをたどりあいながら、
自分とはだれなのかと、問い続け、
この地上に生きる、一人の人間として、
国を超えて、ここに存在している。

この荒波を超えようとする思いこそが、
私の背中を押し、
私の心を突き動かしている。

その力があってこそ、
手話という言葉に触れ、
言葉に命を吹き込み、
互いの違いを超え、
相手を知りたいと望み、
ここまで、自分の道を歩んできたのだと、
あらためて感じさせてもらった貴重な機会ともなった。

企画展は、7月終盤まで続くが、
この写真の数々を通じて、
和歌山県の人の生きざま、
海を越えた思いの熱さ、
また、人の持つエネルギーが集まって、
新しい道が切り開かれていくのだという、
歴史の必然を、
多くの方々と共に分かち合えればと思う。

和歌山移民
村上安吉のライフストーリー
http://minamiruruka.seesaa.net/article/438394717.html

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オープニングの様子は、関西地区NHKにて、
その一部が紹介されました。