食事の席での手話通訳??
先日、手話通訳士の友人が、
ある人から頼まれごとをしました。
「ろうの方と食事をしながら、いろんな話がしたい。
ぜひ、手話通訳に来てください。
通訳料もきちんとお支払いします。
おいしい料理も用意しています。
あなたの分は、もちろん無料です。
ぜひ、一緒に、食事をしながら通訳していただけませんか?」
通訳士の友人は、とりあえず、出かけては行きましたが、
食事は、ほとんどできませんでした。汗&笑
手話通訳の、あるある!!です。
手話に理解を寄せたいと思い、
ろうの人と話したいと願い、
手話通訳者が技術が高いのもわかるので料金も払う。
そこまで、世の中が進んできたことは、
大変喜ばしく、
また、そういう姿勢の人が増えることは、歓迎すべきことです。
しかし、まだまだ、そうした思いとは裏腹に、
手話通訳が良い質で、
適した環境で通訳するためにはどうしたらいいか?
ということに、思いが至る人は少ないようです。
重要な話であればあるほど、
「食事をしながら」の通訳はできません。
それは、手話通訳が、手と目を使う通訳だからです。
会食は、互いのムードを和らげ、
打ち解けて話し合える良い場所の一つですが、
通訳者は、その両者の間に立ち、
常に、聞こえない人の手話を読み取って、音声に変え、
音声で話された言葉を、手話に変え、
話が盛り上がれば盛り上がるほど、
飲み物を飲むタイミングさえ、
失ってしまう場合もよくあります。
そんな通訳者に、
「あれ?あまり召し上がってませんね。どうぞどうぞ。」
と言われても、
心の中で『その、あなたの通訳をしてるんだから食べられません。』
と思わざるを得ないし(笑)
通訳者は、その言葉すら、「ろう者に通訳したい」と願うものです。
なぜならば、
「音声同士の会話こそが、聞こえない人の最も聞きたいこと」だと、
通訳者自身が一番知っているからです。
さらに、
「ああ、これは、くだらない話ですから、通訳しなくていいですよ。」
なんて言われたとしたら、
そのくだらない話こそが、
なごやかなムードを誘う、心遣いから生まれるものであり、
そここそが、通訳しなければならない、大事な部分。
その通訳をしない通訳者は、そもそも、いい通訳者とは言えません。
だから、通訳者は、通訳者として、その場にいたら、
できるだけ、細やかに通訳します。
そのほうが、コミュニケーションが、スムーズにいくからであり、
そこが、日頃、聞こえない人が最も聞きたいことの一つだからです。
そうなると、手話通訳者は、
せっかく出してもらったお料理も、ほとんど手を付けないし、
ましてや、通訳中に、ワインなんて、飲んだりはしません。笑笑
・・・・というわけで、
「通訳者として出向いた」友人は、
ほとんど料理は、食べず、
「良い通訳」をして、帰ってきましたとさ。笑笑
これが、単に友達同士であり、
本人同士は、通訳がなくても、それなりに、
身振りや筆談で、仲良くコミュニケーションし、
重要で、どうしても通じない部分だけ、
さりげなく通訳する。
という状況なら、
もちろん、通訳者も、そこまで、細かく考える必要はないでしょう。
でも、こと「通訳者として依頼され」その場にいるなら、
対応の仕方は、大変重要です。
私たちは、こうした通訳の場合、
事前におなかに何か入れていき、
現場では、食事をせず、
簡単な飲み物だけを、さりげなく準備していただきます。
それが、雰囲気を損なうなら、料理も、簡単につまめて、
さっと口に入れられる軽食を、メニューに組み込んでいただくなどの、
工夫をしていただいています。
また、もしコース料理などが出た場合も、
あらかじめ、
「通訳を優先するのでそんなに食べられないが、
それは、失礼な態度をとりたいからではない。」
ということを、よーくよーく、伝えておきます。笑
また、本当に重要な内容であれば、
食事も含め、2時間くらいは、かかるであろうことを想定し、
通訳者は、一人でなく、「交代で2人」を、
準備していただくようにしています。
もちろん、こうした考えがすべてではないし、
頼む側からしたら、
それほどじゃないのに!と思うこともあるかもしれません。
しかし、手話を言葉として使うろう者や、手話通訳者の側からすれば、
重要な課題が隠されていることもたくさんあります。
へえ! こういう発想もあるんだな~と、
多くの方に、知っていただければ、うれしく存じます。
一口に食事の席での手話通訳といっても、
カジュアルな場なのか、けっこう気軽なランチなのか、
きちんとした会食なのかなどによっても、条件は違ってきます。
通訳者を依頼する場合は、
もし、自分が通訳者だったら・・・
自分が聞こえない人だったら・・・
と、思いをはせてみると、いいかもしれませんね。
社会が少しずつ進んできて、
通訳の依頼も、その方法も少しずつ変わってきた今だからこそ、
聞こえない方々や手話への、さらなる幅広い理解が、
求められているように思います。
いつも、長文、読んでくださって、ありがとうございます。

近所のカキの実が、大きくなってきています。
オレンジに実るのは、いつのころなんでしょうかね。
ある人から頼まれごとをしました。
「ろうの方と食事をしながら、いろんな話がしたい。
ぜひ、手話通訳に来てください。
通訳料もきちんとお支払いします。
おいしい料理も用意しています。
あなたの分は、もちろん無料です。
ぜひ、一緒に、食事をしながら通訳していただけませんか?」
通訳士の友人は、とりあえず、出かけては行きましたが、
食事は、ほとんどできませんでした。汗&笑
手話通訳の、あるある!!です。
手話に理解を寄せたいと思い、
ろうの人と話したいと願い、
手話通訳者が技術が高いのもわかるので料金も払う。
そこまで、世の中が進んできたことは、
大変喜ばしく、
また、そういう姿勢の人が増えることは、歓迎すべきことです。
しかし、まだまだ、そうした思いとは裏腹に、
手話通訳が良い質で、
適した環境で通訳するためにはどうしたらいいか?
ということに、思いが至る人は少ないようです。
重要な話であればあるほど、
「食事をしながら」の通訳はできません。
それは、手話通訳が、手と目を使う通訳だからです。
会食は、互いのムードを和らげ、
打ち解けて話し合える良い場所の一つですが、
通訳者は、その両者の間に立ち、
常に、聞こえない人の手話を読み取って、音声に変え、
音声で話された言葉を、手話に変え、
話が盛り上がれば盛り上がるほど、
飲み物を飲むタイミングさえ、
失ってしまう場合もよくあります。
そんな通訳者に、
「あれ?あまり召し上がってませんね。どうぞどうぞ。」
と言われても、
心の中で『その、あなたの通訳をしてるんだから食べられません。』
と思わざるを得ないし(笑)
通訳者は、その言葉すら、「ろう者に通訳したい」と願うものです。
なぜならば、
「音声同士の会話こそが、聞こえない人の最も聞きたいこと」だと、
通訳者自身が一番知っているからです。
さらに、
「ああ、これは、くだらない話ですから、通訳しなくていいですよ。」
なんて言われたとしたら、
そのくだらない話こそが、
なごやかなムードを誘う、心遣いから生まれるものであり、
そここそが、通訳しなければならない、大事な部分。
その通訳をしない通訳者は、そもそも、いい通訳者とは言えません。
だから、通訳者は、通訳者として、その場にいたら、
できるだけ、細やかに通訳します。
そのほうが、コミュニケーションが、スムーズにいくからであり、
そこが、日頃、聞こえない人が最も聞きたいことの一つだからです。
そうなると、手話通訳者は、
せっかく出してもらったお料理も、ほとんど手を付けないし、
ましてや、通訳中に、ワインなんて、飲んだりはしません。笑笑
・・・・というわけで、
「通訳者として出向いた」友人は、
ほとんど料理は、食べず、
「良い通訳」をして、帰ってきましたとさ。笑笑
これが、単に友達同士であり、
本人同士は、通訳がなくても、それなりに、
身振りや筆談で、仲良くコミュニケーションし、
重要で、どうしても通じない部分だけ、
さりげなく通訳する。
という状況なら、
もちろん、通訳者も、そこまで、細かく考える必要はないでしょう。
でも、こと「通訳者として依頼され」その場にいるなら、
対応の仕方は、大変重要です。
私たちは、こうした通訳の場合、
事前におなかに何か入れていき、
現場では、食事をせず、
簡単な飲み物だけを、さりげなく準備していただきます。
それが、雰囲気を損なうなら、料理も、簡単につまめて、
さっと口に入れられる軽食を、メニューに組み込んでいただくなどの、
工夫をしていただいています。
また、もしコース料理などが出た場合も、
あらかじめ、
「通訳を優先するのでそんなに食べられないが、
それは、失礼な態度をとりたいからではない。」
ということを、よーくよーく、伝えておきます。笑
また、本当に重要な内容であれば、
食事も含め、2時間くらいは、かかるであろうことを想定し、
通訳者は、一人でなく、「交代で2人」を、
準備していただくようにしています。
もちろん、こうした考えがすべてではないし、
頼む側からしたら、
それほどじゃないのに!と思うこともあるかもしれません。
しかし、手話を言葉として使うろう者や、手話通訳者の側からすれば、
重要な課題が隠されていることもたくさんあります。
へえ! こういう発想もあるんだな~と、
多くの方に、知っていただければ、うれしく存じます。
一口に食事の席での手話通訳といっても、
カジュアルな場なのか、けっこう気軽なランチなのか、
きちんとした会食なのかなどによっても、条件は違ってきます。
通訳者を依頼する場合は、
もし、自分が通訳者だったら・・・
自分が聞こえない人だったら・・・
と、思いをはせてみると、いいかもしれませんね。
社会が少しずつ進んできて、
通訳の依頼も、その方法も少しずつ変わってきた今だからこそ、
聞こえない方々や手話への、さらなる幅広い理解が、
求められているように思います。
いつも、長文、読んでくださって、ありがとうございます。
近所のカキの実が、大きくなってきています。
オレンジに実るのは、いつのころなんでしょうかね。