左とん平さん ありがとうございました!!


かつて、TBSの「ラブレター」というドラマで、
左とん平さんと半年間ご一緒させていただきました。
今でも、その時の撮影風景や、スタジオの様子が目に浮かんできます。

今年2月、大杉漣さんにつづいて、
左とん平さんの訃報が届き、とても寂しく、
忙しさの中、ブログも更新できていなかったので、
ゴールデンウィーク中の今、
メッセージを、投稿させていただきます。


ラブレター.jpg
(C)手話あいらんど/TBSドラマ「ラブレター」


左とん平さんは、私たちより何世代か上の俳優さんで、
私が子供のころから、
元気な面白い演技で、いろんなドラマに出演されていて、
心に残る役者さんの一人でした。

その左とん平さんと、私が初めて生でお会いしたのは、
鈴木亜美ちゃんらが出演した「ラブレター」というドラマの顔合わせの日です。
その日から、とん平さんは、
レギュラー出演陣として、いつもスタジオに来ておられ、
私たちは、毎日のように、
撮影や休憩時間を、共に過ごさせていただきました。
ご一緒させていただいた半年間は、私たちにとって宝物となったと感じています。

聞こえない女の子と暮らすことになった家の、
おじいちゃん役だったとん平さんは、
役柄の中では、温かみのあるうまへた手話(笑)で、
いろんなセリフをお話をされていました。

実は、ドラマの中でのとん平さんの手話表現は、
半分は私たちが提案した手話単語でしたが、
残りの半分は、
ご自分で身振りの中から生み出して、表現されたものでした。
買い物なら、紙袋を提げている様子、
部屋の電球なら指差せば良いね、
船は、ちゃぶ台のお皿を持って揺らせばどうだろう・・
などなど、
とん平さんの、やわらかい頭から生み出された、
暖かい表現が、ドラマの中に、あふれていたのです。

これ、ドラマの役柄ということに限らず、
聞こえない相手と通じ合える方法は山のようにあるのに、
話すことをあきらめてしまうことが、私たちにはよくあります。
その壁を乗り越えるのは、実は技術でなく、
「思い」だということ。
私たちが、最も忘れがちなこのことを、
左さんは、改めて、
役作りの中から教えてくださったように思います。

とん平さんは、
休憩時間には、ろう者スタッフと通訳を交えることなく、
これまた、身振り手振りで、
「早く、食事にしたい」とか、
「夜遅くて疲れたね」なんて、
本当に、たくさんのお話をされていました。
最初は、大ベテランの俳優さんで、
気難しいのではないかとか、
怖いのではないかなんて思っていたのですが、
それは、大間違い!
実際にお会いしたとん平さんは、
楽しくて、優しくて、本当に素敵な方で、
ドラマが終わっても、
お別れしがたい気持ちでいっぱいでした。

現場の演技という仕事の中で、
「心を込めて伝え合うこと」の大切さを、
教えてくださったとん平さんのことを、
今も、暖かく思い出し、
また、これは人生の先輩からの生き方へのメッセージなのだと、
改めて感じています。

今朝がた、ふと、左とん平さんの笑顔が浮かび、
ドラマの打ち上げでも、
「いや、本当に、僕は手話が下手だった。
若いとき、もっとやっとけばよかった。」
なんて、おっしゃっていたのを思い出しました。
いいえ、そんなことはありません。
とん平さんは、そのまま、
聞こえないスタッフといろんな話をいっぱいしたじゃないですか。
それが素敵だったんです。
とん平さん!!

私たちもまた、とん平さんの暖かい心を胸に、
手話の夢の配達人として、前に進んでいきたいです。
本当にありがとうございました。
いつも、心のそばに。


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ドラマ「ラブレター」で、笑顔のとん平さん。
耳の聞こえない主人公美波との食事シーンで。