聞こえない人にとって映像字幕で最も大切なものは?
テレビもデジタル放送時代になり、
生放送でも、番組に字幕がついていることも増えました。
映画では洋画は、字幕版も多く、
聞こえない人の中にもファンがいっぱいいます。
ただ、まだまだ、映画館に行っても、
アニメ映画に字幕がないとか、
邦画の字幕は期間限定で、午前の時間帯しか見られないとか、
とある決められた1週間などしか見られないことも多く、
聞こえない人にとっては、不便なこともいろいろあります。
テレビ放送も、深夜の時間帯のバラエティなどでは、
人気で話題になっている番組でも、字幕のないこともあります。
以前、とある新聞社の方が、
映画の字幕上映を求める私を取材に来て、
「南さんは、これが、いい映画だから、
聴こえない人に見せてあげたいんですね。」
と言ったことがあります。
でも、福祉・ボランティア的観点から見ても、
この考えは、もう古い!!
映画やテレビの字幕は、
聴こえる人が考えて、
いい映画だからと、聴こえない人に、
つけて見せてあげるというような、上から目線で考えても、
良い方法や答えは出ないのだ。
本来の意味での、バリアフリーとか、人としての平等を考えるなら、
そういうものの見方こそ、大きくずれているのであり、
実は、字幕が付いてこそ、
「聴こえない人自身が『自分の目で』」
いい映画かどうかを 判断することができる!
ここが、最も重要なことだ。
また、とあるメディア関係者に、
「聴こえない人が、映画の内容を知りたいなら、
一緒に行った人が、通訳をしてあげればいいじゃない。」
と言われたこともあります。
(でも、そもそも、
映画館などの暗がりで通訳をするということ自体、
口元が読めない、手話が見えづらい!ということになり、
不便だということも気付いてほしいし!!笑
そこを見えやすくするために、明かりでも照らそうものなら、
それこそ、周りの方々に迷惑をおかけする!!
ということは、あえて、おいておいて・・・汗&笑)
字幕は、聴こえない人が、
映像の内容を知るためだけに あるのかどうか?
こここそ、私たちは、みんなで考えなければならないと、
常々思っています。
実は、字幕とは、
「ねえ、今、あの人何を言ったの?」
「あれ? これ、どういうストーリー?」と、
一緒に映画やテレビを見ている友達や家族に、尋ねることなく、
同じように同時に対等に楽しみ、
「あれ、くだらないねえ・・」と笑ったり、
「私、このセリフ好きだわ!!」と、
話したり、感じたりするためにこそ、
あるのではないか?
聞こえない人も、友人や家族に尋ねたり、
教えてもらったりすることなく、
自由に同じものに触れられること。
相手に手間をかけさせず、
まさに対等に、情報を得られること。
ここに、字幕の大事な意味があると、私は思う。
だから、字幕は、
聴こえない人にとって、
ある意味誇りであり、自立であり、
喜びであり、自由を保障するものなのだと、
多くの聴こえない友人たちと触れ合いながら、
いつも、感じるのです。
字幕については、最近でも、聞こえない人たちと、いろいろ話していると、
テレビの生放送では、文字情報が出てくるのがすごく遅くて、
どの話題の字幕なのかと頭が混乱したり、
CMには、字幕がほとんどないから、
結構人気のものでも、聞こえない人の中には知らない人もいるとか、
テレビではついていた字幕が、いざDVDになったらついていなかったとか、
そういう場面に多く出くわし、
寂しい思いをすると、教えてくれます。
ここからも、少しずつ、いろんなことが良い方向に変わっていくと嬉しいですね。
聴こえない人が、
テレビや映画、DVDなどに、
字幕がほしいな~と、言っているとき、
その人の中にある、
便利さ以上に大事な 心の誇りにも、
私達は、気づいていきたいなと、思います。
多くのみなさんと一緒に、
いろいろ考え、学んでいきたいと思います。
いつもありがとうございます。