日本は、世界の中の少数派!!


世界の中の日本は、少数派。
よくそんなことを考えます。

9日、ヤンキースのまーくんに、ちょっとしたニュースが出回りました。
レッドソックス戦で、相手方のアナウンサーが、
試合中に、コーチと通訳者を介して話すまーくんを見て、
「英語がわからないのか?野球用語くらい覚えろ。」と言った主旨の発言をし、
アジア人に対する差別ではないか?と、問題になったのです。
その後アナウンサーと、レッドソックス関係者はすぐに謝罪、
問題は大きくなりませんでした。

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2018.10.09 AP伝

日本人は、海外では少数派です。
英語を話すのが当たり前の、アメリカに行けば、
アジア人だから、英語も話せない!とバカにされることもあります。
日系人だった私の両親は、かつて、オーストラリアのレストランで、
よく、注文を取りにこない!という無視を受けたと話していました。
結婚差別も当たり前で、肌の黄色い日本人は、
オーストラリアでは、長く白人との結婚は許されませんでした。

私たちは、日本に生まれ日本で暮らし、日本で大きくなり、
日本だけで暮らしていると、
ついついそんな世界のことを、忘れてしまいます。
隣もうちも街も、仕事先も学校も、みんなが日本語で話し、
日々日本語漬けになって、
そのほかの言葉があることや、
実は日本人だって、世界に出れば、
相当な少数派だっていうことを想像することがなくなってしまうのです。

私は、手話を通じ、長く傍でその姿を見せてもらっている、
多くのろうの人たちの生き方に、深く感銘を受けることがあります。

例えば、かつて家を建てるローンが組みづらかったろうの人たちは、
自分たちの立場を訴え続けて、民法を変え、
いまでは多くのろう者が、自分の力で家を立てています。
一般の法律でなく、古く権威のある民法が改正された歴史に、
私は、ろう運動の粘り強さと力強さを感じます。

とある聾唖少年のバイク問題が発端となり、
かつては持てなかった車の運転免許を、
ろうの人も取れるようになり、
私ももちろん、若い頃は、
ろうの友人の運転する車に、何度も乗せてもらいました。

手話通訳者の地位をもっと保障してこそ、
ろう者の立場を守れると、
全国が動いた運動で、生まれたのが、
平成元年からの手話通訳士制度です。
今でこそ、手話を学べばその先に、
多くの人が目指す手話通訳士ですが、
その資格も、ろうの人たち、
そして全国の通訳者の方々の力があって、
人の手で築かれたものです。

自分の耳で、読み聞かせの確認をせよ!と義務付けられ、
なぜか手話通訳を介することができなかった遺言書に関する法律も、
私の知る、笑顔がステキな高齢のろう運動家が中心となり、
法律改正が果たされて、いまではもちろん、
遺言の読み聞かせに手話通訳者の同行が認められています。

歴史の中で、涙をのんだ人。
ただ、立ち尽くした人。
だって仕方ないじゃないかと嘆いた人。
なすすべのなかった人。
志半ばで倒れた人。
涙と悔しさをバネに立ち上がり、
決して折れなかった人。
やがて、多くの人の願いがうねりとなり、
ともに前へと時代を押し出した人。
どの人も、すべての人が思いをつないで、
ここにいまの日本があることを、
私は、ろうの友人たちの姿から、
まるまる教えられ、人のすごさを示されています。

そこには、少数派たる人々が、
その壁を越えるための、
知恵とエネルギーが結集され、
もし、自分が100人の中の1人になったら?
もし、絶対自分が正しいのに、
間違った人たちに取り囲まれたら?
そんな、けして幸せと言えない境遇にさらされた人が、
いかに生きるべきかという、
選択と強さが、示されているのだと、
感じずにはいられないのです。

手話と関わる日々の中、
わたしにとって、ここまで見てきたろう運動は、
人の生き方の大いなる教科書の1つです。

私達日本人は、世界の中では少数派。
でも、日本にいれば、多数派。
日本にたった1人でやってきたヨーロッパ人は、
日本で暮らせば少数派。
車椅子や目の見えない人は、少数派。
でも、私たちが、夜真っ暗な停電にさらされれば、
目の見えない人の方が自由で強い。
状況によって、私達は、多数派にも少数派にも、
強者にも弱者にもなるのです。

そんな中で、聞こえる私達は、
聞こえない人とどう付き合って行くのか?
そう考えてみれば、
違ったものが見えてくるように思います。

10月11日午前、また、わたしの知り合いのいる市で、
手話言語条例が議会を通過します。
「手話は言葉」と、知る人たちが、少しずつ増えてきた。
そんな時代になりました。

取り留めもないことを書きました。
わたしは、手話を通じて出会った、多くの方々に、
感謝しています。