短大生の志


毎年後期になると、保育士などの幼児教育を学ぶ短大で、
将来のコミュニケーションに役立ててもらうため、
手話の授業をさせてもらっています。

今年も、その授業が始まって、何週か経ちました。
学生たちは、もう、授業に声がないのもよく心得ていて、
しっかり前を向いて、
私の説明を見入ってくれています。
私語をする学生には、その私語の手話を教えてあげると、
意外にも、楽しそうにそれを覚えて、
手話で話してくれたりもします。笑笑

授業は、もちろん手話が初めての学生たちに、
基本的な会話や、手話を取りまく様々な情報をお伝えし、
将来保育などの現場で、役立ててもらいたいというのが主な目標です。

でも、今年は、なんだか、兄弟がろう者で、
自分が聞こえるというネイティブの学生も一人、
この授業を受けてくれています。

話を聞いてみると、夢は、ろう学校の幼児教育の先生になることで、
ここで保育の勉強をした後は、
他の大学の教育学部に編入して、
支援教育の免許もとりたいとのことです。
下の兄弟がろうだったことで、
家族みんなで手話を覚え、
今は、家でみんなで、手話で話しているということでした。
これから、手話通訳士の資格も取りたいので、
どうしたらいいか?という相談も受けました。

なるほど、この学生は、
そういったことも、私と話そうと思って、
手話の授業を取ってくれたのだと思うと、うれしくなりました。

私の年代では、とても悲しいことに、
聞こえない子が生まれたことがきっかけで、
ご両親が離婚するといったことも、よく聞く話で、
田舎では、耳が聞こえにくく、補聴器を付けるだけでも、
親族で話し合い、
おじいちゃんの許可をもらう必要があったという友人もいます。
また、家族に聞こえない人がいるのは、家の恥だと考える人もいました。

時代は大きく変わり、
今では、聞こえない赤ちゃんが生まれたら、パパ・ママがそろって手話を学び、
こうして、聞こえる兄弟が、手話で話すことを誇りとし、
ろう学校の先生になりたいと志す若者もいる時代になりました。

家族で手話を話すネイティブでも、
通訳になれば、必要な語彙の範囲も違い、新たに勉強も必要で、
手話通訳士を目指すにも、それなりの努力は必要かと思いますが、
この学生は、その気持ちを素直に話していることが伝わってきました。

こうして、生き生きとろう者の兄弟や家族のこと、
将来の夢や、手話への思いを話す学生が、
目の前に現れて、本当に、うれしくて、
あの日あのころ、私が手話で話すのを大喜びしてくれた、
ろうのおじいちゃんおばあちゃんたちに、
とても見てもらいたいと思いました。
「ねえ、見て見て、
この子はね、兄弟がろうで、手話がとても大事で、
将来は、手話通訳士の資格を取って、
ろう学校の幼児教育の先生になりたいんだって。
ほら、こんなに堂々と、自分の夢を語ってくれるよ。
こんな時代になったよ!!」
と、みんなを呼び集めて、教えてあげたくなりました。
きっと、あの頃のおじいちゃんおばあちゃんがいたら、
この学生の周りに集まって、
「どうして、そんなに手話がうまいの?」
「ろう学校の先生になってくれるの? うれしい!」
「私のころにはね、ろう学校は、手話が禁止だったんだよ!!
あの先生たちに、あなたの姿を見せてあげたい!!」
と、いつまでも話しかけたに違いありません。
 
この学生の夢も、かなうといいなと思いましたし、
きっと、まっすぐにその夢をかなえていくのだろうとも思いました。

手話はこころ。
手話は言語。
言語は心。
手話は、ろうの人の心の言葉。
私たちがそう習ったように、時代がここにきて、
一人の学生の夢が目の前にあること。
この日までの多くの人の熱い思いが、実現しつつあると、
肌で感じられる今日がある。

あの日の、ろうのおじいちゃん、おばあちゃん、
一緒に時代を押し出そう。
みんなで。


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今週の短大の中庭のもみじ。
この日は、男子学生が、キャッチボールをしていました。