声なしの授業をする意味
今週の関東は、秋晴れのいい天気の日が続きました。
私はこの時期は大好きです。
空や、木の葉が綺麗ですね。
この秋も、神奈川県の保育士さん育成のための短大で、
手話の授業を担当しています。
この授業で、私は、
皆さんも良くご存知の通り、
「音声を一切使わず」会話を続けています。
最初は、驚く学生たちも、
もう1ヶ月たって、すっかり慣れてきたようで、
教室に入ると、一人一人元気に、
手話で「こんにちは」とあいさつしてくれるようになりました。嬉!!
短大の授業は、毎回90分。
全15回の内容が展開されます。
それを毎週とは、さぞや大変だろうと思う方も
いらっしゃるかもしれません。
確かに最初の、3回目くらいまでは、
必要なことを全て、ホワイトボードに書くなど、
ちょっと大変なのですが、
指文字なども勉強してみんなで覚えてくると、
数段に、進行が楽になります。
この授業がなぜ、声なしなのかというと、
第一に、
「手話が音声を使わなくても通じ合えるとても便利な言葉」だからです。
手話の良さは、
耳が聞こえなくても音声がなくても通じ合えるところにあるわけで、
せっかくの授業で、わざわざ耳から情報を得るよりも、
目で見て理解する可能性を広げてもらえればいいなと思っています。
そして、第二に、全国には、耳の聞こえない学生がたくさん、
短大や専門学校、大学に通っています。
そうした「同年代の学生たち授業の様子などを、
手話を通じて想像してみて欲しい」と願うから。
聞こえない学生たちも、全国で、
ホワイトボードやテキスト、文字通訳や手話通訳を見ながら、
みんなと同じように、大学の授業を受けています。
そして、第三に、いや、これが第一かもしれませんが!!笑
学生たちが将来、ろうの方と出会ったとき、
使い慣れない手話を見て、
音声のない言葉に「パニックにならないため」でもあります。
人は、例えば、
日本語を書き換えただけのローマ字のアルファベットを見ても、
「英語だ!」と勘違いしてしまえば、あわてて、
全く読めなくなってしまうこともあります。笑笑
手話でも同じ心理に陥ってしまうと、
当然ですが、私たちはパニックになって、
勝手に自分で「わかりません」モードの
スイッチを入れてしまいます。汗汗
相手のろうの方は、多分、手話に慣れない私たちに、
ペラッぺラの手話で、話しかけてくることはないはずです。(笑)
もしかしたら、それはちょっとした身振りだけかもしれません。
そんなとき、私たちが慌ててしまったら、
通じる話も通じなくなってしまいます。汗&笑
こうなってしまうのは、ちょっと残念。
これでは、せっかくの出会いやコミュニケーションのチャンスが
減るかもしれないし、
生まれるはずの友情も、生まれなくなってしまうかもしれません。
そんな時、もし、私たちが、あわてずに、
文字を書いたり、身振りをしたり、そんなことができて、
落ち着いて相手と向き合うゆとりが持てたら、
コミュニケーションの可能性が数段に高まります。
そんなわけで、私は、学生たちに、
「手話は特別じゃないんだ」という気持ちを、
授業の中から体感してもらいたいなーと思っています。
学生たちの中に、そんな気持ちが根付いてくれれば、
聞こえない人との垣根が少しずつなくなって行くに違いありません。
私はそう願って、
毎年、声なしの授業を続けています。
幸い、この授業で、半年を過ごすと、
ほとんどの学生たちが、簡単な手話が読み取れるようになり、
自分たちの意思表示もでき、
「手話は楽しかった!」と言って、卒業していってくれます。
学生たちは、たとえ手話という技術を忘れても、
「楽しかった」記憶があれば、
将来、聞こえない方と出会ったとき、また、
なんらかのコミュニケーションを取ろうとする勇気が生まれるように思います。
思いを育てるための、声なしの手話の授業。
今年も、だんだん学生たちが、
積極的に話すようになってきてくれて、
後半も、頑張ろう!!と思っている。
秋の1日です。
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