特性を生かした仕事につけば障害は障害ではなくなる!


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神奈川県の短大の紅葉が、とうとう葉を落とし始めました。
もう冬ですね。

この時期短大では、手話学習の一環として、
聞こえないゲスト講師を招き、
手話で体験談を話してもらっています。

今年は、ろう者の高齢者も利用する施設で、
介護スタッフとして働く聞こえない方を招いて、
生活や仕事の体験談を話していただきました。

ろうの人と普段触れ合っている方なら、もちろんよくわかっていることですが、
手話を豊かに使うろうの方を見て、学生たちは、
「聞こえない人は、思っていたより明るくて驚いた。」
「離れた場所や、電車の中と外、水の中などで、
ろうの人が手話で話すと聞いて、なるほどなと思った。」
など、
これまで「かわいそう」「不便」「聞こえないと生活に危険が多い?」
などと思っていたことが、少し現実とは違うんだなと気付いたりします。
その中で、
「聞こえない人も、私たちと同じように、
普通に楽しい生活を送っているんだと思った」と、
感想を聞かせてくれる学生たちもいます。

また、
「これまで習った、わずかな手話でも、
一生懸命話したら、わかってくれて、嬉しかった。
もっと手話を学びたくなった。」
と、話してくれる学生もいます。

さらに今回は、
「聞こえないと仕事が限られるのではないかと思っていましたが、
聞こえない高齢者にとって、
手話で話してくれる、若いろう者は、とても必要で、
こうした仕事は、聞こえない人ならではの仕事だし、
自分たちには、真似ができないと気づいた。」
「特性を活かせる職業に就けば、
障害は障害ではなくなるんだなと思った。」
と、レポートを提出してくれた学生もいて、
私も感動をもらいました。

ろう者の高齢者は、一般の聞こえる高齢者の施設に入ると、
話し相手が極端に減り、孤独に陥ると言われます。
高齢が故に筆談も手間取る年代では、
手話があることが、心の大きな支えとなる場面も数多くあります。
そんな時、同じ利用者の中にも、また介護スタッフの中にも、
同じ立場のろう者や、手話のできる人が多くいることは、
ろう者高齢者にとって、
施設での生活を豊かで有意義なものにします。
これが、昨今各地で、
「ろう者専門の高齢者施設を増やしたい」と願われている理由です。

私たち日本人が、もし、海外で高齢者施設に入り、
周りの利用者もスタッフも、現地語しか話さなかったとしたら。
その人たちが、ほぼ日本のことを認識しておらず、
そんな中で、どんなに優しく接してくれても、
日本語の機微も通じず、
こちらの話しかけにも、細やかな返事はなく、
微笑みしか返って来ることがなかったら。
そこで過ごす私たちは、
いずれ話す意欲を失ってしまうかもしれません。
自分の言葉が、その意味をなくしてしまうのです。
高齢者が、言葉を外に出さなくなれば、記憶も混沌とし、
自分で自分がわからなくなり、認知症も進むかもしれません。

そう考えれば、
手話が母語のろうの高齢者には、
手話に囲まれた暮らしこそが、
心の安心と平穏をもたらすと考えるのは、
ごく自然のことだと感じます。

そんな中、聞こえない人自身が、
ろう者高齢者の介護をかってでるなら、
それは、多くのろう者の老後の安心を支える活動そのものであるし、
また、高齢者にとっても若い介護者にとっても、
誇りにつながる生き方の一つになるように思います。

最近では、流れる音声とともにプロンプターの文字を見ながら、
日本手話で通訳する「ろう者の姿」も、見かけるようになりました。
音声の日本語を、ナチュラルな手話にするには、
実は、ネイティブのろう者の方が、向いているのです。

「特性を活かせる職業に就けば、
障害は障害ではなくなるんだなと思った。」
と言ってくれた学生の言葉は、
私にも豊かな気づきをもたらしてくれました。
出会いは宝物です。


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上の写真の、1週間前の紅葉は、今年で一番きれいな紅葉でした。