手話通訳に向いている人 2019 その1
世田谷ではもう、早咲きの桜が開花を始めています
手話通訳士として活動をしていると「私も手話通訳士になりたいです。どうしたらいいですか?」「どんな人が手話通訳に向いているのでしょうか?」と、尋ねられることがあります。
今日は、そこに私なりの答えを書かせていただきたいと思います。読んでくださっているあなたからしたら意外!!なものもあるかもしれません。笑 でも、私はこう思います。
それから、その内容をご紹介する前に、まず!! 多くの人にとって、「手話を学ぶこと」と、「手話通訳者になること」は、別に考えたほうがいいかもしれないことも、最初にお伝えします。
私自身そうですが、手話と 音声の日本語では、表現形態も文法も違います。その中で学ぶ、手話の素晴らしさやろう者の力強さ 人の生き様、また逆に、二つの言葉を学ぶことで見えてくる日本語への気づき、面白さは、通訳に関係なく私の人生を大きく豊かにしてくれています。
また、聴こえない友人たちや、若き頃お世話になったろうのおじちゃんおばちゃんたちとのふれあいも、いま私の心に暖かく強くその芯をなしており、それは「心」の問題であり、通訳技術とは関係ありません。笑
出会いは、人を豊かにし、自分と違う文化や言葉への尊敬を生み出し、通じないと感じたときの「伝えたい」と願う人の想いは、何よりも互いを強くし、人と人をつなぎます。そのコミュニケーションにウマいもヘタもないし、まさにヘタでも心は相手に向かって乗り越える力を持っています。その喜びや感動が、技術を超えることは、多くの人が知っています。
私の周りには、手話がなかなかうまくならなくても(ごめんなさい/汗&笑)、飲み会でなら、なぜかろうの人と面白いくらい通じ合っている友人もいますし、通訳なんててんでできなくても、ろう者とサッカーをしているうちに、試合中の手の合図なら即座に判断して動ける人もいます。こうした方々には、もはや私もついていかれません。汗笑 心と思いが!言葉と文化の壁を!乗り越えているのです。
私はこれがまさに「手話」と実感していますし、これほど人を熱く暖かくしてくれるものはないと思っています。
今からするのは、手話の技術や通訳の話ですが、こうした「思い」こそが人の心の石杖であり、何者にも変えがたいということは大前提。つまり、「手話を学ぶ」ということについて”向く向かない“は一切関係なく、出会いは誰にも大いに意味と価値があり、友情も喜びも喧嘩も仲直りもたくさんの人間模様があることこそが生きるということであり、「手話に向く向かない」を問うのは愚の骨頂だということです。
ここを押さえた上で!! 話を始めましょう。
さて、ここから本題です。
手話通訳(いや全ての言語通訳に当てはまるかもしれません)を目指す人にとって、それが自分に向いているかどうか?は、気になるところです。
また、私がここまで、手話を学んでいる方々とふれあう中で、明らかに「通訳」に向く人と向かない人はいます。
私は、日頃から、ろうの人と遊びまくって、なぜかその中から手話を覚えて通訳をするようになったタイプですが、そこまで深くろう者の世界にどっぷり浸りきっていなくても、通訳がサラサラとできるようになる人がいるのです!!明らかに!! 大汗 はっきり言って、うらやましいです。笑
さて、そんな手話通訳に向いている人とは、どうやらこんな人です。
1、ものの見方
◯ 自分が通訳に向いていない。と明らかに思っている人
◯ 手話を最初に見たとき、カッコいいとか素晴らしいとか、感じた人
◯ 福祉と言語は別だと考えている人
2、メンタル
◯ 自分の上手い下手はさておき、また明日も学ぼうと思う人。
◯ わからないことがヘコむ材料とならず、その「わからない」ことこそ面白がって知りたいと思う人。
◯ 気持ちの安定している人
3、手話以前にその人が持っている下地
◯ 日本語の言い回しをたくさん持っている人
◯ 絵を描くのがうまい人
◯ 英語など、他の言語を学んだ経験のある人
・・・私にも、これは当てはまっているものもないものもあります。汗
特に2のメンタルは、足りないなあ・・・・大汗 &笑
ひとまず、今日のブログはここまで。
箇条書きにしたそれぞれの項目が、一体どういう意味なのか? 引き続き、私見をまとめていきたいと思います。感謝。
「すぐに役立つ!日本手話 読み取り 完全マスター」講座
2019.01.27(日)世田谷近辺
http://minamiruruka.seesaa.net/article/463719028.html
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