どうしても放っておけない学校の先生方の姿勢


手話通訳士が育ちにくいと言われ、全国的に手話通訳のできる人が少ない!!という訴えが、耳に入ってきます。
今年も1月31日、手話通訳士試験の合格者が発表されました。
第30回手話通訳士試験は、受験者数が1105人、合格者108人。合格率は9.8%。
このうちで、20代の合格者は13人。30代13人。40代38人。50代36人。60歳以上8人。となっています。
若い人が少ない!!と感じる方も多いと思います。

ここで将来的に、子供の学力や人生や価値観に大いに影響を与える小中学校の先生方に、一人の手話通訳士として大いにお願いがあります。
「学校の授業では、手話の存在を大事に扱ってください。」
その思いがつながって、将来の良き手話通訳者が生まれるのです。あなたが、大事にしなかった言葉は、子供達にそのように価値低く映り、子供達は手話通訳になど見向きもしなくなる可能性がある!と私が思うからです。

さて、ここで大事にする、大事にしないとはどいうことかを、例もあげながら、考えたいと思います。

例えば英語の授業を考えてみましょう。
もし、先生が、小中学校の英語の授業でいい加減な前置詞や文法、間違ったスペルなどを教えたら、間違いなく大問題となります。ましてや発音は、今や最低でもCDやDVD、余裕のある学校なら、ネイティブの先生を交えてコミュニケーションの時間を持っているところもたくさんあると思います。この英語に対する取り組みは、今、全国的また一般的な常識かと思います。
子供に間違えた英語などを教えるなんて、とんでもないからです。子供達には、受験もさることながら、どうせ学ぶなら正しく、そしてネイティブの方に会っても通じ合える豊かでナチュラルな表現を学んで欲しいと、多くの人が願っているのではないでしょうか?

一方、手話について私たちが肌で感じるところとしてお伝えするなら、実は、様々な学校等にお邪魔すると、多くの学校が手話の歌を取り入れたりしていますが、その手話は、地域の通訳者やろうの方が教えたものではない場合もたくさんあります。先生が聞きかじった知識だけで、手話の本などを見て、文法も考えずに単語だけ並べて指導していたりする例をたくさん見てきました。泣
手話の挨拶や簡単な文なども、同様に、先生方がちょっと手話辞典などを調べて、確かなこともわからないまま指導しているケースがままあります。そうした先生方は、手話が動かす方向によって正反対の意味になる場合もあるなど想像もされていないようです。また、ひどい場合、表しておられる先生の手話単語自体が、間違えている!ということもあり、子供達がまた、それを覚えて使ってしまっていたり・・・汗
そして、そのような先生方は、明らかに、自分が手話を話すのが苦手で、実はよくわかっておられないので、地元のろうの方がすぐ近くにいるにもかかわらず、ご挨拶をされたこともないという方もおられます。
これは、南が見たほんの一部の学校だけではないか?と思う方もおられるかもしれませんが、もちろん、これは2件や3件ではありません。同じ手話の現場におられる方なら、少なからずそのような場面に出くわしたという方もおられるはずです。
また、さらにいうなら、もし万が一、英語であったとして、たった1校でも、このような責任の所在の分からない授業をする学校があったなら、あなたは、どう思うでしょうか?

念のためにお伝えしておきますが、英語でも手話でも、向く子向かない子はいますし、なんのために学びたいかも違うし、ほんの少し、単語だけでもわかれば嬉しいという子供もいるのは、同じであり、価値あることと思います。
また、たとえその子が、言葉を間違えて覚えたとしても、異文化異言語に触れることは、それ自体がその子の人生を豊かにしてくれるものだと思いますので、今は、その指導成果・結果などを問うているわけではありません。
問題は、指導している先生の側の姿勢と、ものの見方です。

さて、話を戻して、英語と手話。同じ言語でありながら、なぜここまで、学校で、先生方の言葉に向ける姿勢が、違うのでしょうか?
英語は文法が違っては大問題。手話は単語さえも間違えて教えてしまっても、それで指導したことになってしまっている・・・
そしてそれは、本当に子供達に、聞こえない人々との出会いを、手話を通じて大事にしてほしいと願うべき教師としての姿でしょうか?
私は、あきらかに、一部の先生方の中に、手話をいい加減に扱っている姿勢があると、感じます。先生方に問います。これ、あなたならどう思いますか?

一方、最近では、だんだん そうした問題に気づく先生方も増えてきたのは事実です。「教師なんだから最低でも手話通訳士程度の力を持った上で教えたい(=小学校教諭には小学校教諭の免許がある/音楽教諭には音楽の免許がある。だから手話にも指導者の能力が必要だと考える)」とか 「聞きかじりの自分が教えるのでなく 地域のろうの方との出会いがつなげる授業を考えたい。地元のろうの指導者や通訳の方にきていただいて教えてもらいたい。」と 考える人に 時々お会いするようになって来ました。
これは、私の中では、とても熱く暖かく嬉しいことで、こうした先生方から手話の指導を受けた子供達は、ほんの短い時間でも、同じように手話を大事なのだと感じ、実際のろうの方や通訳者の方に会えば、直に感じられることもあり、子供達なりに何かを心に留めてくれるようになるのではないでしょうか?そうした子供の何人かに一人が、手話について自然に学びを深め、手話通訳に興味を持ったり、手話通訳者を目指したりしてくれるようになるのだと思います。

私たちは、子供の頃、親や学校から様々な教材や価値観や思いを与えられて大人になります。いまの世はおそらくそうやって、10年20年そしてもっと前からの願いを授かった子ども達が、大人になって実現しているのだと思います。大人であるあなたも私も、その一人かもしれません。

そんな中、手話通訳者不足については、いますぐできることを、私たちも取り組み、もっともっと明るく元気な現場にして行きたいですが、学校の先生方には今一度、手話の授業のあり方を見直していただきたいのです。

あなたの授業は、子供達の将来につながっています。
手話は、日本に生まれた私たちが日々使う日本語や、必死に学ぶ英語などの外国語と同様、聞こえない人にとって大事な言葉です。
私の友人の日系人が話すスペイン語や、ポルトガル語や、すぐ近くの韓国の言葉も中国の言葉も、私の知り合いが勉強しているピリピノ語も、インドネシアの言葉も、様々な言葉も、皆その地で先人から授かり、共に生きて心を通い合わすために人々が使っている大切な言語です。

先生、あなたは手話もそんな大事な言語だと思ってくださっていますか?


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本題とは、関係ありませんが、アボカドに隠れたその下のハンバーグが好きなのです。ケールも美味しかった!笑