令和は手話放送見直し元年!!
【改元発表の手話について思うこと】
私は、30年以上前、(つまり昭和!笑)、高校生の頃テレビの手話通訳を見て “カッコいい!!” と思いました。それから、大学に入るとろうの学生がいっぱいいて友達となる機会を得て、手話を始めました!!
テレビ放送のあり方は、良くも悪くも私たちに、様々な影響を与えるものだと思います。
「令和(れいわ)」の元号発表の時、NHKだけが同時に手話通訳のフレームを入れ、通訳者は、新しい元号について、何も知らされることなく、官房長官の横に立ちました。
これによって、二つの大きなことが起こりました。
ひとつは、官房長官がまさに手話通訳が入るその位置に「令和の額」をあげてしまったため、その額が手話通訳で隠れ、むしろ手話通訳者がその額に入ったかのように見えてしまったこと。
もうひとつは、通訳者が元号の発表の音声をうまく聞き取れることなく手話の指文字を「メイワ」と出したこと。
この通訳者ご本人は、その後ろう者に会うたび「僕が間違えてしまいました。ごめんなさい。」と謝っておられます。
しかし、私は、これは起こるべくして起きたことであるし、「手話」をこうした場面で受け入れるために、みんなが学ぶ機会を与えられたのだと理解しています。
担当手話通訳者は、とても良き人であり、責められるものではないと確信していますし、私は、ご本人そして他の多くの通訳者ともまた、今後も『共に!!』心を込めて通訳活動を頑張って行きたいという思いを新たにしています。
この手話発展期にあたり、現場では、聞こえない方々のほか通訳者たち自身もより良い環境を作って行くためにこそ尽力しています。
【画面の中に手話をどう取り入れるのか】
NHKの放送で起きたことは「大事な改元の情報を聞こえない人にも届けるべきだとの判断の元投入したワイプ」で起きたことです。
「平成」の発表では、聞こえない人は皆、同時手話通訳も字幕もなく、読みもわからないまま放送の画面の文字をみて、後からそれが「へいせい」であることを知ったと言います。
その中で、今回の放送は、「聞こえない人にも伝える」という使命の元 取り入れられたワイプが時代の象徴でもあり、令和の幕開けを目指すにふさわしい放送だったと思います。これにより、私たちは、失敗というチャレンジと試行錯誤するための権利と機会が与えられたのだと、感じています。
失敗は失敗とみれば悪いことかもしれませんが、これはチャレンジしたからこそ起きたことであり、貴重な機会ともなりました。
NHKについて言えば、私の考える「失敗」とは本番中のことでなく、「事前準備としてやるべきことがあったのに、そこに目を向ける人がいなかった」という点についてです。
手話の枠が入るからには、元の映像はどこかが必ず隠れる。その位置を計算に入れて、撮影を行うべきだったのに、誰もそれを想定しなかった点が、今回の反省点かもしれません。
私はこれまでにも、多くの手話通訳入り映像を、現場の皆さんとともに作ってきました。その時、最もトラブルの原因となるのは、「手話の映像については手話関係者・手話担当者が考えればいい。他のスタッフは、これまで通り良い映像を取るために、情熱を注げばいい」という考え方です。
しかし、これでは「それぞれの担当者がバラバラになってしまい、画面全体で手話の位置をどこにおくのかという バランスを取る情報アンカーとしての役割を持つ人がいなくなってしまう。」という事態が発生してしまいます。
場合によって本体の映像の主体は右や左、上や下にと移動します。それも構わず「手話を“とりあえず”画面のどこかに配置」すれば結果として、映像本体の意図を配慮しない手話フレームが邪魔に映り、本当は見たいところがかけてしまう動画になってしまうのです。(例えば料理を紹介するにしても、話し手が右にいる場合も左にいる場合もあり、また空を飛ぶ鳥を写した映像や、池のコイを狙った映像もあります。そこに不用意に、一定位置の手話通訳フレームを入れても、全体として快適な映像に なりにくいのです。)
当然、この確認は、本番中ではなく、本番前に『全ての担当者』が同様に「手話が入る映像」をどうお茶の間に届けるかを想定して、準備をしなければ良きものが目指せません。特に外部ロケによる取材映像では、事前にどこに手話を入れるかを考えて少しフレームに余裕を作って撮影しなければならない場合も発生するかもしれません。また、生本番中であっても、メインの映像担当者が、元々そうした意識を持っていなければ、とっさに画面をずらしたりはできないものと思います。
① 今回の画面を意図通りに出すには 元の本体映像が重要だったように思います。
このように、元の画面の向かって左上部を空けた映像を用意すれば、今回の場合手話通訳を入れやすかったかもしれません。
通訳が入る位置を空けて撮影した映像に、手話ワイプを乗せる
②あくまで通常画面に手話を入れたいと考えた場合
①のような映像をカメラマンがとるには、いつもと違った撮影の感覚が必要で、人によって苦手に感じる方もおられるかもしれませんし、また、手話を入れない他のニュースで使い回しがきかない場合もあるかもしれません。
もし、そのまま通常映像で、手話通訳を入れたいと考えれば、こうした方法もあります。
私の出演した手話通訳映像では実際にこのようになっています。
これは、最近では、手話通訳映像では比較的多く用いられている方法です。
このほかにも、違和感なく手話通訳を入れ込む方法は様々あると思います。
「手話通訳を画面に違和感なく入れる」ということについて、調整役がいない時代には、私たちは、現場でこうした話し合いを何度も重ね、見方の相違やタイトな時間の中での打ち合わせで、喧嘩まがいの競り合いになることも良くありました。汗笑
今回、改元にあたり、こうしたことが多くの国民の元にさらされ、むしろ「手話を入れるには適切な方法を検討しなければいけない」との思いを共有し、みんなで考えるチャンスを得たことは、私には、吉報のように思われます。
その先頭に立ち続けているNHKは、決して責められるべきものだけではありません。私たちも、関係のない視聴者の一人としてではなく、手話付き映像を見る目を持って、ともに夢のある放送とはどういうものかと、考えていきましょう。
【通訳者への情報保障を!】
通訳者が「れいわ」の音声をうまく聞き取れなかったことについても、これから多くの現場で、関係者がこぞって気をつけたい2点が、隠されているように思います。
① 重要な通訳の場面では、事前の打ち合わせが必要!
今回通訳者は、いきなり官房長官の「れいわ」という発声を聞いたことと思います。いわば、新しい元号という今まで聞いたことのない「生まれて初めて聞く言葉」を、とっさに通訳することを要求されたのです。しかも!!彼は、官房長官より後ろにおり、当然ながら前に回り込むことはできず、聞き取りにくかった言葉の「漢字」を見るチャンスも与えられませんでした。
この条件下では、通訳者が間違えずに手話を表出することの方が奇跡であり、これは決して通訳に適した環境ではありませんでした。
しかも、この通訳者は、50代60代という ともするとやや耳が遠くなりかけた世代ではなく、比較的耳がよく聞き間違いの少ないとされる世代の通訳者でした。その彼が、間違えたとなると、これは、他のどの方が通訳を担当しても間違える可能性が高いものであったと、言わざるを得ません。
内容を、通訳者が事前に一切知らずに本番に望んだことは、それだけ言葉が完全に秘密にされていたということにも他なりませんが、改元とは、国民の一大事であり、だからこそあれだけ注目されたことを考えれば、通訳者には、遅くとも直前、他者とは接触しないと確証の持てるタイミングで「令和」という漢字と「れいわ」という読み方が伝えられてしかるべきであったと思われます。
例えば外交の重大場面であれば、極秘事項であろうとも通訳者には事前に言葉の検討のために情報が提供される(そうしなければ、逆に国政紛争の種にもなり兼ねない)のと同様に、手話通訳者にも、今後その機会が与えられるべきであることは、今回国民の全てが学んだものと、信じます。
私たち聴者が、テレビで「れいわ」と聞いたその瞬間、手話により聞こえない人たちもまた、その言葉を間違いなく知りたかったはずであり、伝えたかった政府や私たちは、その思いを尊重すべきであり、その方法・手順は開拓されるべきです。
② 通訳者用のモニターを!
私たちは舞台に立つ時、自分たちの発しているセリフや音楽が舞台からもきちんと確認できるよう、専用のモニタースピーカーを準備します。お客様が聞いておられる状況と違い、そうした音やセリフは、舞台の上からはうまくキャッチできないことが多いのです。
そこで、首相官邸に場所を戻して考えてみると、心配な事があります。それは、おそらくマイクの声は、通訳者のいる舞台上が最も聞きにくい位置になるのではないかという点です。
官房長官の談話などで、声を拾うマイクのスピーカーは、取材に訪れた会場の記者やテレビの方を向いています。官房長官は、もちろん自分の声なので、自分が何を話しているかはわかります。そばで司会進行をする方も、舞台横から会場側のスピーカーの音を聞いているかもしれません。そんな中、そう大きくない会場では、わざわざ舞台上の人のための音声モニターは、基本設置されていないものと考えられます。
こうなると、意外に意識されていないのが「通訳者がどんな音声を聞いているか」なのではないかとわたしは考えます。
改元発表の日、手話通訳者は見た目に反して、音声情報からも遠い位置にいたのではないかと、わたしは想像します。舞台の上は、意外に音が聞こえません。ざわつく会場で、近くの官房長官の地声や、集まった方向けのスピーカーから回ってくる音を聞いて、手を動かしていたとなると、これも通訳環境が良いとは言えません。通訳者は聞こえにくい音声の通訳は、しづらいからです。
その中で今回の聞き間違いが起きたかもしれないことを思うと、これも多くの方とともに考えたい項目の一つとなるように思えてなりません。手話通訳者にも良き情報提供がなされなければ、良い通訳はできず、聞こえない人に適切な情報は届けられないのです。
私たちは、こうした通訳環境についても、その場に関わる全ての方とともに考えなければならないということを、今回の出来事から学ぶべきかと思います。
今回の出来事の裏には、こうした様々な事が隠されていると感じずにはおられません。あなたもぜひ、一緒に考えて見てください。
こうしたことについて、多くの人が学ぶきっかけを与えてくれた、今回の出来事と手話通訳者ご本人に、私は、心からねぎらいの気持ちを伝えたいと思います。私たちの時代の責を負い、矢面に立ってくれた彼が決して倒れることなく、ここからもコツコツと大事な一つ一つの通訳を受けて立ってくれること、そして私たちもともにこの道を歩きつなぐこと、それを聞こえない人々とともに行くこと。
これが、令和のスタートです。
NHKさんも、ますます頑張ってください。いつも、官房長官の横に手話を!!(総理の横にも!)感謝。