母語の安心感は全てを一瞬にして越える!!
ゴールデンウィーク中、オーストラリアから、いとこたちが来て、神奈川県にある叔父の高齢者施設に集まりました。
叔父は、青春時代をオーストラリアで過ごした後、日本に移住し長く日本で暮らしています。人生の大半の舞台は、彼にとって日本でした。日本で全ての生活を送ってきたので、もちろん日本語の読み書きも会話もできますし、買い物も市役所も病院も日本語でやり取りし、関連する書類提出なども含め、全ての生活は日本語で事足りています。
でも、それでも、年を取ってからの、小説や歴史物などの読み物を、彼は全て英書で読んでいます。日常の新聞なども英字新聞、最近ではネット情報も、日本語が読めるにも関わらず、同じ内容で英字の方をチョイスして情報を得ています。
私たちが、日本語の本を見れば、ひとつひとつの文字を追うより前に視覚的に意味が心に飛び込んでくるように、彼には英語の方が、イメージが目に飛び込んできやすいのだと思います。
子供の頃から慣れ親しみ、親子で交わした会話が英語であったことは、彼の人生の大きな土台となっており、日系人として日本に戻り様々なニュアンスの日本語を使いこなしてなお、彼が安心して座せる言葉は英語なのだと、かたわらにいて肌で感じます。
オーストラリアから、いとこたちがきて、英語で話し始めた途端、叔父の表情はパッと明るくなり肩の力が抜け、日頃比較的無口なのかなと思える印象の彼の口から、ほとばしるように英語が溢れてきました。オーストラリアから来た若い世代の従兄弟たちに、叔父は、祖父母やその兄弟のこと、オーストラリアのどこでの出来事なのか、また、どの兄弟がどのような性格で、どんなことを言っていたかなどなど・・・たくさんのことを話しはじめたのです。
日頃私といれば、日本語ばかりですが、こういう時には、叔父の母語が英語なんだ!!と、幸せそうな空気の中からいっぱい感じることができます。
日本の高齢者施設に入ることも、彼は若い頃から、お金を貯めて事前契約し、ずっと以前から決めていたので、決して日本が嫌いなわけでも不便だとも思っていないようです。施設の中でお世話してくださる方も、とても親切で、フロアも 彼の部屋も服もいつもとてもきれいで清潔で、行き届いているのがわかります。日課の体操や歌の時間も皆さんと楽しんでいるようですし、毎週毎月の定例イベントなどもあって、雰囲気が和やかです。
先日は私も思わず、日本人の従兄弟と「ここは高いけど親切だし、景色もいいから、私も今からでもちょっと調べて、ここにお金を振り込んで事前契約しようかな?」と話したばかりです。笑
この施設は日本語の世界です。彼はその中でも十分に、施設の方や周りの方と一緒に穏やかに過ごしています。
でも、こうして、彼を尋ねてくる英語圏の人たちとの会話の様子を見るたび、その英語の世界は彼にとって、オアシスなのだと感じます。
何不自由なくしているようでも、英語のワールドの方が、彼のオアシスなのです。
それはたとえ英語のできない人でも、彼の顔色や表情や声色から、感じることができることだと思います。
この叔父の姿をみれば、私はとてもホッとします。彼が心から安らいでいるのがわかるからです。
こうして、遠く離れていても、年取ってなお、多くの母語を持つ友人知人、親戚たちが彼に会いにくることが、彼の人柄も表しています。素敵な時間を共有させてもらい、私も幸せになるのです。
叔父は日本の中では、英語が母語という少数派です。
手話を学ぶ時、ろうの友人たちが、なぜ、こんなに多くの人に手話を学んで欲しいと語るのか、その気持ちが芯に伝わってきます。理屈ではない安心感が母語の中にあり、その中にいて人はごく自然に心が解放されるのです。それは戦いでもなんでもなく、ナチュラルな肌の想いなのです。
叔父の母語も私には、第2・第3言語です。でもこのように幸せそうな叔父を見て、人の心がどう言葉によって温められ、支えられているかを実感します。
日頃日本にいれば、気づかないことですが、私たちにとっても、日本語や生まれた地域の方言は、自分の拠り所となる大きな大木です。
言葉は私たちを守る、祖先であり(そう、まさに歴史ごと言葉には人の思いが込められている)、父であり母であり、兄弟であり、友人であり、仕事であり、趣味であり、ロマンであり、出会いであり、未来であること。
このゴールデンウィークは、そんなことにも思いを馳せた、貴重な10日間でした。
自分を振り返る時間をもらえて、様々な巡り合わせに感謝です。
言葉って、私たちが思っているより、大切なもので、例えば空気のようなものであり、空気はあって当たり前なのに、地球人の私たちには、それがなければ死を意味します。言葉って、身近にあって日頃私たちはあまり意識しませんが、そんな、命や個人のアイデンティティや尊厳に関わる重要なものだと、学ぶ機会を得た、手話や英語との出会いは、大事にしたいなと感じます。
施設の庭には、たくさんの花が植えられ、元気が伝わってくるようでした。