手話は聴者の都合のいいようにはできていない


とある現場でのことです。
「手話では、『あなた』『私』とはっきり指さしますが、これをもっとさりげなくすることはできますかね? 特に相手を指さす『あなた』は、ちょっときついので、手のひらを上に向けて、そして、あまり手の位置をあげずお腹のあたりで表現しても良いですか?」

こう質問があったので、ご本人にやって見てみていただくと、これが「ちょうだい」に見えたり、「〇〇ですか〜?」の問いかけの表現に見えたりする・・
「手話では、指さすことは当たり前なので、人差し指ではっきり相手をさした方がいいのでは?」と ろう者スタッフが指摘すると、「それじゃ、ちょっと不自然なので 違った表現を教えてください。」と返事が返ってくる・・・
この両者の言い分を、分け合える答えは、実は、なかなか見つけられません。手話を取り入れようと思った時点で言語が違うので、聴者の音声言語の都合には、全面的に合わせることはできないからです。

手話を学んだ人なら、当然そこは手話のルールをわかっているわけですが、映像でイメージ的に手話を使いたいと発想した聴者の制作者は、元から違ったイメージがあって、そのイメージに当てはめた手話が欲しいと思ってしまうのです。

こうしたやり取りは、実は手話指導を承った、様々な現場で、常に繰り広げられています。
でも、みなさん、落ち着きましょう。笑
手話は、聞こえる私たちの都合に合わせて、なんとでもなるものではなく、「独自の文法を持つ1つの言語であり 1つの文化」なのです。

これは、他の言語同士でも、全く同じ。

例えば「キツネの嫁入り」。
ドラマのセリフで、役者さんが、「あ、キツネの嫁入りだ・・」と言いながら、空を見上げたとします。

狐の嫁入りとは、もちろん、晴れた空から降ってくる雨のことを示す、天気にまつわる言葉ですが、これは、日本独特の言い回しでもあります。日本人に生まれ育った人なら、これを聞けば、昔話の 狐の花嫁の 白いほっかぶりの角隠しをした和装の姿や その花嫁に雨がかかるのを防ぐ、蛇の目傘を思い浮かべる人も、少なからずいると思います。
「狐の嫁入り」という言葉には、「天気雨」という意味以外にも、何か日本人特有の風情や情緒を呼び起こす響きも含まれているのです。

では、これを英語にするなら、どうすればいいのでしょうか?
当然ですが、これを「フォックス ウェディング」とするには難があります。英語の「フォックス ウェディング」は、単にまさに「狐の結婚(式)」そのままでしかない場合が多いからです。もしこの言葉を、セリフに当てはめるなら、その続きに、「なにそれ?」「え?ああ。日本ではね、こんな晴れてるのに雨が降る日のことをフォックス・ウェディングっていうんだ。昔々の物語ってとこかな?」というセリフのやりとりを付け足さなければ、ストーリーが繋がりません。
でも、このシーンの台詞は、「あ、狐の嫁入りだ・・」のひとこと。そんなセリフを付け足せば、元の台本の意図自体を変える大手術になる上、そもそも、しゃべっている時間も長くなってしまいます。
また、英語ではこうした状態を「サニー&レイン」と言ったり、「サン シャワー」と言ったりする人もいるようですが、いずれも、狐は出てきません。

ここで英語に、「やはり日本の情緒も翻訳して欲しい。狐の出てこない英語は、イメージに合わない」と注文しても、英語が日本人の都合のいいようには、できていないので、何かを変えるしか、翻訳の方法はない!ということになります。
一方、日本文化なんだから仕方ないとして「フォックス ウェディング」と直訳だけをいきなりつけても、英語を主体にストーリーを見ている人は、逆に何かのキーワードかなのか?と、会話の意図とは違うところで、言葉に引っかかり、情緒どころではなくなってしまうかもしれません。笑
これより先は、そうした翻訳が得意な戸田奈津子さんにお譲りするとしても(笑)、とにかく、言葉の違いは、文化の違い。互いの思惑通りに、相手の言語を変えることはできないということは、私たちは、知っておくべきです。

この答え、とりあえず私なら、映像でお天気雨が見えていることを考えると、聴く人の耳に違和感が残らないのは、結局のところ「イッツ レイン・・(雨だ・・・)」のシンプルなひと言だという気もします。笑

さて、話は戻って、手話には、たくさんの指さしが出てきます。これが、不自然だ、違和感がある!と感じる聴者の方もいます。
でも、英語の自然は、日本語では分かりづらかったり、日本語の自然が、英語では曖昧だったり、互いにとって互いを理解しづらいと思うことがたくさんあるように、手話もまた、聴者の都合のいいようにはできておらず、手話には手話のネイティブのあり方があります。
難しいですが、これが、手話の面白いところでもあると、私はいつも思います。

そんなことに、気づけるのも、手話を学んだからこそだと思えば、それは、苦労や摩擦でなく、互いをもっと知り合うためのチャンスであり、私たちは、もっと豊かになれるのではないでしょうかね?
文化の違いは、時として相手の悪意のように感じられることもあるかもしれませんが、そうではない場合もある!
その人はその人の文化のナチュラルを生きているってこと、日々頭を柔らかくしておもんばかってみたい。自戒も含め、そんなことを考える今日この頃です。
文化の違いを楽しもう。感謝。


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ネットの写真を使うより、自前のキツネの写真をと思って探したのですが、「キツネザル」さんしかいませんでした。笑
でも、可愛いですね。