保育園・幼稚園における 心ある手話の歌への取り組みについて


今週の、神奈川県の短大の、中庭のもみじです。なんと、今年は、日の当たる方向から、どんどん赤い葉が広がり始めています。綺麗ですね。

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今日は、少し、子供たちの手話の歌について、お話ししましょう。
保育士の卵を育成する、短大でも、手話の歌については、重きをおいて、授業を進めています。
聞こえない人の大事な言葉を使う手話の歌には、どんな取り組みが、必要なのでしょうか?

ここ数年、保育園・幼稚園では、手話の歌が圧倒的に、広がっています。
子供たちの手遊びにもよく、知恵や情緒も育まれ、また、聞こえない人の理解にもつながるのではないかという願いのもと、取り組む園が増えているのではないでしょうか。
確かに、子供たちが歌う手話の歌は、小さな手で一生懸命表現されており、可愛く愛おしく、見る保護者や、先生方の心にも、暖かく響いてくるものがあります。

でも、手話関係者は、こうしたものを見ると、とてもハラハラすることがあります。
明らかに、手話が間違えていたり、あってはならない手の形や動かし方をしていることもあるからです。
これは、子供たちが悪いわけではありません。
子供たちが、間違えるのは、当たり前のことであり、それを通して、また、新しい成長を遂げていくまさにその途中であるわけで、それを問題視しているのではありません。

ただ、、、
その指導にあたる、保育園・幼稚園の先生方が、聞こえない方や手話の存在について、どれくらい思いを寄せておられるのか、その子供たちの手話から見え隠れするところに、私たちの危惧するところがあります。大汗

手話言語条例が全国400自治体を超える今でも、「歌に手話がつけば、聞こえない人も楽しんでくれる。」と思い込んでいる人が、数多くいます。
いや、ある意味、時代とともに、手話が人目に触れる機会が増えた分だけ、誤解も広がったかもしれません。
そんな流れの中、保育園などでも、子供たちに手話で歌って貰えれば、聞こえない人も大いに喜んでくれるだろうと、想像し期待する人々が、大勢おられます。

ところが、
単に音声の歌詞の通りに、手話単語を並べても、手話では文法が違い、その意味をなさない場合もあります。場合によっては、正反対の意味の表現になってしまい、それを子供たちに歌わせてしまっているケースもあります。
先生自体、あまり手話をご存知ないまま、本などを見よう見まねで覚えて、それが伝言ゲームのようになって変化してしまった手話を、子供たちに指導してしまっている場合もあります。

また、それ以前に、私たちの調べでは、手話の歌が「それほど好きではない」「興味がない」「わからない音楽を無理に理解しろと言わないでほしい」と意見する聞こえない方は、全体の半数に登ります。聞こえない人々の誰もが、私たち聴こえる者のように、音楽を心地よいものとして自然に感じているわけではないのです。

そうした状況を知らないまま、手話の歌を子供達に伝えれば、それを受け継ぐ子供たちの心に、真の手話への理解が進む可能性は低いと、言わざるを得ません。
そうやって、教えられた手話の歌を何もわからず歌っている子供達を見かけると、手話関係者の心は痛み、聞こえない方もまた、本来の手話の良さ、本来の音楽の楽しみ方の意味を、大事にしてほしいと願うのは自然な姿です。

では、どうすれば、そうした理解を深めながら、子供たちと、心ある手話の歌が歌っていけるのか。
これが、本校でも、重要課題として取り上げられ、手話の授業では、通常の何倍もの時間を使って、指導やディスカッションを繰り広げています。

子供たちと手話で歌いたいと願う保育士さんたちの心に、本当の意味で、聞こえない人にとっても励みとなるような手話の歌への想いが宿ること。ここを目標に、今年の秋も、学生たちと、たくさんの意見交換をしながら、手話の授業に取り組んでいます。

そんな半年の授業も、もう、あっという間に半分が過ぎました。
学生たちにとっても、良き手話への思いが育つよう、後半も、大事に学習を進めていければと思っています。

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今、授業では、学生たちの趣味の話も、弾んでいます。