しずかちゃんとパパ 最終回
全8話のストーリーが完結しました。
私にとっても、新しい世界を覗くきっかけを与えられたドラマでした。
日ごろ関東標準語を使っている私の母語は、日本語の中でも、関西圏の言葉や、生まれてから幼少期を過ごした時期の広島県の言葉です。
広島弁と関西弁。私は、この2つの言葉については、ネイティブだという自負があります。笑
でも!!
これらの言葉、関東にいて関東言葉を話す人といても、一切出て来ません。「ぜひ、何か関西言葉を話してよ!」と、標準語で言われても、なんだかどうやって話したらいいのかわからないのです。笑
人は、相手と呼応しながら話しているので、相手のリズムの中にいる時、他の言葉のリズムや言い回しを思い起こしづらいのです。
有名な作家の中にも、「日本語で書いていた文の続きを、ヨーロッパにいる時に書こうと思ったら、現地ではなぜか日本語の語感がうまくわからず、書くべき内容も思い浮かばず、全然書けなかった」と言っていた人がいました。
語感というものは、相手の心の領域にまで、多数派が侵入してくるように、人間の思考回路が出来上がっているようです。笑
これは、手話でも同じことが言えます。
ろうの人は、一生懸命話しかける聴者の声付きの手話を見ると、意識せずとも、聴者寄りの手話と話し方で、話してくれます。そんな時、「日本手話教えて」と言われても、良き言い回しや単語が咄嗟に出てこない場合もあるようです。
今回のドラマは、ろう者のパパとCODAの娘。ネイティブ同士の会話が繰り広げられ、その手話の翻訳と指導を担当した、ろう者の江副くんと、本物のCODAのはせちゃんの間でも、同様のことが起きていたように思います。
ネイティブ同士が、互いのリズムに乗って思いつく表現は、自由で面白く、それに連鎖してまた次、そのまた次!と、泉のように発想が湧いてきます。そうして生まれた手話翻訳は、このドラマならではのものとなり、あるべき手話の姿も描き出されたように思います。
それに応えた、鶴瓶さんと里帆ちゃんの感性は、手話の台詞に命を吹き込みました。
このドラマでは、一度、はせちゃんや私もいる撮影現場に、CODAで有名な手話通訳士の方が、遊びに来られたことがあります。元々、二人は親しい仲で、はせちゃんもその方とは、子供の頃から交流があるとのことでした。その方も、幼い頃からろうのご両親やその友人の方々に囲まれ、第1言語が手話!という環境で育った方でした。
私は、CODA同士=聴者同士 なのだから、久しぶりに会った二人は、思いっきり「解放されて、声の言葉でたくさん話すだろう」と思っていました。しかし、しずかにしていなければいけない撮影現場であったというのももちろんあったかもしれませんが、彼女たちは、なんと、その方がおられる3〜4時間の間、ずーーっと!手話だけで(もちろん音声なしの、日本手話で!)話し込んでいたのです。
実に自然で、楽しそうで、真剣で、ごくごく普通の面持ちで、ただただ手話だけで話す二人。まるでその時は、永遠に続くかのようでした。
彼女たちは、気心の知れた二人だからこそ!「解放されて!!」生まれた時から自然に話していた言葉『手話』で!!たくさん話しているのだ!と気づいた時、私は、目が覚めるような思いがしました。
CODAの人は、聴こえる者同士、何も気遣うことなく、「声」で話す。と思い込んでいたのは、私だ!!
「彼らは、日頃、聾者に気遣って手話をしているのでない!!!」手話で育ったから自然に手話で話しているんだ。
二人は、CODAだからこそ、「他の聴者に気遣うことなく!!」『手話』で話しているのだ!!と!!
CODAだから、誰でも手話のネイティブではない。という話は、また次回に譲るとして、この現場は、明らかに、私にとって今までとは、違う景色を見せてくれました。
これが学び、これが人生!これが、出会い。愛と自由の海の広がる。そして海は広く、知らないことばかりで。パパは海に閉じこもっていたのでなく、広い海にいた。違うところから、ちゃんと広い世界を見ていた。それが、このドラマの答えの一つのような気がして、最後の「しずか」という涙あふれる叫びと「パパ」という言葉を聞いていました。あまりにも、ドバッと、どっさりしすぎたあの紙吹雪の中で。笑 愛って・・・どさっとしているよね。笑
愛と誇りは、ドラマの中だけでなく、手話チームの中にも。そして、歴史の偉人からではなく、すぐ目の前の友から。
ありがたく、頂戴します。古くからあった伝統の愛。私が知った、新しい愛。
言葉は、愛情の賜物である。感謝。