聞こえない人こそが!!「聞こえる人と友達になりたい」と願ってくれている!!
鹿行聴覚障害者協会 創立50周年記念講演会
1980年代、聞こえない人の大学進学率がグッと上がりました。その時、キャンパスで共に学生生活を送った聴者が、のちに、たくさんの手話通訳者・指導者となって、各地で活躍しています。
私もその1人です。
聞こえない人たちの頑張り、踏ん張りこそが、手話の輪を広げているのです!!
手話通訳士600番。手話パフォーマー・コーディネーター。
自分自身の生き方が振り返られるようなテーマをいただき、講演させていただきました。
鹿行聴覚障害者協会。茨城県南西部五市の皆さんが集う地域の協会が、2年前に50周年を迎えました。長年のさまざまな活動を通し、何人もの方が会長を務め、若かった皆さんが先輩と共に走り、いつしか自分達が最前線に立ち、そして、また若い世代へと思いを受け継いできた活動体の、半世紀という節目となる記念大会でした。
この大会が、コロナ禍で無期延期となりました。2020年のことです。講演者として呼んでもらっていた私の予定も保留となりました。
この日から、2年。全国では、聴覚障害者も、手話関係者も、そしてもちろん、聞こえる私たちの様々なお店も会社も仕事も、今まで想像したことのない、「集まれない日々」を過ごしてきました。
今年2022年はその厳しい生活が、少し緩み始めました。
6月私は、広島県で開かれた全国ろうあ者大会で、各地から聴こえない人たちが集まり、感激の再会を果たしたのを見ました。会場は、なんとも言えない、溢れるような喜びに沸いていました。
きのう7月3日、私も、2年間会えなかった皆さんと、改めてお会いすることになりました。
その少し前、連絡をもらいました。
「南さん、本当にお待たせしました。みんながずっとこの日を待っていました。2年前の約束通り、会場に来てください。みんなが南さんを待っています」。
私は、この大事な50周年記念大会に、あらためて、呼んでもらえたのです。
この大会には、意味がありました。こうした大事な節目の聴覚障害者大会に「聞こえる私」が呼んでもらっていたからです。各地には今では、さまざまに活躍するろうの人たちもたくさんいます。その中でなぜ、50周年にわざわざ聞こえる私なのか?
2年前に相談いただいた時から、この点は地元の皆さんと話し合ってきました。「聞こえる私でいいのか?」
ところが、みなさんが私に示してくれたテーマは、「聞こえる私が手話を覚えたわけ!」だったのです。
「あなたがなぜ、そんなに一生懸命手話をしているのか?それを、聴覚障害者協会50年の節目に話してほしい」と、連絡をいただいたのです。
(神栖市 かみす防災アリーナ)
お伺いした昨日の舞台は、圧巻でした。
舞台の私が!ではありません。笑
会場に集まった皆さんが!!です。
大きなホールは、感染予防の観点から、一席飛ばしにみなさんが座っておられましたが、それが満席。
驚いたのは、その途中です。
今回は、空気の入れ替えもあり、通常2時間一気にお話しするところを、中で10分間の休憩を入れさせてもらいました。
この休憩は、感染症を防ぐためでも、ありましたが、ここ数日の天候の影響を受け、ホール全体が蒸し暑く、冷房がついているにも関わらず、なかなか冷えず、マスクをつけたままの皆さんも、とても暑そうにされていました。
実は、私はこの時、ちょっと、後半を心配しました。楽しい話が中断したこと、年配の方もおられた会場でのこの暑さ。ここからみて、後半は人が減ってしまう可能性があると、私は考えました。でも、みなさんの健康の方が第一!もし参加者が減ってもこのまま元気に話を続けて、残ってくださった皆さんと、時を分かち合おう。私は、そう決断して、休憩を伝えました。
ところが、休憩が明けたら、・・・最初の時間より、会場の人がやや増えていました。(制限の範囲内で。笑)
劇場の方の工夫で、会場が少し涼しくなり、年配のろうの方も元の席に戻ってきました。外で水分補給をして、また席につかれたのです。
この日は、地元の議員さんや、行政関係の方も多くおられたのですが、急用のある数人を除き、すべてまた元通り着席。通常、こうした会合では、議員さんたちなどは、最初の式典のご挨拶のみで帰られる方も多い中、講演の後半も、みなさんが私の話に耳を傾けてくださいました。中には、「後半を聞かないと、南さんが聞こえるのに手話をしているわけがわからないから。笑 いますよ。」と声をかけてくださった方もおられました。日頃、聴覚障害者協会のみなさんが、地元づくり・街づくりを通じて多くの方と信頼関係を持っておられることが伝わってきました。
それから、会場の人数が増えたのは、前半の受付や事務作業などが終わり、手の空いたスタッフの方なども、後ろの方の席に入ってこられたからでした。笑
とにかくそうやって、皆さん、10分の休憩の後「遅刻もなく!!」会場に戻ってこられたのです。
もちろんこの時、私は、自分が話の続きを聞いてもらえるのもうれしかった!!
でも、それ以上に、会場にいるすべての皆さんが、この日のこの時を大事にし、みんなで共にいよう!つながろう!という、静かで大きな願いを、その手に握っているのだということが、伝わってきました。
これが地域の歴史の積み重ねであり、心のエネルギーなんですね。
みなさんの願いが、足元から伝わってくるような気がしました。
質疑応答の時間には、名古屋や千葉県など、他の遠い地域から来られた方からの発言もあり、地元の思いは、互いに全国にも伝わっているのだということも、あらためてわかりました。
コロナ後も、もっと輪は広がると!一人一人が心から願っている。それが、溢れるように伝わってくる大会でした。
私は、大学時代、聞こえない学生に、生きる願い、人生を諦めない心、そんなものを教えてもらって、ここまできました。それは、聞こえない人こそが、聞こえる人と友達でいたいと思ってくれていた!ということでもあります。
今回の大会で、それを、あらためて見せていただいた思いです。
大事な大会に、呼んでいただいたこと、心からの誇りであり感謝です。
みんなで一緒に。本当にありがとうございました。
(写真は、地元聴覚障害者協会の方が撮ってくださいました。ありがとうございます!!)
茨城新聞2022.07.07
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