海に見送る

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ブルーオーシャンセレモニー。
東京タワーとレインボーブリッジと、スカイツリーの見える海。
(写真をよく見てください。私も気づかず写した写真。東京のシンボルを三つとも見つけることができます!!ワクワク)

2022年7月10日。
90歳を超え、天寿を全うした叔父を、みんなで見送りました。
叔父の遺言は、「僕の骨は、海に散骨してね」というものでした。
この日のお別れは、叔父が想像したより、素敵なものになったのではないかと思っています。
準備してくれた従兄弟のファミリーに、心から感謝します。

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セレモニーは、船長の航路の説明から始まりました。

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叔父と、わたしたちを乗せた船は、レインボーブリッジをくぐり、やがて私の職場の一つでもあるテレビ局の前も通りました。叔父は、私の仕事をすごく応援してくれていたので、とても誇らしい気持ちになりました。

およそ1時間半の運行で東京湾沖に出て、私たちは、一人一人が叔父の散骨を行いました。
オーストラリア生まれの叔父は、大人になってから日本に戻りました。英語と日本語のはざまで苦労しながら、東京では英語の翻訳などさまざまな仕事に取り組みました。終戦直前は、私の両親と共にオーストラリアの日系人収容所で過ごし、隠れたオーストラリアと戦争の歴史の証人でもありました。
東京湾での散骨は、人生の後半を、日本の文化を豊かに楽しみながら過ごした 叔父らしいお別れの場所になったと思います。

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輝く太陽と、飛び立つ航空機。船からはこんなふうに見えています。

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船長の向こうを、飛行機が羽田に向かっています。私たちも、飛行機に手を振りました。
叔父が、私たちにこの風景を見せてくれたように思います。

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私たちの投げた花が波間に揺れて、遠ざかっていきいました。

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私たちも、叔父の海に手を振りました。

お墓という形を残さない散骨。これもまた、叔父らしく、生き方を示してくれるものとなりました。のちに叔父に会いたくなれば、羽田空港の展望デッキから、海をのぞめば、すぐそこに見えるのだそうです。今度は、陸側から、この場所を見に来ようか。

叔父らしい晴れた空と海。
東京湾は、オーストラリアのシドニー湾にも少し似ており、海に帰ればまた、世界とつながることができ、日系人らしいお別れができたのだと、私たちの中にも喜びの気持ちが湧いてきたように思います。
「亡くなる」とは、「生きる」の一部である。


※ブルーオーシャンセレモニー