母ヤス子100歳!!本当にありがとう。
2023年7月12日、
母、南ヤス子が、100歳を迎えました。
さしてエネルギッシュでもなく、おしゃべりでもなく、友達作りも苦手でおとなしい母でしたが、持病がなく淡々と過ごすうち、100年が経ちました。
私にとっても誇らしく、人が生きることのお手本の一つを示してくれているヤス子に、眩しさを感じます。
母は今、和歌山県串本町の施設におります。
そこで毎日、ていねいに母に接して下さっている介護・看護の皆様にも、心から御礼申し上げます。
(2023年7月12日 串本町 特別養護老人ホームにしき園の庭に咲く花)
今から100年前、1923年、オーストラリアの北西部ブルーム。
母ヤス子は、ドイツ人と日本人の間に生まれた祖母 テレサ・しげのと、和歌山県串本町出身の移民日系人の祖父 村上安吉の間に生まれました。
今、9人兄弟の中で最後の一人となり、ひっそりと日本の片隅の田舎町で暮らしております。
母のファミリーは、第二次大戦中、オーストラリア軍に敵国日系人として抑留され、鉄条網に囲まれた草原地帯のキャンプで、暮らしていました。
そこで父 南竹一と出会い結婚、兄もその抑留キャンプで生まれています。
ただ一人 私だけが、両親が日本で生きると決めて戻って来てきた、広島県の瀬戸内の島で生まれ育っています。戦後の混乱の中、そこに、両親の英語の活かせる仕事があったのです。
両親の故郷は、和歌山県串本町と、オーストラリア北部の町です。
戦前戦後の海を何度もわたり、時代に翻弄され、民間人捕虜とも言える敵国の抑留キャンプでの暮らしを余儀なくされ、英語と日本語の間で揺れ動き、幼い頃は自分の家族に、結婚してからは、ただひたすら父について来た母は、今、施設で一人寂しくなると「パパ!」と呼ぶのだそうです。おそらく夫である、私の父のことを呼んでいるのだと思います。父は、2001年22年前に亡くなっていますが、若かった母が出会い、戦時中も、日本に来てからもどんな時も守り続けてくれた父のことが、とても頼りで大好きだったのだと思います。
二人の愛にはかないませんが、私も、娘として今日の1日を、恥ずかしくないように、正直に生きていこうと思います。
7月12日串本の施設に行き、母と面会し、介護の方に写真を撮っていただきました。
まだまだコロナが気になる中、制限時間は15分でしたが、母の100歳と、私が東京から来たことに免じて、少々延長していただきました。笑
本当にありがとうございます。
お世話になっている、全ての方に、感謝申し上げます。
2023年7月