時代の変化が見えた!手話パフォーマンス甲子園!!

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2013年 鳥取県が全国初の手話言語条例を制定したことを記念しスタートした全国高校生手話パフォーマンス甲子園は、今年で10年を迎えました。
そんな中、少し時代の流れを見てみましょう。

今回の、手話パフォーマンス甲子園は、本大会出場15チーム中、10校が、ろう学校(うち1校は、聴者の学校との合同チーム/1チームはコロナ発生のため辞退)。5校が、一般の聞こえる高校生たちの学校でした。
これは、予選に参加した37都道府県69チームの中から、勝ち抜いた実力を認められた上位の学校。その半数以上が聾学校であることは、この大会が、手話に重きを置いて審査する目を大事にしているということであり、手話を母語とする聾学校の若者たちにとって、数少ない「自分たちの言語で堂々と臨める大会になった」ということのように思われます。

こうした場が根付き、聞こえない若者と、聞こえる若者たちが、共に作品を競える場が育ちつつあることは意義深く、まさに「手話言語条例」1号としての鳥取県が、経験のないところから培ってきた10年の流れと積み重ねを感じます。

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(鳥取市内のあちこちには、手話パフォーマンス甲子園を知らせ、手話単語を紹介する賑やかな旗が、吊るされていました。)

また、あいさつ等で、聴者関係者が表現した手話にも、私は、感銘を受けました。

まず、今回、コロナ感染で叶わなかった佳子様の、手話でのご挨拶姿ですが、今年度、佳子様は、手話で話す形態を変えたことで、話題が取り上げられたばかりでした。

これまで、様々な大会等で、公式コメントを語る際、佳子様は、それを見る「聴者にもわかるように」声をつけた手話で、ご意見や思いを表現してこられました。いわゆる、音声対応手話です。
一方、これまでも、私が拝見する限り、佳子様は、手話パフォーマンス甲子園の前夜祭の交流会などでは、ろうの方とも、豊かな手話で音声を使わず、通訳を介することなくお話しする姿を度々お見かけしています。佳子様は、もともと、音声対応手話のみを使っておられるわけではなく、聞こえない人とは、ネイティブの世界に通じるナチュラルな手話で話そうとしておられる姿が、印象的でした。

この、いわば、陰の努力こそが、今回、表に出ることになったのです。

「手話は決して声付きで話すことが、全てではない。」「ろうの人の多くは、日本語とは文法の違う音声に頼らないネイティブの手話を使っている」ことを受け止め、佳子様は、今年度から、手話の公式コメントから音声を外しました。佳子様は、自身の手話コメントのあり方により、公式コメントを、聾者の母語「日本手話」に近づける。という意思表示をされたことになります。

一般に多くの人にとって、声付きの手話が本来の手話だと思い込みがちだった世の中に、若き佳子様が一石を投じたことは、ろう者・手話関係者には、大いなる励ましとなっていると感じずにはおられません。

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(甲子園前日の、9月23日は、手話言語国際デー。鳥取市内でも、ブルーの灯りが点灯されました。)

そして、私が今回、最も感銘を受けたのは、日本財団 専務理事の前田晃さんの、コメントです。
鳥取県の手話パフォーマンス甲子園に、これまで財団として関わって来られた前田さんの、あいさつは、5分以上にわたる長いものでした。
その手話を、前田さんは、音声を使わない、ネイティブを目指した手話で、最後まで通されました。

通訳者のように、卓越したものではない、一言一言確かめるように表出された手話。丁寧に出そうとされた手話。間違えても臆せず、また、飛ばしたりすることなく、間違えたところまで戻って話し直す手話。伝えたいことを、自分の手で伝えようとする自分の言葉としての手話。
それは、今回のすべての方々の、心あるコメントの中でも、輝くような思いのこもったものでした。

手話は下手でもいい。間違えてもいい。自分が伝える。自分が話す。
これは、誰にでもできるようでいて、意外に難しい。せっかく練習していても、言い間違えたら、ついつい いい加減にして そこはなかったことにして飛ばしてしまう。上手く言えそうにない、だから、もう他の人に代わってもらいたい。手話通訳をしていても、私たちの中には、そういう逃げ腰の気持ちは、よく頭をもたげます。
そこをグッと堪えて、自分で伝え続けることは、大きな勇気や、伝える心がなければ、成し得ない、思いあっての姿勢です。

様々な恥ずかしさなどを知ってしまった大の大人が、こうした場で、この行動を通し切ることは、覚悟を持たなければ、できるものではない。
それを、押して、若者たちの前でこの姿勢を貫いた前田さんには、言葉と生きるための一つの、決意とお手本を見せていただいたようで、熱いものを感じました。
私は、スタンディングオベーションしたかった。

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(鳥取駅駅前広場)

今回の大会からは、手話に取り組む多くの「大人の姿勢」を感じ、これまでの10年が、貴重な時の積み重ねであったことが見え、その場に立ち会えたことを、喜びに感じました。
大人が若者に時代を託し、思いをバトンタッチする。長い時のかかる、地道な作業の一コマを、ていねいにつなぎ続けることが、時代を変える。

私が若き頃出会った、ろうのおじいちゃん、おばあちゃんは、この様子を見たら、どんな顔をするだろうか。
聞こえる人たちも、変わろうとしているよ。