手話の歌!考。
手話のダンスなども注目され、
私の主催する手話パフォーマンスきいろぐみが、30年を過ぎるタイミングですが、
このところ、手話の歌は、また、以前の時代に逆戻り。
聞こえる人が、「歌に手話をつければ、聞こえない人は喜んでくれる。」「いいことしてる。」と思い込んでしまう風潮が、ぶり返しているようでもあります。
手話言語条例の制定が、500自治体を超え、「聞こえる人」が、「手話を広めるため」なんとかしようとする気持ちが先走り、「手話への本来の理解」に向ける目が、ちょっと違った方向にいってしまいかねない状況です。
手話パフォーマーと名乗る人が、自分で手話トークをすることなく、見る目のないまま、間違いだらけの手話通訳者をつけて、ステージに立つ姿もめだち、「客席の、ろうの人の存在」は、「気持ちさえあれば、下手でもいい」と言う名のもと、「我慢」を強いられ、置いてけぼりをくわされてしまっているようです。
手話の歌は、変わらず、聞こえない人の間では、思いがニ分しています。
「手話の歌は、嫌い。意味がない。」と思う、聞こえない人は全体の半数。
ろうの人の多くは、本来の手話のあり方を置き去りにした、日本語だけに偏る単語の当てはめ表現は、「意味のわかりづらい舞いにしか見えない」「そもそも、音楽という概念が聞こえる人とは違うのに、理解しろ言われることに興味をいだけない。」と、強い意見を述べています。
手話で歌うなら、手話へのリスペクト、ナチュラルな翻訳、リズムといかに融合させるかは、誠実に向き合わなければならない課題です。
これを超えてこそ、あははと笑えたり、感動したり、面白がったりできるもののように思います。
しっかり伝えようとした思いや努力のこもったものであればこそ、くだらなさや、馬鹿さ加減も伝わり、みんなが笑えるのです。
これは、外国語の歌を、日本語に訳して歌ったものを、想像すれば、私たちにも、すぐにわかることかもしれません。
英語の歌、フランス語の歌、韓国語の歌。。。そのお国柄ごと表現された言葉の語感自体が、音楽に乗っています。それを意味だけ日本語に当てはめても、リズムもメロディも、合わない場合が多いでしょう。また、その、訳した日本語の文法が間違えていれば、そこが気になって、歌を楽しむどころではありません。
こう言う歌を、「あなたにわかる日本語にしました。聞いてください」と言われると、私たちは、どう思うか?
それが、すべての答えのように思います。
一方、手話の歌が好きな聞こえない人も、全体の半数。
自分たちの使う手話が、取り入れられているのは、嬉しい。一緒に歌ってみたい。と思う人も、たくさんいます。
(神奈川県の短大。中庭の大もみじの木は、今週も、青々としています。)
そんな中で、「保育士さんたちが、子どもたちと手遊びの一つとして、取り組む手話の歌」を、どう扱い、伝えていくかは、私たち手話の専門家の重要課題でもあります。
(校庭の木々が、季節の変化を伝えています。)
あ、それから、もうひとつ!!
皆さんには、どうしても伝えておきたいことがあります。
「YouTubeで出回っている手話の歌について」です。
私たち専門家が覗く、今出回っているyoutubeの手話の歌は、10中8〜9!間違いだらけ!です。
それを見て真似して、やろうとする方がたくさんおられますが、手話歌に取り組む際は、あまり良い方法とは言えません。
(youtubeにアップしておられるのが、おそらく、初心者の皆さんも多く、ちょっとやってみた!という主旨で投稿されているからだと思います。)
手話の歌に取り組むときは、手話がちょっとできる人とでなく!汗泣
本来の手話の翻訳をナチュラルにしてくれる人や、しっかりしたネイティブのろうの方と一緒に作り上げましょう。そんな方は、あなたの地元の手話サークルや、通訳団体、聴覚障害者団体、または、手話やろう者の活動に真剣に取り組む、情熱的な学生たちに相談すれば、必ずおられると思います。
これは、厳しい意見ではありません。多くの手話の先輩方、ろうの方々の、自然な考えです。ぜひ、あなたも参考にしてくださいね。
私たちは、お預かりする大学の授業などでも、このことを、丁寧にお伝えしています。
(青い空に、秋の植物が映えています。なんだか、心が動きますね。)