音楽とは何か?を 見つめなおした手話の授業
私の指導する短大で、卒業後、
保育士さんにならず、アーティストになった学生さんがいます。
ピアニストの佐藤悠貴さんです。
彼は、現在プロのミュージシャンとして、
様々なライブ活動のほか、
映画などの音楽のお手伝いや、
ウエディングのピアノ演奏など、
意欲的に、創作活動・演奏活動を続けています。
この佐藤さんも、かつて、短大で、
毎週手話の選択授業を受けてくれた学生さんの一人です。
みなさんもご存じの通り、私の授業は、
1コマおよそ2時間、毎週、全て音声なしで展開しています。
学生たちには、
「耳を使わなくても通じ合える便利な言葉」として、
手話を体感してもらいたいからです。
彼も、そんな授業を、興味を持って、受けてくれていました。
そんな彼が、保育の勉強をしながら、音楽活動をしていることを、
私も、授業の中の趣味の会話の時に、知りました。
「ピアノが好きで、自分で曲を作っている。」
と、手話で話してくれていたからです。
彼は、全体で言うと、比較的おとなしい方で、
決して、強い意見を、授業内で言う人ではありませんでした。
でも、毎週、遅刻することなく教室のドアを開け、
欠かさず席に座り、
約束通り、声を使うことなく、熱心に授業を見てくれていました。
卒業の時、
彼は、一生懸命覚えた手話で、こう言いました。
「この楽器を見てください。」
彼は、古くなり、使わなくなった
自分の楽器に、色を付け、
重いそのピアノを、わざわざ学校に持ってきてくれたのです。
驚く私に、彼は、言いました。
「手話の授業に出て、
僕の音楽は、聞こえない人には、
伝えられないかもしれないと、感じました。
でも、僕は、手話の授業を受けました。
そして、僕にできることを考えました。
それが、この楽器です。
楽器は、音を伝えるだけじゃない。
工夫すれば、違う音楽を伝えられるかもしれない と思ったのです。
音楽は自由です。
だから、楽器に色を付けました。
これも、音楽の形だと思います。」
卒業した時は、
その色付きの楽器は、一つだけでした。
でも、彼は、その後も、いろんな楽器を、リメイクしました。
卒業後のことです。
彼は、手話の授業に触れ、ろう者と出会い、
自分の大事な音楽と、聞こえない人のことを、
ずっと考えていたのです。
そして、静かに考え続けた彼の音楽には、
目でも伝えられる、違った形の新しいエッセンスが、
加えられることになったようです。
これが、このさまざまな楽器たちの姿です。
彼の、「音楽は自由だ」という言葉は、私の胸に残りました。
プロの音楽家が考えた、これが目で見る音楽だったのです。
これは、もちろん、私たちが日ごろ聴く、耳から入ってくる音楽とは別物です。
でも、このピアニストの彼にして、
これは彼の音楽の一部であることが伝わってくるものでした。
音楽の在り方はいろいろ。
そして、プロのミュージシャンが自分の目で見て考えた手話の授業の延長線上に、
この表現があったこと。
私は、うれしく思います。
出会いは宝物。
短大の授業で、想像もしていないことが生まれ、毎年驚きや喜びをもらっています。
彼の音楽活動を、心から応援したいと思います。
感謝。
佐藤 悠貴(さとう ゆうき)
Instagram / 佐藤悠貴(sugar) sugar_piano_y