手話を学ぶということ/都内手話サークル講演会御礼!
1月、都内手話サークルの、記念イベントにお招きいただき、講演をさせていただきました。
日頃のエンタメ活動のほか、私の大学時代の手話との出会い、体験してきた通訳活動についてなどについても お話しさせていただきました。
私が、手話を一生続けようと思ったのは、大学卒業の時。
それまで対等だったはずの、聞こえない学生たちが、就職活動で就くことのできる仕事は、わたしたち聞こえるものと比べ、はるかに少なく、その違いを目の当たりにしたこと。
また、自分は、将来「私、昔手話してたんだよね。」と、まるでスポーツか何かの青春物語のように語れる(つまり、いつでも手話をやめられる立場にいる)けど、聞こえない友人たちは、「昔、私聞こえなかったんだよね」とか、「以前は手話やってたんだよね」なんて、いうはずがない!!彼らは、一生聞こえず、手話を言葉として使い続けるんだ!と気づいた時。
そんなこともお伝えしました。
また、事前にいただいていた質問の中には、私にとって、とても大事なこともありました。
「地域で手話を学んだ人の多くは、地元の通訳活動に従事するのに、南さんが、エンタメに力を入れているのは何故ですか?」というものです。
私は、もともと、メディアの仕事をするために、東京に出てきて、ラジオ関係の仕事を10年近くしていました。その後、自分の中の手話が、耳で聞くラジオではどうにも媒体違いだと感じ、映像系に転向したのです。
私は、元々エンタメ志向であり、そこに手話を取り入れたら、こうなった。これが、私の現在の活動につながる第一の理由です。
また、第二に、例えばテレビなどの映像を考えてみると、聞こえる私たちは、日頃、政治のニュースやボランティアの話題なども見ますが、それ以上に、ドラマやバラエティなど娯楽物をたくさんみて、泣いたり笑ったりしています。
ところが、様々なものに手話を取り入れていくにあたり、行政などでは、生活や福祉の情報が重視され、そういったものに通訳をつけようという傾向が強くなります。
ただ、本当に聞こえない人の存在を考えた時、彼らが「見たい」「触れたい」と思うジャンルには、当たり前ですが、もっといろんなものがあります。そもそも聞こえる私が、エンタメを見たいのだから、ろうの友人たちだって、それを見たい人は多いだろう!これが、ごく自然な私の考えでもありました。
ここには、ある目の見えない友人の言葉もあります。
「俺が、エロ本に点字をつけて欲しいと、図書館に申請したら、教育的視点にこだわる担当者たちがよってたかって、『なんで、そんな不道徳なことを言うの?ちゃんと推薦図書や、名作を点訳しているのだから、それを読んでください。』と言われたんだよ。なんで、【俺が読みたいもの】じゃなくて、【障がい者が、読むべき】と、他人が決めたものを読まなくちゃいけないんだ!!!!!!!見えるひとは、自由に、エロ本読んでるじゃないか!!!!!」
その通りです。当時 はやっていたハーレクインロマンスは、私も読んでました!!!!!!!!笑
私は、現在、15禁や18禁映像の作品紹介などの手話通訳もお引き受けしています。それは楽しいからであり、私の主義に合っているからであり、それをすることこそが障害者を差別しない自然な社会の姿だと思うからです。(ご期待くださる方には恐縮ですが、決して脱いでいるわけではありません。笑)
そんな様々な体験を経て、現在、ろうの仲間、私の思いに賛同してくれる聴者のみんなと、手話のエンタメ活動を続けています。
手話は、聞こえる人が見ても感動をもらえる、映像的表現手段であることもまた、今では、多くの方々が認めるところです。修行は、まだまだ半ばであり、未完成な状況ですが、光はその向こうにあるのではないかなあと、夢を描いています。
聞こえない方、手話サークルの方、地域の手話講習会で学ぶ方など、およそ200人の皆さんに、私のお話を聞いていただき、本当に嬉しく、また、自分の活動を振り返る、貴重な機会をいただきました。
ありがとうございました。
※写真は、会場のスタッフの方が撮ってくださいました。感謝です。