手話の歌についてディスカッションするワークショップ

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手話の広まりに伴い、小中学校などでも、手話の授業をしたいという声が広まり、地域の手話サークルの皆さんが、講師として招かれるケースが増えてきました。
学校からは、手話の歌についても、指導してほしいという声が多いのだそうです。

こういう指導では、最近、手話のできる聞こえる人だけでなく!!聞こえない方も一緒に、学校に出向くことがほとんどです。子供達に、聞こえない人と直接触れ合ってもらって、理解を深めてもらうという考え方が、一般的です。

その中で、手話の通常の入門学習は、聞こえない人を講師に、たのしく話しながら指導することができますが、子供達に人気の「手話の歌」をどうすべきか、、、というのは、議論の分かれるところです。
地域によっては、手話の歌は、扱わないという意思表示をされているところもお見かけします。

「聞こえない」「知らない」「聞いたことがない」。聞こえない人にとっては、そういうものである歌に、手話をつけて歌うことは、本来の聞こえない人の姿からすると、自然なのかどうか・・・そんな意見もあります。

「間違いのない手話を使い、子どもたちの学習に役立ててくれるなら、手話の歌を否定はしない。」という聞こえない人も大勢おられます。また「手話の歌は、聞こえない自分の理解を超えているので、お手伝いできない。でも、悪いことだとは思わないので、ぜひ、聞こえる人でやってください。」という方針の地域もあります。

そんな中、手話の歌の指導を求められる各地の手話サークルでは、実は皆さん、かなり悩んでおられます。

「手話パフォーマンス」や、「手話の歌」を、どのように扱うのか?
■いつも聞いている歌のメロディは、聞こえない人には、伝わらないかもしれない。
■リズムって、どうやって表現すればいいのだろう?
■日本語の歌詞はあるけど、これを、良き手話に翻訳して、音楽に合わせるとは?
■歌声そのものが、聞こえづらいとなると、聞こえない人にとって、歌声に当たるものとはなんなのか?
■前奏や、間奏など、歌詞のない部分は、ただ立っていればいいの?そこは、音楽が存在しないの?

南は、こうしたことも、ディスカッションしながら、進めていく、手話パフォーマンスのワークショップを、各地で開かせていただいています。
2月も、都内の手話サークルで、会合に呼んでいただきました。

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聞こえる方に課題曲を聞いていただき、「これはどんな歌か聞こえない人にも説明してみましょう。」とお願いすると、多くの場合、「楽しい歌」「弾むような感じ」「嬉しい気持ちになる」などといった答えが返ってきます。

ところが、聞こえない人は、「????」「それ、なんの歌?」「なぜ、楽しいの?なぜ、嬉しいの?」「みんな何を聞いているの???」となることがほとんどです。

そうなんです。
聞こえない人は、私たちが聴いている音そのものが聞こえていない。または、聞きづらい。

だから、「どんな楽器の音が聞こえるの?」「楽器はピアノだけなの?いろんな楽器があるの?」「へえ、あのオーケストラみたいな大勢の人の奏でる音楽なんだ!」「歌声は男?女?それは一人?大勢????」「手話で歌っているけど、途中で急に、表現せず立っている時間がある。そこは、音楽がなくて、また突然歌が始まるの?????」そう言ったことの方が、大いに疑問だったりします。

こう考えていくと、聞こえる私たちが思っている「聞こえない」と、本当の「聞こえない」状態の間には、違いがあることが見えてくるように思いませんか? 時として、私たちは、「聞こえない」を誤解している場合もあるかもしれません。

私たちが、子供達に手話の歌について、指導していく時は、そんないろんな角度の、いろんな意見や状況を知って、取り組んでいいった方が良い!と私は考えます。
ワークショップでは、そうした点を、時間をかけて、考えてみる、意見交換してみる。そういう時間をみなさんと共有させていただいています。

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会場では、聞こえない人からも、いろんな質問が。

小中学校ばかりでなく、各地のキリスト教の教会でも、讃美歌を手話で歌う取り組みがあり、そこにも同じ壁があると、教えてくださった方もいます。

あなたは、聞こえない人たちに「手話の歌は、反対はしない。聞こえる人に任せる。」と言われたら、どうしますか?
ぜひ、みんなで考えてみてください。