「手話がある」「聞こえない人がいる」ということ
秋口、豊かな濃い緑色でおおわれていた短大のもみじの葉。12月、真っ赤になり、年を明けたら、枯れてほとんどなくなってしまいました。
毎年のことですが、季節の移り変わりを感じながら、学生たちの半年間の成長を、見せてもらっています。
最初は、声のない「目で見る授業」に、戸惑っていた学生たちも、今は、完全に読める読めないに関わらず、「そういう言葉の形態がある」と、自然に講義を受け止めてくれています。
1月の今週は、授業内テスト。授業で学んだ理論や、実技の確認試験です。
みんな、自分たちの名前や住所など、簡単な自己紹介ができるようになっての卒業です。
保育士の卵の皆さんの手話の授業は、将来聞こえないお子さんや保護者の皆さんとのコミュニケーションの手掛かりとなる内容を、いろいろお伝えしています。
たとえ手話がうまくなくても、「手話という言語がある」「聞こえない人がいる」ということを認識していること。
「手話があんまり上手にできなかったなあ」と感じる人がいたら、それは逆に、聞こえない人もまた、聞こえづらい日本語(音声言語)が、わからないなあ・・・と感じているのに、気づくことができるということでもあります。その聞こえない人もまた、周りの多くの聞こえる人と「お話したい」と願っているかもしれません。
学生たちが、これから様々な人と出会う中で、互いのことに気づき合えるヒント。それを思い起こしてもらえる試験になればいいなと考えています。
もみじの枯葉が落ちてしまえば、それは、新しい出発の準備が整ったということ。寒い風の次は、春が待っています。
みんなの学生生活が、すてきな将来につながっていますように。
みんな、頑張ってね。
今週の神奈川は、快晴。
学内には、美しい冬の花も、咲き誇っています。