カウラの班長会議

いつになく、蒸し暑い夜となったきのう水曜夜、
家からほど近い、世田谷・下北沢で行われた、
「カウラの班長会議」というお芝居を見てきました。

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私が、3月に訪れたオーストラリアのカウラ市で、
第二次大戦中、捕虜となっていた、
日本兵たちの脱走物語が、
テーマとなったお芝居でした。

オーストラリアでの捕虜たちは、
基本的に、食事も寝床もきちんと与えられ、
それなりの待遇を受けていたにもかかわらず、
彼らは、脱走したのです。
「捕虜となって、はずかしめを受け、
おめおめ生きて日本に帰ることなどできない。
そもそも、日本人は、
捕虜になる前に戦死、または自決しているはずで、
捕虜となって生きていること自体ありえない。
捕虜となっても、なお戦い続け、
それもままならなければ、
自分たちで死を選ぶべきだ。」
というのが、
日本兵たちの強い信念であったと言われます。

当時、近海で漁業を営んでいた船の船長など、民間人も、
船という戦闘道具を操れることから、兵士とみなされ、
カウラに収容されていましたが、
そうした民間人も巻き込んでの、
脱走・自決事件となったようです。
この事件で、200人以上の日本人が、
1944年、ちょうど70年前の、8月5日に、
命を落としています。

当時、カウラで、日本兵たちが、捕虜となっていたことを、
日本政府自体認めておらず、
長く、このことは、歴史の中で、なかったことにされていました。
それで、現在でも、オーストラリアの捕虜の話は、
あまり、日本で、聞かれることがないのだそうです。
たしかに、私たちの世代の歴史の教科書に、
このことは、出てこなかったように思います。

今回の芝居には、オーストラリアから来られたという、
役者さんたちも登場し、
現在の若者たちの声を代弁していました。

死んで、国に忠義を尽くそうとする日本兵たちと、
命を大事にして生きたほうがいいと考えるオーストラリアの若者たち。
両者の思いの重なる様子が、興味深く、
いいお芝居だったと思います。

ただ、日本兵のこうした強い思想は、
カウラばかりでなく、
日本の沖縄戦でも、多くの民間人を巻き込み、
自決に導いていることを思うと、
いろいろ、考えさせられるものがありました。

また、まったく時を同じくして、
同じオーストラリア国土で、
私の祖父母や両親も、
民間人として、捕虜となって暮らしていたことを考えると、
カウラ日本兵脱走事件は、まさに、
私の人生の歴史と、重なる部分があり、
今回のお芝居からは、
より、リアリティを感じました。

ファミリーの生まれた オーストラリアがご縁で、
いろんな出会いがあり、感謝。

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通いなれた 下北沢 スズナリ周辺。

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夕刻も、いい天気でした。

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